コタバル訪問記2006
2006年12月27日〜31日
 

 昨年6月一人で旅行に来たコタバルに今年は妻と共にやってきた。昨年私が大量に書籍を買ってきたJaffar Rawasという書店に行ってみたいとういう妻の希望に応えてのことである。それから、私とすれば昨年見れなかった現存するマレーシア最古の木造モスクMasjid Kampung Lautを見ること、長く会っていないアハマド氏の消息を知りたいということもあったのである。
 さて、写真を見ながら進めていこう。

ホテル プルダナ(Hotel Perdana)という町の中心より少し南にある歴史を感じるホテルに宿泊した。写真は朝食バイキングのお皿の上。 ホテルの近くの街道の分岐点にあるKBモール。この町も郊外型大型ショッピングセンターが流行る時代となってしまった。なにか寂しく感じる。
KBモール内のフードコート。 KBモールから見た街道の分岐点となる交差点。
Nilan Puriに向かう途中、街道から少し入ったところ、田んぼのど真ん中にPondok(昔のスタイルのイスラム神学校)があった。車を止めて見学することにした。名前は『Pondok Tunjong』(マレー語で『蓮華寄宿神学校』とでも訳しましょうか) Pondok の中心部分にマスジドがある。通常このマスジドと隣接して、Pondokのシェイフ家族が住んでいる。
そして壁に囲まれた同じ敷地内に女子寮がある。この女子寮内では共同生活を行っている。 女子寮の裏側からモスクを臨む。車は私の乗ってきたタクシーでこのPondokとは無関係。
 もともとPondokとは、シェイフ(イスラムの教授)の周りに生徒が集まり24時間共同生活を送りながら、Pondok所有の(寄付されたものが多い)田畑で農作業も行いながらイスラムの勉強を続けていくマレーシアの伝統的なイスラム神学校である。近年はこのような伝統的な神学校は姿を消し、新システムの神学校と衣替えをしている。
 このPondok Tunjong校も、寄宿舎、マスジドの配置は伝統色を残しているが、学習カリキュラムなどは新システムを採用していると思われる。
 私が1970年代に学んだ神学校Pondok Batu38, Sabak Bernamも同様の配置であったが、州立校となり校名もSMAT(Sekolah Menengah Arab Tinggi)と変わり、シェイフは校長となり、新システム移行を誇らしげに、校名を『スマート』などと呼ぶんでいた。ちょうど、その移行期に私は学んだのであった。
道を挟んで、すこしオープンになっているキャンパスがある。ここには教室(右手の2階建て)と男子が生活する小屋群(正面)がある。マレー語ではこの小屋のことをPondokとも言う。
Nilam Puriにあるマレーシア最古の木造モスクMasjid Kampung Laut。1730年頃の建立。
Masjid Kampung Lautの写真集はこちら>>
Masjid Kampung Lautの東隣にあるKolej Islam Antarabangsa Sultan Ismail Petra (KIAS)
Masjid Kampung Lautと道を挟んで西向かいにあるマラヤ大学のアラビア語アカデミー。 Masjid Al-Sultan Ismail Petra。コタバルの南東約10キロのクバン=クリアン(Kubang Krian)にあるクランタン州最大のモスク。
マスジドのゲート。 街道から臨むクバンクリアンのモスク。
マアハド=ダールンノール神学校のモスク。PASの指導者でありクランタン州の大臣であるNik Abdul Aziz bin Nik Mat師の自宅はこのモスクに隣接している。 マアハドの教室。Pondokとしては近代的な大規模校である。
マアハド ダールンノールの寄宿舎。 コタバル中心街のショッピングセンターにあるムサッラー(マレー語でSurau)。礼拝時間になると次々と買い物客が足を止めて礼拝を行う。
泊まってたホテルプルダナの敷地内にあるムサッラー。宿泊客がやってきて、複数になればイマームを決めて礼拝を行う。2,3日も泊まれば礼拝友達ができてします。 12月31日クアラルンプルに戻ってきた。2007年の新年カウントダウンが行われKLCC 公園では花火が打ち上げられた。花火より、ツインタワーの方が高い。