Masjid Kampung Laut
マレーシア最古の木造モスク 『マスジド カンポン ラウト』ニラン=プリ
マスジド カンポン ラウト(Masjid Kampung Laut)とは
 言い伝えによると、チャンパ(現ベトナム)、パタニ(現タイのパタニ州)、ジャワ(現インドネシアのジャワ)の間をダアワの為に航海していたイスラムのウラマー達が乗った船が、パタニを出航しジャワに向かっていたところ航海中に壊れ浸水しはじめた。無事に陸地に着けばマスジドを建てると彼らはアッラーに誓った。そして船はKelantan川河口のKampung Laut(カンポン ラウト:マレー語では『海の村』という意味)に打ち上げられ、無事であった。ウラマーたちは、アッラーへの誓いを守り、地域の人の協力もえて、打ち上げられたKampung Lautにモスクを建立した。西暦1730年代のことである。
 そのモスクはKelantan川の氾濫に悩まされていたようだ。ついに1966年の洪水ではマスジドは壊滅的な被害にあった。そして、1968年コタバルの南20キロにあるNilam Puriの町のイスラム学院構内に、Kampung Lautから移転復元したものである。現存する木造モスクのなかではマレーシア最古のモスクとして、現在博物館のような存在である。
 このモスクは、金曜日の集団礼拝には使用されていないものの、それ以外の一日5回の礼拝は行われている。おそらく、金曜の集団礼拝のように多数の参加者で埋め尽くされると、その重量に持ちこたえられないからではないかと思われる。
 私は2006年12月29日のアスルの礼拝に参加した。マラヤ大学アラビア語専攻の生徒や付近の住民ちなど約十数名の参加であったが、動作のたびに木がきしむ音がした。
 17世紀〜20世紀前半まで、イスラムダアワの拠点としてウラマー達が熱弁をふるったカンポン=ラウト=モスクで礼拝できたことは感慨深いものがある。
 
看板にはジャウィで『Masjid Lama Kampung Laut』と書いてある。北側から撮影 マスジド全景とやはり木造のミッザナ(アザーンをする塔)北西側から撮影
マスジド西側から撮影 マスジド前の休憩場。北側から撮影。
 マスジド。北東側から撮影
入り口の階段 入り口
ミフラーブとミンバル
屋根裏に通じる階段 天井
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