イスラームの生き方
イスラミックセンター編著
二、道徳の意義
4. 対人関係
- 人びとの互いの関係に対するイスラームの教えを要約するには、アラビア語の「ヒルム」の一語で足りましょうが、これは「忍耐と親切と容赦」を合わせた意味なのです。
- 日常生活のなかで必然的に、あらゆる種類の人びととの関係が生じます。人にはそれぞれ限界があり、弱点、誤ち、判断のまちがいなどはつきものです。他人を批判したり、侮辱したり、愚弄し恥かしめたり、あるいは他人に対して偏狭な態度をとったりすることは傲慢のあらわれ以外のなにものでもありません。
- …怒りを抑えて人びとを寛容する者
- まことにアッラーは
- 善い行いをなす者をめでたもう。
- (聖クルアーン第三章一三四節)
- 善と悪とは同じではない
- 人が悪をしかけても、いっそうよいことで悪を追い払え
- そうすれば互いの間に敵意ある者でも
- 親しい友のようになるであろう。
- (聖クルアーン第四章三四節)
- 親切な言葉と寛容とは
- 侮辱を伴う施しにまさる。
- (聖クルアーン第二一章二六三節)
- 聖預言者は、召使いのあやまちは何度まで赦すべきかとの質問に対して、「一日七〇回まで赦しなさい。もし召使いの弱点を許容できなければ、彼を去らさせなさい」と答えています。
- 悪口を言わず、詮索せず、自分が言われたくないようなことを他人の背後で言わぬことも寛容と親切の一部です。その人のため良かれとの意図でなければ、他人のことを秘密理に論議してはなりません。他人の失敗を知ったとき、それをかくしてやるのが良いのです。人を恥かしめてはいけません。そこには誤ちに封する認識より、感情を害した反抗的な態度が生ずるからです。
- 他人の信仰の深さとかまじめさを批判するべきではありません。何らかの社会的行動が必要なとき以外は、他人の悪業とか悪い出来事について話してはならぬと命ぜられています。もちろん、宗教の品位を落したり愚弄する会話、または卑わいな会話に加わってはなりません。
- なんじら信仰する者よ
- ある者たちに他を潮笑させてはならぬ
- 後者が前者よりすぐれているかも知れぬ
- また女たちに他の女たちを潮笑させてはならぬ
- 後者が前者よりすぐれているかも知れぬ。
- 互いに中傷してはならぬ、
- またあだ名でののしり合ってはならぬ
- 信仰に入った後は悪を暗示する名はよろしからぬ、
- これを悔い改めぬ者、これらは不義者である。
- なんじら信仰する者よ邪推をできるだけさけよ
- まことに邪推は時として罪である
- また無用のせんさくをしてはならぬ
- また互いにかけぐちをきいてはならぬ……。
- まことにアッラーのみもとで最も尊い者は
- なんじらのうち最も主をおそれる者である。
- まことにアッラーは全知者・通暁者である。
- (聖クルアーン第四九章一一−一三節)
- 秘密の会合の多くは、よくないことである。
- ただし施しや善行を勧め、あるいは人びとの間を執り成す場合には
- 秘密が許される
- アッラーのよろこびを求めてこれを行う者には
- われはやがて偉大なる報奨を与えるであろう。
- (聖クルアーン第四章一一四節)
- また、預言者ムハンマドは次のように説いてます。「ムスリムの誠実さのあかしは、自分に関係のないことに余計な注意をはらわぬことである。真のムスリムとは、その言動が他のムスリムにとって全く安心できるものである」
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