コタバル訪問2

2005年6月20日〜22日
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 最初コタバルに来た時に最も記憶に残っていたのは、町の中心部にあった市場である。今では、新しくできたシティ=ハディジャ市場(観光ガイドでは『セントラルマーケット』と呼ばれている)が町の台所の役割を果たすようになっていた。
 以前の市場は観光ガイドでは『オールドマーケット』と呼ばれているようだ。
 オールドマーケットの中は今では飯屋さんが並んでおり、ひっきりなしにお客が入ってくる。以前の町の中心だっただけに、この周辺は商店街である。  オールマーケットの北側はバスステーション、タクシースタンドがあり、人で溢れていおり、いまだに町の中心と言える。これは、郊外に向かうバスステーションの写真。女性ヒジャーブはカラフルだ。
 オールドマーケットの南側の商店の一角に政党PASの建物がある。その一階にJaffar Rawas書店がある。実は私の今回の目的はこの書店でたくさん本を買うことにあったのだ。  イスラムの本しか扱ってない書店。とんでもない数の書籍があり、素晴らしいの一言。わざわざここに来た甲斐があったというもの。どうしてコタバルのような小さな町にこんなに大きな書店があるのだろうか。一般のお客さんも多いが、宗教学校の教師がテキストとしてまとめ買いをしていく姿も目に付いた。私も約40キロの書籍を買って帰った。
オールドマーケットの近くの繁華街。  今日の朝飯は屋台でナシルマ(Nasi Lemak)。バナナの皮の上で食べる食事は美味しいものだ。
 
 さて、今度はホテルからシティ=ハディジャ市場(セントラルマーケット)を目指してみた。ホテルからわずか徒歩2,3分の距離にある。
 まず目に入ったのは、人力タクシー『ベチャ』(Beca)。クアラルンプルにも昔はあったが、この町ではまだ主力として活躍していた。すぐにカメラを向けた。  市場の建物のまわりにも多くの店が立っている。
 市場は活気がある。  肉や魚を売っているドーム状になった市場の中心部。売ってる人も、買ってる人も女性が多い。いかにもコタバルの台所という感じだ。
市場に隣接するマスジド=バラー。買い物客が次々に入って礼拝していた。イスラムの礼拝所とは、俗生活の中で役割を果たすことに意義がある。まさにそのとおりである。  市場を西側に出ると小奇麗な公園があった。その真ん中に立つ時計台は・・・・・岡山県笠岡市が贈ったものらしい。時計台にはカブトガニのレリーフと『Kota Bharu Kasaoka』の文字があった。
 両市は産業友好握手都市とのこと。
 参考までに・・・・、カブトガニがいつもツガイで居ることから、マレーシアでは「カブトガニのような夫婦」と言うと、いつもべたべたとくっついているという比喩で使われている。
 シティ=ハディジャ市場の西隣には3階建ての大きなショッピングセンターがある。その中にテナントとして衣料品の店ばかりが入っている。  色鮮やかな婦人服が並んでいる店ばかりである。この町に、どうしてこんなに婦人服の店が多いのか不思議だ。シティ=ハディージャ市場の3階、このショッピングセンター全館が婦人服、商店街にも多数の婦人服店がある。そういえばこの町はバテック生産で有名な町だった。
 
 3日間のコタバル滞在はあっという間に終わり、空港へ行った。座席数約150の航空機は、行きも帰りも満席という盛況ぶり。チェックインカウンターが開く前の客たちを撮影した。女性のヒジャーブはここでもカラフルである。バテックの町、イスラムの町 コタバルに相応しい光景である。
 
 22日夕方、クアラルンプルに戻ってきた。見慣れたマスジド=ジャメの写真。
 クアラルンプルでは、コタバルで買えなかった書籍を探すこと、プロバドミントンチーム『Nusa Mahsuri』との打ち合わせが主な目的である。
 また、イスラム掲示板を通して、国際イスラム大学留学中の日本人ムスリム学生たち、女性ひとりでビジネスにがんばっているHindさんと連絡が取れ、6月23日スリア=ショッピングセンターで会うことになった。
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