九州イスラム街道旅行記その1
崎津天主堂・大江天主堂・熊本市
2013年8 月13 日〜8月15日
天草、熊本、大分
 お盆の夏休みを利用して、2泊3日の九州ドライブを妻と二人ですることとなった。
 目的地は、カトリック教会がある天草と、熊本マスジド、大分マスジドの3ヵ所である。それ以外に、熊本城も観光する予定である。
 2泊3日といっても初日は仕事を終えてからの出発なので、九州へ渡るのが精いっぱいだ。なんとか、夜遅く大分のホテルに着いて1日は終わった。次の日は早朝から九州路を走り、一番遠い天草を目指した。写真を説明しながら旅行を進めていこう。
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天草下島の南西を目指しひたすら走ると、衝撃の光景が飛び込んできた。漁村に立派な教会が立っているのである。どちらかというと、教会に寄り添って民家が固まっていると言った方がいいかもしれない。
 大分から天草まで300キロ以上走っての最遠目的地であった。遥々来たけどこの光景を見て疲れが吹き飛んだ。
ここ天草下島にいは、有名な天主堂(教会)が二つある。その中でも、崎津天主堂は漁村にあるという点で独特である。
 天草といえば、すぐに口をついて出てくるのが『天草四郎時貞』という人物の名前だ。16歳にして長崎県島原の原城で殉教したとされるカリスマ青年だが、現在の宇土市から天草にかけての地域で幼少時期過ごしていたようだった。
漁船と教会という一見不似合な光景。しかし、これが有り得るキリスト教が、いかに人々の生活の中に根差しているかの表れだ。日本のイスラムがそのようになれる日はいつなのであろうか? 村の中心となるバス停から、教会を臨む
現在の教会へと改築したハルブ神父の墓碑。 ハルブ神父の墓地の傍には、これ見よがしに、お地蔵さんが祭られた祠があった。この村の住民は、カトリック信者とその他の仏教・神道などの信者の2つのグループがあるのだろうが、これは、単にライバル心を表してるのか?それとも、偉業を成した神父への彼らなりの敬意を表す方法なのか?のどちらかなのだろう。どちらにしても、いい意味で、お互いアイデンティティを表明した上で、仲良く付き合っているのだろう。
大通りに面してあったお地蔵さん。ハルブ神父の墓地からは、それほど離れてない。この村は、お地蔵さんが多い。 天主堂への入口
看板に書かれた「カトリック教会の由来記」
  崎津教会は、アルメイダ神父により1569年(永禄12年)2月23日に建てられ、ここを中心にして、キリスト教は天草に栄えたのでした。
然しながら、1638年(寛永15年)の禁教令が天草で実施されてから崎津では特に激しい迫害の嵐が吹きあれました。
公然と信仰を明らかにすることを禁じられたキリスト教徒は、隠れキリシタンになり、ひそかに真夜中に一緒に集まって神を礼拝し、お祈りを献げていました。隠れキリシタン達は、生命や財産の危険をもかえりみず信仰こそ何物にも勝る宝であり、幸福の源泉であると 確く信じていました。
 この宝を子孫に伝えるために 七人の村人を先生として選び、「水方」と名付けました。此の名は水方の仕事の一つである洗礼の儀式から取られたものです。即ち、洗礼の儀式では魂の浄めのシンボルとして、水を注くことが必要とされるからです。
キリスト教徒を狩り出すために、踏絵が毎年行われました。
 明治五年(1872年)にキリシタン禁制の高礼が廃止されるや、神父は、240年ぶりに再び崎津に帰ってきて、隠れキリシタンから熱烈な歓迎をうけました。かくして 二世紀半の間 文字通り隠れて守り抜いた先祖代々の信仰を 公に行うことの出来る新しい時代が訪れたのです。此の教会は明治以来三度建て直され、現在のものは長崎の鉄川与助の施工によるコジップ風建築であります。正面の祭壇のある場所で迫害時代に厳しい踏絵が 毎年行われていました。現在この教会は崎津の四百名のキリシタン信者の祈りの家として、毎日使用されています。わざわざ訪れて下さった皆様もどうぞ御自由にお入り下さいませ。(尚神聖な場所ですので お静かにお祈り下さいます様お願いします。
世界に平和が訪れるよう 神に祈りましよう。
 自分自身の言葉でお祈り下さっても、教会の入口に置いてある、祈りのしおりを使ってお祈り下さっても結構です。平和の願いをこめて神に祈る時、もはやあなた方は単なるキリシタンの夢の島への歴史の探究者ではありません。平和な世界の協力者、平和のための巡礼者となられるのです。
ゴシック風の教会建築だが、実は日本人教会建築家の鉄川与助氏が設計したものだ。   通路は絨毯敷きだが、それ以外は畳である。
信者の方は、靴、靴下を脱いではだしで上がっていた。とても大切にしているのがうかがえる。
  崎津の墓地、一般のお墓に交じって、十字架型にカットした墓石も多数目に入る。
崎津天主堂から5キロ離れたところに大江天主堂がある。  小高い丘の上に立つ大江天主堂
こちらは、ロマネスク風な大江天主堂。やはり日本の教会建築家鉄川与助氏作。 お墓の上に十字架、または墓石に十字架が刻まれている。家紋も必ずと言っていいほどついている。
 大江天主堂の説明。熊本県庁が作成したもの。
ガルニエ神父は、母国に帰らずこの地で献身的な活動を行った。  
大江天主堂から苓北町を目指し国道389号線を走る。 夕日の美しい松島町で、日没を撮影。
熊本市に入れば熊本マスジド直行だ。ここでイシャーの礼拝に参加。
 マグリブ、イシャーといった夜の礼拝は、仕事を終えた人たちが集まる交流の場でもある。旅人が居れば会話もはじまる。
 写真は礼拝後のマスジド。父親に連れてこられた女の子が立ち、近くでは遅れてきた別の親子が礼拝をしている。子供たちの社会勉強の場でもあるようだ。
日本三名城のひとつ熊本城が見えるホテルに夜到着
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