イスラームの祭日と儀式



イスラミックセンター編著

二、イスラーム教徒の祭日

(1) 毎週の金曜日は、イスラーム教徒にとっては特別の日であり、義務(ファルド)としての集団礼拝の日である。これについては後の節で詳しく説明する。
(2) 預言者のいわれたこと、すなわちスンナで定められている祭日は次の二つである。
(a) イード=ル=フィドル(断食明けの祭)、シャウワール(第十月)一日
(b) イード=ル=アドハー(犠牲祭)、ズル=ヒッジャ(第十二月)十日
(3) イスラーム教徒のこれ以外の祭日は、次の通りであるが、これはイスラームの歴史の中の出来事をもとにしたもので、クルアーンに述べられている教徒としてのつとめ(ファルド)でもなく、預言者の慣行としてのスンナでもない。
a、ヒジュラの日(預言者のマディーナへの聖遷の日)第一月(ムハッラム)一日
b、マウリド=ン=ナビー(預言者生誕の日)第三月(ラビーウルアウフル)の十二日
c、ライラト=ル=カドル(みいつの夜)第九月(ラマダーン)の最後の十日間のうちの奇数日
d、ライラト=ル=イスラー・ワ=ル=ミアラージュ(預言者昇天の日)第七月(ラジャブ)二十七日
1、金曜日(ジュマァ)
金曜日(ジュマァ)は、定められた集団礼拝(サラート=ル=ジュマァ)の日で、この日は全イスラーム教徒にとって宗教的・社会的に特別の意義をもっている。本来は、毎日の礼拝のつとめも集団で行うのが良いとされているが、特に要求されていることではない。しかし、金曜日の礼拝を集団で行うことがイスラーム教徒の成年男子のすべてに義務と定められており、女性の場合は、本人の気持次第とされている。
ジュマァの礼拝の準備として、人びとは朝のうちにシャワーを浴びるか、沐浴をして身を清め、清潔な衣服を身につけて、ネギやニンニクのように不快な臭気を残す食物をとらない事になっている。
イスラーム諸国では、金曜日の礼拝はマスジド(モスク)で行われる。しかし、モスクの数が少いところでは、信者の集まり易い適当な場所が礼拝の目的に使われる。一つの共同社会の中に住むイスラーム教徒にとっては、金曜日の礼拝を行うために、一定の恒久的施設を定めておくことが望まれる。
金曜日の礼拝は他のすべての集団礼拝の場合と同様に、選ばれたイマームが指導する。礼拝の前に、イマームが参集者にフトバ(説教)を行うが、これは神へのつとめの一つであって、その間は勝手に礼拝したり喋ったりすることなく、イマームの言葉に真剣に耳をかたむけなくてはならないとされている。イマームの説教は、短い間隔をおいて二つに分けて行われる。最近起ったでき事、すなわち国の内外を問わず、イスラーム教徒のかかえている問題や、クルアーンの章節やハディースの注釈などを、その話題にするのがよいとされている。金曜日の説教は、イスラーム教徒の責任と義務について説き、世の中の動きを知り、また信者同志の精神的連帯を深めるための手段として現在まで行われており、そして今後もそうでなくてはならない。またイマームの説教は、神への讃美、預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)およびかれの教友たちへの祝福、さらにすべてのイスラーム教徒への祈りに終始しなくてはならない。
金曜日は、イスラーム教徒の集団礼拝の日であるから、ユダヤ教やキリスト教の安息日や日曜日によく似ているように見えるが、実際には同じではない。前記の二つの宗教で安息日を定めた理由は、創造立であられる神が天地創造のため六日間「働き」、七日目には「休みをとった」ということから、人々も創造主と同じように、七日毎に一日「安息」をとるべきだという考えをもとにしたものである。(旧約聖書、出エジプト記第二十章第八−十一節参照)この考え方はイスラームの教えとは基本的に相反している。というのは、全能の神アッラーは、自らの天地創造の仕事に疲れ、休息を必要としたということはまったくないと考えるからである。イスラーム教徒は、ジュマァ(金曜)の礼拝の日においても、普通の日と同じように、自分の仕事に励んでもよいのである。
アッラーは、クルアーンの中で次の通り述べておられる。
あなたがた信仰するものよ、合同礼拝の日の礼拝に呼びかけが唱えられたならば、アッラーを念じることに急ぎ商売からはなれなさい。もしあなたがたにわかっているならば、それがあなたがたのために最も良い。礼拝が終ったならば、あなたがたは方々に散りアッラーの恩典を求めてアッラーをたたえて多く唱念しなさい。必ずあなたがたは栄えるであろう。(第六二合同礼拝章 九−十節)
 
(2) スンナに基づく祭事 a、イード=ル=フィトル(断食明けの祭) b、イード=ル=アドハー(犠牲祭)
「イード」はアラビア語で、「幸福や歓びを祝う」という意味である。これにはイード=ル=フィトルとイード=ル=アドハーの二つがあり、前者は断食月ラマダーンの終った翌日の第十月一日を断食明けとして祝う。後者はバッジ(大巡礼)の行事が終った翌日の、ズル・ヒッジャー(第十二月)の十日を祝う犠牲祭である。
預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)がメッカを脱出してマディーナへ移った後、かれは街の人びとが余りにも多くの祭事を祝っている事を知り、異教徒のこれらの祭事ではなく、アッラーに定められた、イスラーム教徒にとっての二つの祭事、すなわち二つのイードだけを祝うよう、イスラーム教徒に告げた。この二つのイードは、すべてのイスラーム教徒個人個人、およびイスラーム社会全体のための感謝と祝福の日である。イード=ル=フィトルは、断食のつとめが終ったことを、そしてイード=ル=アドハーは巡礼のつとめが終ったことを祝うものであり、断食と巡礼の二つは唯一の神アッラーに仕えるイスラーム教徒の重要なつとめである。(断食と巡礼のくわしいことは、当センター発行の、イスラーム入門シリーズを参照されたい)
「イード」は歓びとしあわせの場であるけれど、軽率に振舞ったり、食べすぎたりして快楽の奴隷となってしまってはならない。「イード」にわれわれイスラーム教徒の感じる歓びとは、充足感にあり、規律・信心、そして集団礼拝についての神の教えを守ってきたという精神的よろこびである。
二つの「イード」の日には、イスラーム教徒はまず神への礼拝を行い、そして困窮者への喜捨、友人縁者の訪問、贈物の交換などをして一日を過ごすのである。「イード」の精神は、平和と寛容の精神にあり、この日には人びとは、これまで隣人に抱いていた怨恨や悪意をすべて忘れて、この日を友愛の精神で、新しい人間関係を培う門出としなくてはならないとされている。
「イード」の日の礼拝は、日の出から正午までの間に行い、ジュマァの礼拝と同じように集団で行うものとされている。しかし、女性の場合は、もし希むなら家庭で礼拝してもよく、いずれの場合でも礼拝の前には必ず沐浴して身を清め、清潔な衣服を身につけなくてはならない。「イード」の礼拝(入門シリーズ「サラート」参照)のあと金曜日の礼拝と同じように、イマームの説教が二回に分けて行われる。イード=ル=フィドル(断食明けの祭)の説教では、イマームは参集者に対して、断食明けの寄附金(サダカト=ル=フィトル)の意義を訴え、イード=ル=アドハー(犠牲祭)のときは、犠牲のつとめを人びとに強く説くことになっている。「イード」の日とその次の二日間、すなわちズル=ヒッジャ(第十二月)の十日、十一日、十二日には、一家族につき山羊か羊一頭を、そして七家族につき牛一頭を犠牲に捧げる。肉の三分の一は自分たちで用い、残りの三分の二は生肉のまま貧しい人々に分けたり、友人や縁者への贈物とする。
(3) 史実にもとづく祭事
a、ヒジュラの日(預言者ムハンマドのマディーナ聖遷の日)
ヒジュラは、イスラーム史上もっとも意義深いでき事であり、この日をもって、イスラーム教の成功と拡大への出発を画したものとされている。メッカでは、イスラーム教徒はひどい迫害を受け、自らの生命財産の安全さえ危機にさらされ、自分たちの集会を持ったり、宗教的行事は公然と行えず、社会的・政治的な影響力を持つことはとうていできなかった。かれらがメッカで受けたこのような試練と苦難は、神の許しのもとにマディーナへ脱出したことによって、すべて過去のものとなった。マディーナの人びとは、イスラーム教を受け入れ、預言者(かれの上に平安あれ)を指導者として迎え入れた。軍事的な攻撃は依然として繰り返し加えられたけれども、ひとまずメッカの人間たちの継続的な迫害から逃れ、イスラーム教徒たちは一つの宗教社会を形成し、神に従って行動し、宗教を実践、布教し、次第にその力を結集して行った。預言者のヒジュラ(マディーナへの聖遷)を記念して、第二代カリフのウマルは、預言者の教友たちと相談し、ヒジュラ暦のムハッラム(第一月)一日(西暦六二二年七月十五日)を暦の一月一日とすることにした。ヒジュラの日には、人びとは互いに挨拶を交し、 預言者とその教友たちの話をして、その日を祝うのである。
b、マウリド=ン=ナビー(預言者生誕の日)
マウリド=ン=ナビーは、聖預言者(かれの上に平安あれ)の養生日の祝いである。ムハンマドはヒジュラ(聖遷)の五四年前の三月十二日(西暦五七〇年八月二十日)の早朝に、この世に生を受けた。ムハンマドは「最後の預言者」(聖クルアーン三三章四〇節)であり、クルアーンの受託者、人類への最後にして完壁な、神の使徒である。預言者の行なったことは、すべての時代と地域を通して、すべての人が守るべき模範である。ムハンマドを通して、神は真実の教えイスラームを完成し、人類に対する神の目的を強調した。聖預言者は聖クルアーン二十竜一〇七節に述べてあるとおり、「よろずの世への慈悲」だったのである。
各地のイスラーム教徒は、この日を心から祝福する。この日は軽はずみに浮かれた行動をとったり快楽を追い求めるためのものではなく、内面的な歓びや幸福を求めるためのものである。この日には、全イスラーム世界で集会が開かれ、人びとは預言者の誕生、少年期、成年期、かれの宗教法話、冷酷な反対者からの受難とかれらに対する寛容さ、あらゆる局面での忍耐心、マディーナへの聖遷、人との接し方、戦場でのその勇敢な指揮ぶり、人間の魂を超越した、神の恩恵による最終的な勝利、などについて語り合うのである。
またイスラーム暦の三月十二日が預言者の出生の日として祝福されるだけでなく、ラビーウル=アウワル(三月)の一ケ月間が預言者の「誕生用」として祝福されることになっている。
本当にアッラーと天使たちは聖預言者を祝福する。信仰する者たちよ、あなたがたはかれを祝福し(最大の)敬意を払ってあいさつしなさい。(第三三部族連合章五六節)
c、ライラト=ル=カドル(みつの夜)
預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)が、天使ジブリール(ガブリエル)を通じてアッラーの啓示を最初に受けた夜は、「ライラト=ル=カドル」(みいつの夜)とクルアーンに書かれている。その時ムハンマドは四十才であった。天使ガブリエルが預言者に伝えた最初の言葉は次の通りである。
読め、「創造なされる御方あなたの主の御名において、一凝血から、人間を創られた。」読め、「あなたの主はこよなく尊貴であられ筆によって教えられた御方。人間に未知なることを教えられた御方である。」(第九六凝血章一−五節)
 預言者ムハンマドヘのクルアーンの伝達は、二十三年間にわたって行われ、かれの死の直前に終っている。最後の啓示はクルアーンの第五章第四節である。

 ラマダーン月(第九月)のどの夜がライラト=ル=カドル(みいつの夜)であるかはさだかではないが、ハディース(預言者の言行録)には、ラマダーン月の最後の十日間の奇数日の夜であると記されている。イスラーム教国では、第九月二十七日の夜−正確には二十六日の日没から二十七日の夜明けまで1を「ライラト=ル=カドル(みいつの夜)」として祝っている。「みいつの夜」については、クルアーンに次のような言葉がみられる。

本当にわれはみいつの夜にこの(クルアーン)を下した。みいつの夜が何であるかをあなたに理解させるものは何か。みいつの夜は千万よりもまさる。(その夜)天使たちと聖霊は主の許しのもとに凡ての神命をもたらして下る。暁の明けるまで、(それは)平安である。(第九七みいつ章一−五節)

 「みいつの夜」の何時間かを、人びとはクルアーンを読み、規定の礼拝や追加礼拝、そして神への祈りのために費やす。だが、いうまでもなくラマダーンの一ケ月にわたって、人びとは断食、礼拝、慈善と善行に専念する(当センター発行のパンフレット「断食」を参照のこと)。預言者の妻アーイシャは、神の使徒ムハンマドは、ラマダーン月の最後の十日間は、神に仕えるために、ほかの日々以上に努力されたと伝えている。

d、預言者昇天の日(ライラト=ル=イスラー・ワ=ル=ミアラージュ)
聖預言者(かれの上に平安あれ)が神の使徒となってから十年目のラジャブ(七月)二十七日の夜、かれはいくつかの神のみしるしを目にした。クルアーンには次の通り述べられている。
かれに栄光あれそのしもべを(メッカの)聖なるマスジドからわれが周囲を祝福した至遠の(エルサレムの)マスジドに、夜間、旅をさせた。わが種々のしるしをかれ(ムハンマド)に示すためである。本当にかれこそは全聴にして全視であられる。(第一七夜の旅章一節)
この表明によって、神は預言者を、人間として到達しうる最高の精神的高みにまでひき上げられた、この夜、一日五回の礼拝(サラート)が神によって命じられたのである。「みいつの夜」、イスラーム教徒はクルアーンを読み、礼拝を繰り返し行い、この夜を祝ってすごすのである。


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