イスラム会議
リビア国トリポリ市
2004年11月26日〜29日
11月28日(日曜日)
午前のセッション・・・・作成中
夕方のセッションは欠席して、トリポリ市内を歩いてみた。
下町のバス停近くの商店街 グリーン広場からハイアンダルスに向かう道路。この時間帯の中心部の交通量はたいへんなものだ。
グリーン広場と旧市街(スーク トルク)への入城門。グリーン広場は駐車場になり、観光客相手の写真屋さんが待ち構えていた。 スークトルクの入り口に並ぶ貴金属店。スークトルクは復活していた。
客で賑わうスークトルクの通り。外国人ツアー客も居た。 スークトルク内は迷路のようにこういう商店街が続いている。
23年ぶりに訪れたスークトルクの我が家。ペンキを塗り替えていたが、昔と変わっていない。 スークトルクからグリーン広場を撮影。新市街の商店街へ向かうことにする。
商店街。建物は昔のままだが、改装されたモダンな店舗が並んでいる。内部の什器など日本の高級商店街よりも立派かもしれない。写真は取れなかったが歩いている女性のイスラム的ファッションも美しく、日本のムスリマたちにも見せたいくらいである。 グリーン広場に面する以前から流行っていた喫茶店。
帰り道、下町のバス停近くで撮影。女性ファッションの写真がとれなかったので、マネキンでどうぞ。 すっかり夜になってしまった。イスラムダアワ協会本部とさらに向こうに見える宿泊しているホテル=バーブルバハル。
 25年ほど前は、国有化と経済制裁で、商品が店先から次々と姿を消していった。かわりに配給所で長蛇の列にならび限られたものしか買えない厳しい状況となりつつあった。もちろん、賑わっていた商店街も次々と店が閉じられ、人通りも少なくなっていった。そんな時代があったのだ。ところが、今回の訪問では、街が復活していた。商店街はにぎわい、品物があふれている。各所で店舗の改装、新築が行われているようだ。
 また、オレンジ色の服を着たごみ掃除人が、夜にはいたるところで街の清掃を行っていた。警察もいたるところに居て、不法駐車をとりしまっていた。イギリスでは、駐車できる場所はちゃんと白線で囲んでいたが、リビアではまだそういうものはないようだ。道路標識もほとんどなく、どこが駐車していい場所なのかわからない。でも確かに道路脇に駐車できる場所とできない場所が決まっているようだ。信号もほとんどない。ただし、横断歩道を渡ろうとすると、車は止まってくれる。
 確かにリビアは変わりつつある。
 グリーン広場の周辺の最も交通量が多い道路を、大きな荷物を持って老婆の手を引いて道路を横断している若者が眼に入った。そういえば、リビアでは以前よりよく見かける光景であった。目の悪い人、老人などを見かけると、放っておけない心の温かさから来るものである。それをいかにもがらの悪そうな青年が、自然にやりはじめるところにリビアの良さがある。そういうところは変わってないなあと、しみじみとその微笑ましい光景を眺めていた。
 晩飯をみんなと一緒に食べれなかったので、夜遅く再び街に出ていった。バスステーション近くの飯屋さんに入った。軽食のつもりで、スパゲッティーを注文したら、ニワトリも付けて5ディナール(500円)でどうかというから、「いいよ」というと、なんと別の皿に半羽分のニワトリと、山盛りポテトフライ、サラダがついていた。さらにパンとバターもついている。軽食どころか、腹に入りきるのかというほどの量であった。これ多くない?と驚いた顔をしてみせたら、「おいしいよ」と反応が違う。そういえば、大学のキャンパスで食べたときも、アラブ人は皿山盛りに取っていたのを思い出した。アラブ人は大食いなのだろうか。
 夜帰りながら周りをみてみた。私が泊まっているのは、海岸のリゾートホテル。海岸には以前からある3つのホテルのほかに、さらに立派なホテルが2つ加わっていた。会議期間中バーブルバハルホテルは貸切となっているのだが、それを知らない宿泊客が次々とタクシーでやってきてた。
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