伝統と未来の交差点
東京ジヤーミイとトルコ文化センター
東京ジャーミイ(東京モスク)で配布しているパンフレットから
ただし、若干の校正をしています
トルコ共和国宗教庁
東京ジャーミイ基金
開所2000年6月30目
「・・・東京ジヤーミイが存続する限り、開設を支えた人々は、次世代の人々にすぱらしい先祖だったと思い出されるに違いない。このようなよい行いを成功に導くカを与えて下さったアッラーフにお析り申し上げる。」
トルコ共和国宗教庁長官メフメット・ヌーリ・ユルマズ
(東京ジヤーミイ基金紹介パンフレットの記事より1998年7月24目)
東京ジャーミイ基金理事会

メフメット・ヌーリ・ユルマズ:
サーミ・ウスル
セムセッテイン・ヤズルリ
アフメット・ウズノール
ジヤーミイの小史
 1917年にロシアで共産主義革命が起き、ロシアに在住していた多数のトルコ人が国外避難せざるを得なかった。そのなかで、カザン州から満州経由で目本に避難したトルコ人の多くがその後東京に定住した。マハッレ イ・イスラミッイェ協会をを作り、ジヤーミイと学校を建設した。カザン出身の故アブデクルハユ・クルバン・アリ氏及び故アプヅッレシヅ・イブラーヒム氏の活躍ぶりは特に注目にあたいするものがあった。ジャーミイと学校の建設に日本の方々からも物心両面からの援助はあった。

 長年祈りの場として役割を果たしてきたジヤーミイの建物が老朽化し、1986年に取り壊された。跡地が東京トルコ人会によって、「ジヤーミイ再建」を条件にトルコ共和国に寄付された。1997年に東京ジヤーミイ基金がトルコ共和国宗教庁長官のメフメット・ヌーリ・ユルマズを迎え、設立された。1998年6月30目に開始された建設事業は2年間で完成をみた。

 ジャーミイと文化センターの建物の区体工事は鹿島建設株式会社によつて行われた。設計はムハッレム・ヒリミ・シェナルプ氏である。そして、内外部仕上げ工事はトルコ人芸術職人の手でなされた。日本側ブロジェクト調整役は鹿島建設の伊藤澄男及ぴ若林明の両氏で、現場監督は古川鶴喜氏、副現場監督は小俣悌二氏である。トルコ側コーディネィターはサミ・ゴレン氏で、現場監督はムスタフア・イスケンデル氏である。通訳をグランチ,セリム氏が務めた。ジヤーミイのキターベにはトルコのイスケンデル・パラ教授によって以下の年号を示す詩が作成されている。
感謝、感謝開所の日を迎えたこの東京ジャーミイ
ムーミンすべてに喜びをもたらしたこのジヤーミイ
以前楽園だったのに
鳥たちが飛び去って寂しくなつていたこのジヤーミイ
日本の奇跡を感動させたトルコ人の手で
もう一度生まれ変わったこのジヤーミイ
美しい姿でよみがえらせたヒリミ
再び信者で溢れるようになったこのジャーミイ
ふた世で刻まれることになった日付
太陽の国に聖光となったこのジヤーミイ
(イスラム暦1419−1421)
東京ジヤーミイの特徴
 イスラーム文明の「心」はジヤーミイである。東京ジヤーミイと文化センターは、イスラーム文明における宗教建築の頂点を築き上げた伝統的なオスマントルコ建築スタイルである。伝統から未来を一つの空間にまとめた建築物である。わけても新しさは、伝続建築においてまだ完成をみることのなかった、一つの大ドームを中心に六つの半ドームをもつ設計になっていろ点である。伝統建築への新たな貢献として捕らえられよう。

 細部にいたるまで伝統建築のデザイン条件を忠実に守りながら、単なる模倣ではなく、オリジナルな設計の建物が完成された。東京ジャーミイにおいては、トルコ・イスラーム芸術のあらゆる分野を代表するそれぞれの作品がお互いに調和して存在している。

 ジヤーミイにおける装飾は、哲学的な背景を持つと同時に、定められた役割を担っている。例えば、ドームにおける装飾はドームの深さを感じさせ、メインドームは天蓋を表し、半ドームや内壁とともに宇宙を表現している。この装飾は、すべての存在と唯一なる神のの関係を表示すると共に四角から多角へと異なる幾何学的モチーフとなつている。これにはムカルナス(stalaktit)が利用されている。伝統とモダーンの矛盾に、「ノンフィグラチブ、アブスツレピクチヤーとも言われる」イスラーム・カリグラフィを重視し、ありとあらゆる装飾を駆使し、質素な建築思想のもとで、純枠なトルコ・イスラーム建築は出来あがった。

 ジヤーミイと文化センターの敷地面積は734平方米、建設実施床面積は1693平方米である。建物はRC造で、耐震性は高い。ドームは内部型を使わずに作られた。内外壁における石材や大理石は、特殊技術を使って金具のみで取り付けられ、接着剤は使われていない。ジヤーミイ内部のアコースティックは数千年前から使われる複数の「ドーム内部空室」をもって実現された。

 ジヤーミイの一階入りロホールは、トルコ・イスラーム芸術作品展示場として設計され、伝統的トルコ民家の応接の間が再現された。同階には多目的ホールが置かれ、金曜礼拝やバイラム礼拝のような特別の日に礼拝場として利用できる。また、結婚式や祝祭のような多目的集会にも適している。

 内部マフフイル階(バルコニー)を含む祈祷の間では630名が同時に礼拝できる。必要に応じて、ベランダと一階も礼拝場として利用できる。その場合、最大収容人数は約2000名となる。メインドームの高さは23.25米、ミナレットの高さは41.5米である。地下と一階には、多目的ホールや、図書室、展示場、会議室、管理室、アパート、(トイレ等がある。
イスラーム教とジヤーミイ
 ジヤーミイの姿は、ドームと共に宇宙のシンボルである。地球上にあるすべてのイスラーム礼拝場は「キブレ」に向かっている。宇宙の中心地点であるキヤーベ(カアバ)は、人間の最初の礼拝場であり、キブレである。キヤーベは、唯一なる神アッラーフと自然的な関係で結ばれた人間に、この世に送られた理由を人々に思い出させる存在であり、また人々を正しい道に案内する道標でもある。葦の草葉から切り離された悲しみですすり泣くように聞こえるネイのように、人間の魂もこの世のものではない。キヤーべも同じで、この世における来世のしるしとして一神教の聖なる建物なのである。人間の最初の礼拝場であったキヤーベは、預言者ハズレティ・ムハッメドにキブレとして再び指示されたこと、ユダヤ教及びキリスト教にキブレとして指示されていたクデュス〈エルサレム)のメスジデイ・アクサーからメッカにあるキヤーベの変更のは、預言者ハズレティ・ムハツメドが「ハーテムル・エンピヤー」(最後の預言者)であり、イスラーム教は最後の真の宗教であることのアッラーフからの確認である。

 イスラーム芸術は、物的なものの形より、そのものの背景にある創造主に対するの愛と素晴らしさに魅了され、影響された芸術である。物の基本をなす幾何学的数学的模様やその間でのバランスのよい複雑な関係は唯一から多数へ、多数から唯一へと永遠に往復し続ける。すべてがアッラーフによつて創造され、またすべてがアッラーフの許に戻るというイスラームの基礎概念がイスラーム芸術のあらゆる分野に影響を与えている。イスラーム芸術はただ素晴らしい作品を作ることを追求するのではなく、唯一なるアッラーフの素晴らしさを作品で表現することを目指している。

 もちろん、イスラームにとっての宇宙とその中にあるすべての被造物はアッラーフの作品である。そのアッラーフの作品を理解するための道具としての物理学、理化学、天文学などすべての学問は、聖なる事業となる。だからこそ、預言者ハズレティ・ムハッメドのハディースに、「知恵はムーミンの落し物である。みつけた所でそれを取得する。」と伝えられている。人間は、目の前にあるものをみて、そのものにこめられたアッラーフの学問の美しさを見通して新しい発見をする。トルコ・イスラーム芸術において擬人化されたものは抽象的な普遍的な形で表現される。ものの内側にある真実は外からは見えない。見える形を取り除き、そのものの創造過程から果たしている役割までを熟慮することが大切である。

 この考え方が、イスラーム芸術にテジリッド(insulation 孤立)、テキスィフ(condense 凝縮)、テルキブ(compound 調合)およぴウスルブ(stylization 様式化)をもたらした。人間の純化は預言者ハズレティ・ムハッメドをもつて完成をみた。また彼によって知らされたイスラームが産んだ文明はものを上記のように評価する。そのため、西欧文明におけろ意味での絵画や演劇、小説などはイスラーム芸術には存在しない。その代わりに、細密画、カリグラフィ、装飾などの芸術と伝説などが存在する。トルコ・イスラーム芸術におけるものの捕らえ方は、現世と来世の一体性、生と死の事実を正しく理解し、人間の安寧と幸福の実現することを目指している。

 以上の概念を持って、時間の流れと共に、イスラーム建築におけるジャーミイは、ただ人間だけではなく、その他の美しさと芸術作品の統合された聖なる空間である。また、このような理解を持って、東京ジヤーミイと文化センターは、トルコ・イスラーム文明に属する芸術を代表するカリグラフイ、装飾、タイル、石材及び大理石、金属芸術、ムカルナス、マァキヤーリ、セデフカーリ、及ぴキュンデキヤーリのような各々独立した芸術分野を日本に紹介するものである。
(( 東京ジャーミイ カリグラフィーの説明ヘ ))