イスラームの生き方
イスラミックセンター編著
二、道徳の意義
3. 人間の性格
- 社会の質は構成する人びとによって定まるのですから、まず最初に人間の性格をここにとりあげてみましょう。
- イスラームの教えのなかで最も強調されているのは「アッラーを意識する」ことですが、これはアラビア語の「タクワ」の大体の意味です。「タクワ」とは、アッラーを意識し、根源への責任を自覚し、アッラーの怒りをおそれる精神を示しています。そして、そのことがムスリムとしての特性であると聖クルアーンに記載されています。
- アッラーのみもとで
- なんじらのうち最も尊い者は
- 最もアッラーをおそれる者である。
- (聖クルアーン第四九章一三節)
- アッラーをおそれることは、人間に健全な良心を与えるものです。
- 信仰する者よ
- もしなんじらがアッラーをおそれるなら
- アッラーはなんじらに
- 正邪を識別するための基準を与え、
- 罪をなくし、赦してくださる。
- (聖クルアーン第八章二九節)
- 聖預言者は次のように説いています。
- 「もしアッラーをおそれる(大切にする)ため、信者の目から一滴の涙でも落ちるなら、アッラーは彼を地獄から遠ざけるであろう」
- ハディース(預言者言行録)の中のこの言葉は、アッラーへの責任の自覚がいかに重大であるか、人びとの行動にどれほどの影響を与えるか、その要素がいかに小さくとも現世と来世にわたって極めて大きな梱遠をもたらすことを明らかにしています。
- イスラームの教えの中で特に強調されているのは、謙そん、慎み、欲情の制御、正直、誠実、忍耐および着実さであります。約束とか契約を完遂し、すべての信頼にこたえ、義務を果たし、債務を返済するようアッラーから命じられているのです。道徳行為の広い面にわたって説いている聖クルアーンのいくつかの章節をあげてみましょう。
- (アッラーの目前にいるしもべたちは)
- よく耐え忍び、誠実で敬虔に奉仕し
- 慈善のための財を使い
- あかつきに罪の赦しを祈る者たちである。
- (聖クルアーン第三章一七節)
- …まことにアッラーは忍耐する者をめでたもう。
- (聖クルアーン第三章一四六節)
- なんじらの主の許しを得
- 天と地ほど広い学園を得るため
- それは主をおそれる者のために準備されている。
- 順境においても逆境においても慈善をほどこす者
- 怒りをおさえ寛容にふるまう者。
- まことにアッラーは善い行いをする者をめでたもう。
- また、不都合な行いをしたり過失を犯したとき
- アッラーを念じて罪過の許しを請い
- 「アッラーの他にたれが罪を許せましょう」と祈る者、
- ならびにその犯した罪を故意にくりかえさぬ者、
- これらの者への報奨は
- 主の寛大な許しと川が下を流れる楽園でとこしえに住むことである。
- 勉励努力する者への恩典は何とよいことよ。
- (聖クルアーン第三章一三三−一三六節)
- 寛容を守り道理にかなったことを勧め、
- 無知で足れりとする者から遠ざかるべし
- だが、もし悪魔の囁きがなんじを迷わせるならば
- アッラーに加護を求めよ、
- まことにアッラーは全聴者・全知者である。
- まことに、主をおそれる者は悪魔の黒き示唆を受けるとき
- 即座にアッラーを念ずるであろう、
- そのとき、見よ
- いかに神なき仲間が誤りに誘うとも
- かれらはたちどころに光を見る、
- そして正しき道よりはずれることはない。
- (聖クルアーン第七章一九九−二〇二節)
- 朝な夕な主の慈顔を求めて祈る者と共にあれ、
- 現世の栄華を望んでなんじの目をそらせてはならぬ
- またわれが、その心に主を無視することを可能とした者
- ならびに私欲を追い全ての道からはずれた者に従ってはらなぬ。
- (聖クルアーン第一八章二八節)
- なんじらは財産や生活において必ず試練にあい、
- なんじら以前に経典を得た者から、そして多神教徒から
- 心を痛める言葉を多く聞くであろう。
- だがなんじらが耐え忍び、主をおそれるなら、
- それこそ全てを決定する要因である。
- (聖クルアーン第三章一八六節)
- 「息子よ、礼拝の務めを守り、善いことを命じ、悪を禁じ
- ふりかかる困難を耐え忍ぶなら
- それこそ真の強固さである。
- 高慢に頬をふくらませ横柄に地上を歩いてはならぬ
- うぬぼれ強く威張る者を
- アッラーはめでたまわぬ。
- 歩きぶりを穏やかにし声を低うせよ
- まことに最もいとわしきはロバの声である」
- (聖クルアーン第三一章一七−一九節)
- まことにムスリム男女、信仰する男女、献身的な男女
- 誠実なる男女、忍耐強い男女、謙虚なる男女
- 情け深い男女、斎戒する男女、貞節なる男女
- そしてアッラーを多くたたえる男と女、
- これらの者のためアッラーは
- 罪の赦しと偉大なる報奨を用意したもう。
- (聖クルアーン第三三章三五節)
- 虚偽をもって真実をおおってはならぬ
- また、知っていながら真実をかくしてはならぬ。
- (聖クルアーン第二章四二節)
- 己れの誓った約束を守り主をおそれる者、
- まことにアッラーは主を意識しつづける者をめでたもう。
- (聖クルアーン第三章七六節)
- 信仰するものよ、契約の義務をまっとうせよ。
- (聖クルアーン第五章一節)
- アッラーは、下品で有害な行為を禁じています。それらを控えることは私たちの義務であり、誘惑に導くであろう状況をもっとめてさけるべきなのです。アッラーは次のように言っています。
- 姦通や婚外性交に近づいてはならぬ
- それは醜行であり悪の道である。
- (聖クルアーン第一七草三二節)
- 結婚の手だてがみつからぬ者は
- アッラーの恵みによりその手だてを与えられるまで自制すべし。
- (聖クルアーン第二四章三三節)
- 預言者ムハンマドは、次のように言っています。
- 「謙譲と信仰とは、共に存立するものである。一方が失われれば、他方も同時に消失する」
- なんじら信仰する者よ
- まことに、飲酒とかけ事、偶像とくじ矢は、忌みきらうべき悪魔の業である。
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- 成功するために、これをさけよ。
- 悪魔の望むところは、酒とかけ事によってなんじらの間に敵意と憎悪を起こさせ
- なんじらがアッラーを念じ礼拝をささげることを妨げようとする、
- それでもなんじらは慎しまないのか。
- (聖クルアーン第五章九〇−九一節)
- このような、ムスリムのとるべき道徳的態度と行為を要約して、預言者ムハンマドは次のように説いています。
- 「主は私に九つの事を命じた。
- 私生活においても、公的な場でも、常にアッラーを意識すること。
- 怒れるときも喜びのときも、常に正しい話をすること。
- 貧富を問わず、常に中庸を歩むこと。
- 私から離れた者との友情を回復すること。
- 私をこばんだ者に与えること。
- 私を迫害した者を赦すこと。
- 私の沈黙は瞑想であり、
- 私の視線は訓戒となり、
- 私はいつも正しい事のみを命じること」
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