あぶのアルバム
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2005/4〜
このページでは、管理人あぶのカメラがとらえた写真をアルバムとして保存しています。
もちろん転載禁止です。
 イスラム関係サイトまたは教材として使用される方は、あぶ(akira_hamanaka@yahoo.co.jp)にメールください。
解像度の高く鮮明なオリジナル画像(2240X1488ピクセルなど)を提供します。
2005/12/30 新居浜マスジド。マラヤ大学のZulkifli博士マレーシア語で金曜礼拝の説教を行う。新居浜マスジドにおける初めてのマレーシア語での説教であった。内容は、博士滞在中に急死した新居浜在住のインドネシア人の冥福を祈り、さらに、人間は早かれ遅かれいつかは死が訪れるので、その準備をしておくべきと、信仰の重要性と平素の行動の重要性へと説教を展開させていった。
2005/11/7 シンガポールのKomeng家の人々。今年のHari Raya(イードルフィトル)で、息子たち、孫たちが勢ぞろいして撮った写真である。長男のRashidが送ってきた。
 管理人あぶは、この家族の一員としてムスリム第一歩を踏み出した。その後も、母ヘンドンさんが、私を息子とて大切にしてくれた。留学先のマレーシアから帰省した時も、アラブ留学から帰った時もやはりここに暖かく迎えられた。

 いつまでもシンガポールは故郷であり、コメン家は私の第2の家族なのである。

あぶのシンガポール写真集2001
2005/11/3 広場で行われた新居浜地域のイードの礼拝は、説教の途中から小雨が降り始め、その後のパーティーでは、食事を自転車置き場に移し、傘をさして列にならぶことになった。
2005/10/18 太鼓台は、一宮神社を出てマスジド前を通り市内を練歩く。
2005/10/18 同じ町内にある一宮神社(いっくじんじゃ)はこの地方では有名な神社。祭りの際、宮出し宮入で多数の太鼓台が集まる。勇壮な男の祭り「新居浜太鼓祭り」である。
2005/10/16 ラマダーン月12日が終わり、広島県宮島の鳥居もマグリブを迎えた。写真は、夕暮れの鳥居を撮ろうと撮影ポイントに集まるカメラマンたち。
2005/10/10 今日は祝日、ラマダーンに入ってまだ6日目である。断食明けにインドネシア人に招待された。5時44分断食明けに撮影。
2005/9/23 金曜日集団礼拝の後、9月21日博士課程を修了した仲間の祝賀会をする。於新居浜マスジド。
2005/9/19 岡山市西口から徒歩5分ほどのところにあるインドネシアレストラン(ハラール肉使用)『Bintang Bali』。岡山のみならず、県外からも多数のインドネシアファンが訪れる。
本格インドネシア料理がここでは味わえる。店長であるお姉さん(日本人)の存在感は大きく、お姉さん目当てで遠くからやってくる在日インドネシア人も多い。彼らにとってはふるさとの味が味わえ、お姉さんとインドネシア語で世間話ができるのが嬉しいのだ。ハラール肉販売、民芸品販売もおこなっている。

 『Bintang Bali』電話086-255-3039
岡山市清心町5-28 清心町マンション1F
2005/9/18 京都のイスラム文化センターで日本のイスラムの現状を話し合う会議が開催された。参加者全員で、マグリブの礼拝の後、記念撮影。
写真は京都モスク。
 2005/9/12 塩山のイスラム霊園を訪ね、約2時間留まった。
 イスラム霊園はここクリック
2005/7/31 アリフィン永井彰氏と参加したインドネシア人たち記念撮影。永井氏は後列右から5人目。
2005/7/31 日本ムスリム協会のアリフィン永井彰氏が、新居浜マスジドに於いて、インドネシア語で講演を行った。集まったのは新居浜マスジドに通うインドネシア人、マレーシア人二十数名。氏の今日まで歩んだムスリム人生と、外務省勤務時代赴任したインドネシア、マレーシア、カタール、スリナム、東ティムールなどのムスリムの状況などを、時々ジョークも交えて語ってくれた。
2005/6/21 マレーシアコタバル訪問。この写真は町の中心部にあるマスジド=ヌグリ。写真集はここクリック
2005/4/29 ジュムアの後、みんな集まったので、急遽食事会となる。準備してなくても全員で動けば何でも作れるものだ。
2005/4/29 新居浜マスジドのジュムアの礼拝。普段の日は、仕事か学校でジュムアには来れないが、ジュムアが祝日に当たると、みんな集まってくる。新居浜マスジドを支えてくれるムスリム達にいつも感謝している。国籍も社会的地位も違うのに、みんな実の兄弟のように仲がいい。
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