イスラム会議
リビア国トリポリ市
2004年11月26日〜29日
11月27日(土曜日)
日の出前の満月が美しかったのでベランダより撮影。 イスラムダアワ協会本部。建物の名前はザータルイマード。5つの高い建物と、今回の会議場がある正面玄関となる3階建ての建物から成っている。
会議場となったダアワ協会本部の正面玄関 午後のセッションでイスラムダアワ大学の説明をするザイヤーディー学長。
 最初にイスラムダアワ協会代表ムハンマド アッシャリーフ氏が、会議の意義とメンバーの責任について述べたあと、シリアのワカフ大臣ザイヤード アル=アイユービー氏をこのセッションの議長に指名して会議の第1セッションが始まった。

 会議は、これから2日間、午前9時から午後1時、午後4時半から8時半と午前の部4時間、午後の部4時間その間に1回の休憩30分をはさみ行われる。それぞれ4時間ずつをひとつのセッションとし、各セッションごとにテーマが与えられ、まずは基調講演としてあらかじめ決められた弁士1人、または二人が、約30分から1時間の講演を行う。残る時間をディスカッションとして、参加者が意見や提案を述べるという形式である。
 基調講演は、論文として予め弁士が準備しいるので問題はない。ディスカッション時間帯は、発表を希望する参加者が、議長へ名前と内容のポイントを書いて提出する。その提出される発表希望者の数は、とんでもない数に上る。通常でも30から40の発表希望者が出てくる。議長は、その中からテーマに沿ったものを選んで、3分とか5分と制限時間を決め発表させるが、制限時間内に発表できる者は少なく、途中で切られることが多くなる。ただ、このディスカッション部分にとても興味深い発表が多い。発表した内容は、共同声明作成責任者が記録をしており、また、まとまったレポートしてその責任者に提出する場合もある。

 本日のテーマは第1セッションが、テーマである((21_107.われは只万有への慈悲として、あなたを遣わしただけである。))に関する審議である。第2セッションはイスラムダアワ大学学長によるイスラムダアワ大学の役割の基調講演を行った。
 意見や提案として20件ほど発表された。主なものは、外国語の重要性、近代的な設備導入、近代的図書館の完備、学生の論文力の強化、大学院の充実など。しかし、ザイヤーディー学長は、すべてを一蹴、ダアワ大学を見ればわかると豪語した。
 夜は、参加者全員がバスに乗りイスラムダアワ大学の見学に行った。
現役学生が出迎えてくれた。この写真は中国人現役学生と中国からの代表が一緒に記念撮影をしているところ。。 食事はキャンパスの特設テント内で。
食事と懇談の間中、リビア音楽隊の生合唱、生演奏。すばらしいの一語。 チェチェンおじさん、ウズベキスタンからの現役学生と話をし、記念撮影。
 イスラムダアワ大学はトリポリ中心部から5キロ?ほど離れた閑静な住宅街にある。広大なキャンパスを持ち、マスジド、図書館、男子寮、女子寮など完備しており学習環境は申し分ないほどだ。
 現在の学長は、以前私の東洋学の教官であり、卒論の担当教官だったザイヤーディー先生である。先生は、イスラムダアワ協会ナンバー2の実力者と言われているまでに出世していた。学者としてはあまりたくさん本を執筆しているわけではないが、人格者でとても人当たりがよく、講義のあと学生に囲まれるほどの人気教官だった。学長になった今でも、変わりなく会議参加者と親しく話す光景をよく目にする。大学でもおそらく学生達から気に入られているに違いない。今回はホスト役として多忙な立場なので、私とゆっくり話をする機会はないが、目と目が合えば、目で語りかけてくれる。
 私達が到着したときに、現役学生が出迎えてくれた。とくに目についたのが中国からの留学生で、中国からの参加者と話をし、一緒に記念撮影をしていたので、その場面をカメラに収めてみた。上の写真がそれである。私も話の輪に入れてもらい学生たちと話をした。
 「日本人学生は来ないのですか?」の質問があったのだが、そういえばこの大学の生徒募集要項を発信していなかった。入学条件、手続きなどを紹介するページを作らなければならない。今回しっかり書類を入手してきたので時間をみて作成しておこう。
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