宗教法人イスラミックセンター・ジャパン編

聖クルアーンとハディース
(コーランとハディース)

五、コラーンの読み方
 神は次のように言っている。

  われが経典を授けた者、それを読むべき心得どうり読む者。これらの者は、クルアーンを信ずる。それを拒む者、これらは失敗者である。(聖クルアーン ニ章一二一節)

 クルアーンが、ムハンマドに対し二十三年間の永い間にわたって、一度に少しづつ啓示されたものであることを思えば、コラーンは一度に少しづつ読むものであり、この少しづつ読むということが、人ぴとにクルアーンヘの同化と、そしてもし必要ならば実際の行動を求めることになる。預言者も彼の教友たちに、そのような読み方をするように命じている。
 クルアーン研究のこのやり方は、クルアーンはバイブルと似たようなものであるという誤解をもってクルアーンに接する西欧人の読者に対し、特に必要なことである。しかし、それは事実ではない。クルアーンは歴史書でも伝記でも、また単なる名言集でもない。確かにクルアーンは、現在の旧、新約聖書や他の宗教の経典を含めて、人間の書いたいかなる書物とも異質のものである。クルアーンは、将来のあらゆる時代にわたって、人間の行動の導きとなるために、人間に与えられた神のみ言葉である。クルアーンの基本的目的は、神そのものと人間に対する神の目的に関して人ぴとを正しく導き教えることにあり、それは人生の基本的な原理をいろいろなやり方で説明し、繰り返し、そして明示することである。クルアーンの方式は、神の作品すなわち大自然と比較することができる。自然は繰り返すものであり、そして無限の変化をもっている。クルアーンも同じように無限の変化をもっている。自然は神の創造物であり、コラーンは神のみ言葉である。神は次のように言っている。

 たとえ、地上のすべての木がペンであって、また海がインクで、そのほかに七つの海をそれにさし添えても、アッラーのおことばは、書き尽くすことはできぬ。まことにアッラーは、偉力者・英明者であられる。(聖クルアーン 三一章二七節)

 自然現象を深く研究すればするほど、驚くべき事が数多く発見される。同様にクルアーンを深く研究すればするほど、宇宙と人間についての知識が増し、クルアーンの中に含まれている意義の大きさに驚かされるのである。


ホームページへ戻る