宗教法人イスラミックセンター・ジャパン編

聖クルアーンとハディース
(コーランとハディース)

四、クルアーンの中の証言
 聖クルアーンにはその発生、目的及び形式について述べたところも多い。これらを抜枠すると次の通りである。

(1)神の経典(キターブルラー)、神のみ言葉(カラームルラー)、神託(アッズィクルル・ハキーム)そして規範(アル・フルカーン)とみられている聖クルアーンは、神聖で信頼できる精霊、すなわち天使ガブリエルが預言者ムハンマドにアラビア語で伝えた神の言葉である。

まことにこれは、よろず世の主からの啓示である。忠誠真実な精霊が、それを持って下り、なんじの心に下された、それでなんじは警告者であろう。明りょうなアラビア語で下されたのである。(聖クルアーンニ六章一九二〜一九五節)
言え「聖霊が真理をもって、なんじの主から啓示をもたらして来たのほ、信仰するものを強固にするためであり、またムスリムたちへの導きであり吉報である」(聖クルアーンー六章一○二節)
 われは、アラビア語のクルアーンを下した、おそらくなんじらは理解するであろう。(聖クルアーンー二章二節)

(2)神託は平易な言葉で伝えられている。

 まことにわれは、理解(と記憶)のためにクルアーンを容易にした、たれかさとされる者があるか。(聖クルアーン五四章一七節)
 われはクルアーンを、なんじの舌にまことに容易にした、おそらくかれらは、さとされるであろう。(聖クルアーン四四章五八節)

(3)クルアーンは神のみ言葉であるから、いかなる部分も真似て作ることはできない。

 もしなんじらが、わがしもべ〈ムハンマド〉に下した啓示を疑うならば、それに類する一章を作ってみよ。もしなんじらが真実なら、アッラー以外のなんじらの証人を呼べ。もし、なんじらができないならば、いやできるわけもないのだが、それならば、人間と石を燃料とする火獄を恐れよ。(聖クルアーンニ章二三〜二四節)

 クルアーンの章の中には、わずか三節しかないものもあることを留意しなくてはならない。聖預言者ムハンマドと同時代の人々の中には、アラビア語と文学の大家として知られた人たちがあって、この挑戦に答えようと努力したのだが、その内容と表現力においてクルアーン同様のものをわずか数節さえ作り得なかったのである。

(4)現在我々が読んでいるクルアーンは、預言者ムハンマドが受けたものと、全く同じものである。神はクルアーンの純粋性を守ることを自らに課している。

 まことわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護する。(聖クルアーンー五章九節)
 虚偽は、それ(クルアーン)の、前からも後ろからも、近づくことはできぬ。それは、英明な方・賛美すべき方からの啓示である。(聖クルアーン四一章四二節)

(5)クルアーンは、その内容が首尾一貫しでいて、どの部分も互いに矛盾する事は決してない。そして多くの事が明確に解説してある。

 アルラーはこよなき美しい教示を、互いに似ている種々の立場で繰り返し、経典として啓示したもうた。(聖クルアーン三九章二三節)
 これは少しも曲ったところのない、アラビア語のクルアーンである、おそらくかれらは最終の悪結果からその身を守るであろう。(聖クルアーン 三九章二八節)

 かれらが、なんじ(ムハンマド)に対して出すどんな質問でも、われが真実と最上の解釈を啓示せぬものはない。(聖クルアーン ニ五章三三節)

(6)クルアーンは全人類に向って述べられたものであり、神と人間に対する神の目的について、人々の心を啓発している。すなわち、クルアーンは人生において正しい道を求めている人びとに対する現世での導きであり、また来世への喜ぴの福音である。

 まことにこれこそは、よろず世への教訓にほかならない、それはなんじらのうちたれでも、直き道を歩みたいと望む者のためのものである。(聖クルアーン 八一章二七1二八節)
 それこそは、疑念の余地のない経典であり、その中には、主を畏(おそ)れる者たちへの導きがある。(聖クルアーン ニ章二節)
 われがなんじに経典を下したのは、ただかれらの争っていることについて解明するためであり、信仰する者に対する、導きと慈悲である。(聖クルアーン ー六章六四節)
 われがなんじに下した経典は、なんじが人ぴとを暗黒から光明に、‐−かれらの主のお許しによって−−偉大な賛美さるべき方の道に、連れてくるためで、(聖クルアーン 十四章一節)


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