イスラームの生き方
イスラミックセンター編著
二、道徳の意義
6. 経済的諸問題
- イスラームでは、アッラーが万物の持主であり、人間が使用あるいは享受している土地、穀物、森、大洋、天然資源その他のあらゆるものもアッラーの所有物であると教えています。アッラーの地上における代理者である人間は受託者にすぎず、実際には何も所有していません。そこでムスリムは、富や財産をアッラーからの賜わり物と見なし、アッラーの喜びを目的として使うのです。すなわち自分と家族のため、両親と親族のため、孤児、未亡人、貧困者の必要を満たすため、そしてアッラーの道で努力するために使用するのです。
- 人間の生計は、正直な労働あるいは生産的な投資によってたてるべきですが、そうして得たものは、ただ蓄財したり、かっこよさのため消費したり、あるいは贈賄その他不正のもととなる事や他人を圧迫したり傷つけたりするために使ってはなりません。
- 同じ精神にもとづいて、地球の資源は人類全体へのアッラーの恵みですから、人類全体のために開発、利用すべきです。一部の人びとのため、あるいは有害な用途にもちいてはならないのです。一人で使うより共同で、競争より協力して、これがイスラームの精神です。そのためにこそ、高利、賭博、富のためこみ、強欲、食欲および浪費が、アッラーの禁止事項にふくまれているのです。
- なんじらの財産をなんじらの間でむだに浪費してはならぬ
- また不当と知りつつ他人の財産の一部をむさぼるため
- 裁判官への賄賂としてはならぬ。
- (聖クルアーン第二章一八八節)
- なんじら信仰する者よ
- 倍にしまたも借にして高利をむさぼってはらなぬ。
- 成功するためには、アッラーをおそれよ。
- (聖クルアーン第三章一三〇節)
- 信仰する者よ
- なんじらの財産をなんじらの間でむなしく浪費してはならぬ
- 互いの合意による商取引を成立させよ。
- (聖クルアーン第四章二九節)
- なんじらの手を己れの首に縛りつけてはならぬ(吝薔はならぬ)
- また限度を越え極端に手を開き恥辱を彼むり困窮に陥ってはならぬ。
- (聖クルアーン第一七章二九節)
- 有頂天になってはならぬ
- まことにアッラーは思い上っている者をめでたまわぬ。
- アッラーからの賜わり物で来世の住まいをこい求め
- この世での務むべき部分も忘れてはならぬ
- アッラーがなんじに善きようになんじも善い行ないをせよ
- 悪事を行なおうとしてはならぬ
- まことにアッラーは悪事を行なう者を好まぬ。
- (聖クルアーン第二八章七六−七七節)
- 商業活動においては、正直、確実さおよび公正な取引を行なうことがアッラーへの義務であります。相手をだまし、不良品であることをかくして売ったり、相手の無知を利用して不正な利益をむさぼるのはムスリムとして禁止されていることなのです。
- ムハンマドが預言者としての資格を得る前から、メッカの人びとはかれをアル・アミン(信頼できる人)と呼んでいました。商売上のがれの公正な態度は、雇用者であった未亡人ハディジャに深い感銘を与え、ずっと裕福で年上だったにもかかわらず、かの女はムハンマドに結婚を申し込みました。
- なんじらが互いに信託しているとき
- 信託された者には託きれたことを忠実に果たさせ
- かれの主アッラーをおそれしめよ。
- (聖クルアーン第二章二八三節)
- なんじらが奇計量するときは十分の量を与えよ
- また正しいはかりで計れ
- それはりっぱであり、また結果においても最良である。
- (聖クルアーン第一七章三五節)
- なんじら信仰する者よ
- なんじらが期間を定めて貸借するときは、それを記録にとどめよ……
- そしてなんじらの仲間から二名の男を証人とせよ
- 二名の男がいないときは
- 証人としてなんじらが認めた一名の男と二名の女を立てよ
- もし女の一人が間違っても他の女がかの女を正することができよう。
- 証人は、呼ばれたとき(証言を)拒むことはできない。
- 期限を定めた取決めは、事の大小にかかわらず記録することを軽視してはならぬ。
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- それはアッラーの前でさらに正しくまた正確な証拠となり
- 後日に疑問点を残さぬため最も妥当である……
- (聖クルアーン第二章二八二節)
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