イスラム会議
リビア国トリポリ市
2004年11月26日〜29日
11月29日(月曜日)・・・イスラム会議最終日
 会議も今日が最後となった。27日、28日の2日間昼のセッション、夕方のセッションで会議はテーマに沿った提案が多数でている。この日も、予定通り昼のセッションがある。テーマはフリーで、各国の団体代表から様々な報告や提案が出された。今日が最後ということで、リビアから援助を引き出そうと、演壇で熱弁しないまでも、文書にまとめて、イスラムダアワ協会に提出する団体も相次いでいる。個別に協会の役員と会うものも多い。各国の様子や、抱えている問題を知るにはこの日の、各国団体代表のスピーチはとても参考になる。4時間しっかり続いたが結局終わらず、予定にはなかった午後からのセッションが新たに加わり、スピーチは続いた。
 マグリブ(日没)の礼拝後、決議文発表と閉会式が行われた。
 ブラヒーム=アルゴワイル決議文責任者の発表に対して、加えてほしい条文の提案が相次ぎ、ゴワイル氏の説明が行われた後、時間が長くなるので、4,5人の提案発言をもって締め切った。とにかく、日本では考えられないほど、手が挙がり、マイクを握りたがる。締め切った段階でも、まだ10人以上は手を挙げていた。これほど、発言をしたがる収拾がつきにくい会議をよくなんとか予定通り進めているものだと感心する。
 閉会式は、参加者の中でもっとも名の有る人々が雛壇に並び、ムハンマド=アハマド=アッシャリーフ代表のイスラムダアワ協会活動の心構えを示した挨拶があり、続いて、ブラヒーム=アルゴワイル氏の挨拶の後、イスラムダアワ大学学生のコーラン読みがあり、リビア国歌を流して、会議はすべて終了した。
ずらっと並んだオレキレキ。左からこの会議を仕切ったゴワイル氏、アフガンのラッバーニ氏、アフガンの有名な宗教指導者らしい人、シャリーフ代表、リビアの文化大臣、・・・ 全員起立してリビア国歌『アッラーフアクバル』。会議終了。
会議終了をみんなでよろこび合う。 終了後、中国、台湾、新疆、日本が一緒のテーブルになり和気藹々と中国語が飛び交う。とはいっても、私にはアラビア語と日本語で。
ラッバーニ氏
 閉会と同時に、会場のすべての参加者がよろこびあった。
 アフガンのラッバーニ氏も最初から最後まで最前列で会議を聞いていた。ラッバーニ氏が雛壇に座っている写真を見ていただきたい。座る位置からして、中央はシャリーフ氏で、シャリーフ氏に近い位置に座るほど重要人物ではないかと思われる。これを見ればラッバーニ氏よりも同じアフガンの宗教指導者が上ということになる。そういえば、彼の方がラッバーニ氏よりも上という態度をとっていたふしがある。彼にもラッバーニ氏にもそれぞれ護衛が2,3人常についていた。ただ、違いは彼は私達と同じホテルであるが、ラッバーニ氏は違う所に宿をとっており、移動のたびに白バイに先導されリビア政府の黒塗りの車3台で、厳重な警護つきで現れた。護衛つきで現れ、護衛つきで去っていくので、気軽に話しかけることはできない。
 会議が終わり、ラッバーニ氏はシャリーフ代表と挨拶を交わし、例によって警護のものが一般の人と接触させないようにして、正面玄関に付けている車へまっすぐラッバーニ氏を誘導していく。ラッバーニ氏ご一行が来ると、通路が自然に開き、ラッバーニ氏は颯爽と去っていく。ところが、今回はちがった。ラッバーニ氏が人ごみの中から私を見つけ足を止め、、護衛を振り切って、私の前にやって来た。ニコッと微笑み丁寧に「アッサラームアライクム」と噛みしめるように言って手を出してきた。突然の出来事に「シュ、シュ、シュクロン」と私。どうして、ラッバーニ氏は肩書きもなくどこの国の者かもわからない私にこのようにしてくれたのだろう。とにかく、彼から私への励ましだったのだろうと考えることにしよう。彼の手から伝わるものがあったのだ。アイドルに握手してもらった手を洗わずに居たいという女の子の気持ちがこのときわかった。次の礼拝でウドゥーをすれば終わりなので、この手は日本には持ち帰れないんだけど。笑。
中道氏とは
 決議事項発表のとき、各地域の理事も発表された。これから4年間の地域責任者の発表だけに重要なことである。今までは、中国(新疆含む)は中国政府関係イスラム団体のムスタファ氏、日本・韓国・台湾をファドルッラー中道氏となっていたが、今回の人事発表で、これら東アジアがひとつの地域となり、日本の中道氏が東アジア全体の責任者となった。ムスリム人口の多い東南アジアもフィリピンやタイといった地域の代表は選ばれず、マレーシア、インドネシアの代表が東南アジアを2つに分けて管理するようである。
 中道氏は、中国系日本人で、台湾からも中国、新疆からも、あらゆる中国語をしゃべる人たちからリーダー的存在として慕われており、適任者だと思われる。また、私にとってもイスラム大学の先輩として、いつもアドバイスを頂いている。
 上の写真に集まった中国語をしゃべる人たちは皆ファドルッラー中道氏を慕っており、中国と台湾が政治を感じさせず和気藹々と話し合っている光景はイスラムならではで、ついついカメラを向けてみた。
 ついでに、知っておいてもらいたいことは、中国、台湾、香港、東南アジアなどで配布されているイスラム関係の中国語パンフレットのかなりのものはファドゥルッラー中道氏が書いたものである。
 
11月30日(火曜日) トリポリ−ロンドン
 火曜日は、残ってさらにイスラムダアワ協会と個別に接触する人と、帰国する人とに分かれた。ロビーは人で溢れていた。旅立つもの見送るもの一緒になってj時間を惜しんで話し合っている感じだ。
 私は、中道氏、樋口氏と一緒に出発することになった。会議主催者側が、車で空港まで送ってくれ、出国手続き、チェックインすべてをやってくれた。最後は、ビジネスクラスラウンジでゆっくり休ませてくれた。スタッフの連携もうまく、接客にがんばってくれている。空港ビルは昔よりはるかに美しく整っていた。
トリポリ空港チェックインカウンター 高級な出発ラウンジでくつろぐ日本ムスリム協会名誉会長樋口氏と世界イスラムダアワ協会理事中道氏。このラウンジでは、軽食と喫茶が無料で利用できる。
 このラウンジで、樋口氏、中道氏とは別れ、彼らはローマへ、私はロンドンへと旅立った。
ロンドン到着
 ロンドン空港では、行き同様ノール一家が出迎えてくれた。さらに、今回は、あす会えないからとロンドン在住の若いムスリマ アミラ嬢も一緒に居た。
 早速ノール氏の車に乗り、ノール家へ移動。今回は、ノール一家とご両親、マレーシア人−英国人一家が子供を連れて、また、ノール氏の妹一家、アミラさんなどたくさんの数で夕食をいただいた。私が英語があまりうまくないので英語で統一されずに、日本語、英語、アラビア語、マレー語の4ヶ国語が乱れ飛ぶ国際的な団欒となった。
さまざまな肌の色が集まり話が弾むノール家の食卓 子守役が多いノール氏。父親はネイティブイギリス紳士の改宗ムスリム。ノール氏はどういう教育されたのか、りっぱなムスリムとして成人しており、日本人ムスリム子女の教育の参考になりそうな素材である。
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