第1章 イスラーム
 世界のあらゆる宗教はその創始者の名か或はその宗教が生まれた社会や国家の名に因んだ名称を持つている。たとえばキリスト教の名称は予言者イエス・キリストの名から出ているし仏教はその創始者ゴータマ・ブッダの名からまたゾロアスター教はその創始者ゾロアスターの名から、またユダヤ人の宗教であるユダヤ教はそれを生んだユダヤ族の名からそれぞれ出ているのである。その他の宗教の場合も略々両様である。しかしイスラームの場合は全く異なる。イスラームは特定な個人や国民と何ら関連がないことを顕著な特徴としている。イスラームという語は何等このような関係を含んでいない‐−なぜならばイスラームはいかなる特定の個人、集団、国家に属していないからである。
 イスラームは実際のところ一つの名称であっていかなる特定の艮族、集団、国家から生まれたものでもなければいかなる特定の社会とも関係がない。イスラームは普遍的な宗教でありその目的とするところは人間の中にイスラーム的な特性と態度を創造し開発することである。この心構えを有するものは誰でも−−いかなる人種、党派、社会国家に属していても−−ムスリムであり得る。あらゆる人々の間にあらゆる時代を通じこの心構えを有する善良な正しい人々はいたし又いるのである。そういう人々は皆、ムスリムであつたし、現にもそうである。
 ここで我々はおのずと次の問題に直面する−−イスラームとはどういう意味か。またムスリムとはとういう人のことか。
1、イスラームの意味
 イスラームはアラピア語で服従、帰依、従順等を意味する。宗教的には、イスラームは「アッラー」に対して完全な帰依と服従を表明している−‐これがイスラームと呼ばれる所以である。
※注 イスラームのもう一つの、文字通りの意味は「平和」である。これは、人間は「アッラー」への帰依と従順を通じて始めて、肉体ど精神の本当の平和を得ることができるということを意味している。このような従順な生活は心の平和を招来しひいては真の社会平和を建設する−‐編者

 我々が住んでいる宇宙は秩序正しい組織体であることが誰にでもわかる。この宇宙を包含するあらゆる構成要素の間には一定の法則と秩序がある。万物は思慮を絶した壮麗な動きをしている宇宙の中におのおの位置を割当られている。太腸、月、星そしてあらゆる天体は壮大極まりない機構の中で、互に結ぴ合っている。それらは永恒不変の法則に従い、決して定められた進路から逸脱することはない。地球は地軸を回転し太陽の周囲を回転するが、定められた道を必ずたどる。同様にこの世のあらゆるものは−極微少な電子から超厖大な星雲に至るまで−−必ず定められた法則に従う。物質、工ネルギー、生命のすべてはその法則に従いその法則に従って生育し、変化し、生きて、死滅する。人間の世界に於ても自然の法則は一目瞭然と働いている。人間の誕生、成長、生活は一連の法則、所謂生物学的な原則によって規制されている。人間は不変の法則に従って自然から生活の糧を摂取する。微少な組織から心臓、頭脳に至るまで人間の身体のあらゆる器官は人間に定められた法則に依って支配されている。要するに我々が往む宇宙は法則によって支配されているものであり、且つそこに生存する万物すべてがおのおのに定められたコースを歩んでいるのである。
 極微少なチリから天空の壮麗な銀河にいたるまで宇宙を構成するありとあらゆるものを支配するこの偉大な普遍の法則は宇宙を創造し支配し給もう神の法則である。一切のものは神の法則に従う。されば全宇宙がイスラームの宗教に文字通り従っているのである。−−何故ならイスラームとは宇宙の唯一創造主アッラーヘの帰依と服従以外の何物でもないからである。かくて太陽、月、地球、その他あらゆる天体は創造主の命令を忠実に実行するもの即ちムスリムである。空気、水、熱、石、木や動物も同様にムスリムである。宇宙の万物は神の法則に従っているからすべてムスリムである。神を信じない人やアッラー以外の誰かを崇拝する人でさえ肉体的生存に関する限りムスリムといわざるをえない。何故なら人間の全生涯‐-胎児の段階から死して肉体が土に帰するまで‐−さらに筋肉の全組織と四肢は神の定め給もうた道に従うからである。無知ゆえに神の存在を否定し多神教を唱える当の舌さえもその本質はといえばムスリムである。みだりにアッラー以外のなにものかに跪拝するその頭も生来のムスリムである。本当に無知のゆえにアッラー以外のなにものかに愛着と崇拝の念を抱くその心も直観によればムスリムである。これらはすぺて「神の法」に随順しその機能と活動は神の法則のみによって支配されているからである。
 要するに以上が人間と宇宙の真実の姿である。では別の観点から問題を検討して見よう。人間構造には二つの生活の面即ち二つの異なる活動の面がある。一つは「神の法」によって全く規制されている面でありそこからは些かも動くこともできないし一歩たりとも難れることも出来ない。またどんな方法如有なる形態を以ってしてもそれを回避することはできない。事実他の一切のものと同様人間は自然の法期に完全縛られそれに従う運命にあるのである。しかし一方人間活動にはもう一つの面がある。即ち人間は天賦の知性と理性を与えられている。人間は思慮し、判断し、選択し反駁する能力を考え方も持てるし、どんな生き方もできるし、好む主義趣向にまかせてどんな生活をも営み得るのである。自分で生活信条を規定してもよいし、他人が規定した生活信条を受け入れてもよい。人間は「自由意志」を与えられ自分の行動方針を設計し得るのである。この後者の面に於いて、人間には他の生物とは違って思想、選択、行動の自由が与えられているのである。この二つの面は人間の生活の中に明らかに並存している。
 先ず人間は他の生物と同様、生来のムスリムてあり神の掟に必ず従うし、またそのように運命づけられている。もう一つの面についていえば人間はムスリムになろうが、それを拒絶しようが自由である。人間は選択の自由を与えられているからこの自由をいかに使うかによって人間を二つに大別--即ち信仰するものと信仰せざるもの-‐することが出来る。創造主を認める人は神を己の主として崇拝し「神の法と命令」に正直かつ厳格に従い神が人間と社会生活のために示し給うた掟に従いかくして完全なムスリムになる。そのような人は自由と選択が与えられている範囲内で意識的に神に従うことを決意したことによりそのイスラーム的認識に於いていわば完璧の域に達したといえる。今や彼の全生活は神に随順を決意したものとなり彼の人間性に於いていかなる矛看葛藤もなくなる。彼の考え方は宇全なるムスリムであり彼のイスラーム信念は完璧である--何故なら全生涯をアッラーの意志に沿って生活することがイスラームであり、イスラーム以外の何物でもないからだ。
 彼はそれまで無意識的に従っていた創造主に、今や意識的に服従することになった。それまで何気なく服従していた神に今や自発的に服順をすることになった。知覚し且つ認識する能力を与え給もうた「全智全能の存在者」を認めるようになったのであるから彼の知識は本物となる。今や彼の理性と判断は確固不動なものとなる--何故なら、彼は、思考し判斬する機能を与え給もうた「全智全能の存在者」に正しく服順することを決めたからである。彼の舌もまた活す機能を与え給うた「主」の真意を確信に溢れて表明するゆえ真実なものとなる。今や被の全存在は自発的と否とに拘わらず人生のあらゆる面で「宇宙の王」たる「唯一神」の法則に従うのであるから真理を具体化することになる。かくして彼は全宇宙が帰順崇拝する主を崇拝するのであるから全世界と融和することになる。このような人は地上に於ける神の忠実な僕である。全世界はその人の為にありその人は神のためにある。

イスラムの理解へ戻る
聖クルアーンのページへ戻る
ホームページへ戻る