イスラームの生き方

イスラミックセンター編著


二、道徳の意義
2. 神の行法の無限の知恵


われわれムスリムは、アッラーの律法が勝手な気まぐれなどではなく、また圧制的な実行不可能なものでもないことをよく知っています。無限の知恵と慈愛に満ちたアッラーは人間の肉体と精神の両面の必要に合わせて道徳律を定めたのであり、それは、他のすべてを支配するアッラーの「自然の法則」と共に終末まで不変のものなのです。



アッラーこそ人間のすべてを知っているのですから、その法律はどの時代にもあてはまり、そして万人共通のものです。しかも、人間のあらゆる状態を考慮に入れて作られ、極端をさけ、中庸の道を示しているのです。この道徳の中のどの部分でも無視するなら、その社会には必然的にある種の腐敗が生じます。そのような例は過茎去った民族や文明の歴史の中で見られ、また今日の世界は腐敗の渦に取り巻かれているのです。



意識的に、あるいは気付くことがなくとも一つの分野において道徳原理に従うとき、そこには良い結果が明白にあらわれます。しかし同一の社会において、他の条項のいくつかが守られなければ、そこには悪い結果があらわれるのです。現代においても、十分な力を持つ人間や集団が道徳律を無視して社会に大きな害毒を流し、あるいは社会を破壊するまでに至るのは、多くの例が証明しているとおりです。現代の世界では、このような多くの問題、すなわち階級的差別と相互憎悪、国家利益の追求と戦争、民族闘争、無制限の物質主義、犯罪の増加、家庭の破綻、放縦な性関係、麻薬やアルコールへの耽溺などが増幅され、個人と社会にいちじるしい弊害を及ぼしています。むろん、これらがアッラーの道徳律を尊守しないところからきていることは言つまでもありません。



逆に、アッラーの律法に従った生活は、外的環境のいかんを問わず、各人に平穏と調和と安定をもたらします。この律法を守ることによって、人びとは利己主義、食欲、高慢、不正、不正直などから脱し、尊敬、調和、協力の満ちた兄弟愛の社会へと移行して行くのです。「競争」より「協力」、「私欲」より「奉仕」、「支配」より「協議」、などが社会、経済、政治におけるイスラームの指導原理なのです。



預言者ムハンマドと教友たちの生き方こそ、この理想的社会の実現であったのですが、それは世界歴史でも、おそらく唯一のユニークな例証と思われます。とはいえ、今日においても、もし全ムスリムがアッラーの命じたことを忠実に実行するなら、そのような理想的社会を再建することは可能でしょう。



次に、イスラームの教えが個人の性格、対人関係、社会的責任、経済的および行政上の問題、アッラーへ帰依のための努力などさまざまな面でどのように規制しているかを聖クルアーン及びスンナによって調べてみましょう。





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