サラート・礼拝 |
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一、イスラームの教え |
イスラームとは |
イスラームはアラビア語で「平和」を意味する語源が転化したことばで、「服従、帰依、従順」などの意味もあり、宗教的には神に対する完全な帰依、服従を表わすものです。いつも唯一神アッラーの教えを守り、アッラーを敬愛することによって、愛護され、
恐れや憂いを感じることのない心やすらかな状態に導かれます。そして肉体と精神が真の平和を獲得し、各自が自分の持てる力を最大限に発揮して、現世と来世において
限りない幸福を享受できるよう説いているのがイスラームの教えなのです。ここでは以下簡単にイスラームの信仰の基幹である六信五行にふれるだけで、詳細は
他の機会に譲ることにします |
イスラームの六つの信仰 |
1. アッラーを信じること。
2. アッラーの天使達の存在を信じること。
3. アッラーにより啓示された諸経典を信じること。とりわけクルアーンは最後の完全なものである。
4. アッラーにより遣わされた預言者たちを信じること(特にムハンマド−彼の上に
平安あれ−は最後の使者である)。
5. 審判の日・死後の世界の存在を信じること。
6. 人にはアッラーによって定められた運命があると信じること。 |
イスラームの五つの行 |
1. 信仰の告白
「ラー イラーハ イッラッ=ラーフ ムハンマド ラスールッ=ラー」 アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーのみ使いである、と唱えること。
2. サラート(礼拝)
これは五つの行のうち最大の柱で、一日五回捧げます。
3. サウム(断食)
イスラーム暦の九月(ラマダーン)の29日間か30日間、黎明から日没までの間、飲食
はもちろん、さまざまな欲望を断ってアッラーの喜びのために専心するのです。
4. ザカート(喜捨)
ムスリムは、自分の蓄財(1年間蓄えた財産の一定部分)を喜捨します。また貧しい人や孤児や、神のために努力する者のためにこれを施さなければなりません。
5. バッジ(巡礼)
1年のうち特定の一時期に、イスラームの聖地メッカにあるカアバ神殿へ参詣し、種々の行事を行うこと。充分な体力、時間、資力を備えるムスリムは、少なくとも一生に一度はこれを実行しなければなりません。
以上のようにイスラームの教えは六信五行から成り立つ簡明なものですが、同時にそこには深い哲理も含まれているのです。 |
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二、礼拝のしかた |
礼拝の意義 |
サラート(礼拝)は、イスラームの五つの行の中で最も重要なもので、み使いも「礼拝はイスラームの柱で、天国への鍵である」と言っています。毎日義務の礼拝として五回行いますが、それは常にアッラーの教えを守り、かれを讃美し、かれに服従を誓 い、その導きと助けを求めて祈り、信心を深めるために行うものです。澄んだ心でアッラーと対話することです。怠惰な気持ちを退けて、厳粛で真剣に礼拝に立ち、定め られた文句を唱えるのです。そうすることによって誰でもアッラーの無限の恩恵にあづかれるのです。
多忙な現代生活の中では、定められた時間に礼拝を捧げるのが困難な場合もありますが、そんな時には、満員電車の中ででも、礼拝を捧げることはできるのです。むしろ、工場で働く人のような場合でも、昼休みに礼拝を行うことによって、午後の労働への新しい活力となり、心が落着き、事故などの防止にも役に立つでしょう。定められた形を守るというのは言うまでもないことですが、礼拝は各自とアッラーとの大事な
精神的交流の問題ですから、その時の状態に応じて、最も良い道を求めて善処すればいいのです。正しく真摯な礼拝にたいしてこそアッラーの大きな恩恵があるのです。 |
礼拝に際して注意すべき点 |
(イ)世界のどの地にいても、正しくキブラ(メッカのカアバ神殿の方角)に向うこと。
(ロ)身心を清浄にすること。
(ハ)定められた時間帯内で、定められた礼拝をすること。
(ニ)必ずニーヤ(意志表明)を行うこと。
(ホ)服装に関しては,男性は最低限へそからひざまでの部分は衣服を身につけるこ と。女性は、手と顔以外はすべて衣服でおおうこと。以上5つの点が守られていないと、礼拝は無効になります。 |
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アザーン |
さて礼拝の時刻が訪れると、一人がムアッズィン(礼拝時間がきたことを告げる人)
になって人々に礼拝への呼びかけをします。その朗々と響きわたる呼びかけをアザーンといいます。ただし女性はアザーンをしてはいけません。
@ アッラーフ アクバル (4回唱える)
A アシュハド アン ラー イラーハ イッラッ=ラー (2回)
B アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッ=ラー (2回)
C ハイヤー アラッ=サラー (2回)
D ハイヤー アラ=ル=ファラー (2回)
E アッラーフ アクバル (2回)
F ラー イラーハ イッラッ=ラー (1回)
<意味>
@アッラーは偉大である
Aアッラーの他に神はないことを証言する
Bムハンマドはアッラーのみ使いであることを証言する
C礼拝のために来たれ
D成功のために来たれ
Eアッラーは偉大である
Fアッラーの他に神はない
なお早朝の礼拝(ファジュル)の時はDの次に以下の文句を2回加えます。
アッ=サラート ハイルン ミナン=ナウム
<意味>
礼拝は睡眠にまさる
なお、人々はアザーンを謹聴し、その場で各節ごとに、各自それを口中で復唱するこ
とか望ましい。また、CとDの際にはそのまま復唱しないで、ラー ハウラ ワ ラー クウワタ
イッラー ビッ=ラーヒル=アリーイル アジーム(アッラーの他に力はない)と、それぞれ唱えます。
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タハーラ(洗浄) |
礼拝の前に身心を清浄にするため、タハーラを行います。タハーラには次のようなも のがあります。
1. イスティンジャー
トイレで用を足した後、液体または固型物によって排泄器官を洗浄すること。通常 、左手を用いて水で洗い流すのが良いとされています。しかし水が無い場合には、清潔(ターヒル)な紙や石のような固型物を用いても良いことになっています。
イスティンジャーは、礼拝をするしないにかかわらず、ムスリムがトイレで用を足し
た後に必ず実行しなければなりません。
2. ウドゥー
「清潔は信仰の半ばである」とみ使いも言っていますが、アッラーの前に立つにあた
っては、心身ともに清浄にして、邪念を退けねばなりません。
そこで礼拝にさきだって水場へ行き、身体の特定の部分を定められた順序で浄めます 。用水は、洗面器を使わず、蛇口から流れ出る水を右手のひらに受けて用います(一度使用した水をもう一度使用してはいけません)。これをウドゥー(小浄)といいます。 |
<ウドゥーの方法>
@ニーヤ(意志表明)として「不浄をきよめるためにウドゥーをします」と唱える。
Aバスマラを唱えます。バスマラとは「ビスミッ=ラーヒッ=ラフマーニッ=ラヒー
ム」という文章のことで、その意味は「仁慈あまねく慈悲深き、アッラーのみ名によって」ということです。
B両手を手首まで三度洗う。
C右手に水を受け三度口をすすぐ。
D右手に水を受け三度鼻孔に吸い込み、すすぐ。
E顔を額の髪の生えぎわからあごまで、また両耳のところまで三度洗う。
F右腕次い左腕を、肘のところまで三度洗う。
Gぬれた両手のひらで頭を前から後になでおろす。
Hぬれた指で両耳孔と外側をぬぐうのがよいとされている(随意)。
I右足次いで左足をくるぶしまで水を注ぎながら三度、指の間までよく洗う。
以上でウドゥーは終りますが、各動作は連続して行います。
<ウドゥーの失効>
なおウドゥーを行った後で下記のような行為があった場合は、再びウドゥーをやり直
さなければ礼拝を捧げても無効です。
@睡眠、A放庇、B尿便、C嘔吐、D流れる出血、E失神、F性交その他により精液
をもらした時。
3. グスル 全身を洗い浄め、ることをグスル(大浄)といい、次の様な行為のあった時に行います。
@異性と交わった時
A夢精のあった時
B月経やお産をしたあと等
<グスルの方法>
@イスティンジャー、つまり排泄器官の浄めを行います。
Aニーヤ(意志表明)として「不浄をきよめるためにグスルをします」と念じます。
Bバスマラを唱えます。
Cウドゥーを行い、特に口は充分にすすぎ、鼻孔も指を入れてすすぎます。
D体の汚れた部分をまず洗います。頭から水を三回かぶり、頭髪を含めて足の爪先ま
で、あますところなく水でよく洗います。
4. タヤンムム
場所によって水が得られなかったり、病気のために水の使用が不可能なときグスルや ウドゥーの代りに行う浄めをタヤンムムといいます。
<タヤンムムの方法>
@ニヤ(意志表明)として「不浄をきよめるためにウドゥーまたはグスルの代りにタヤンムムを行います」と念じます。
Aバスマラを唱えます。
B両手で乾いた土や石、あるいはそれに準ずるもの(自然のもの)に触れます。
Cその両手のひらで顔全体を一回なでおろします。
D手首のところまで手の内側と外側をなでます。
E右腕それから左腕を手首から肘のところまでなでます。なお、水が手近にある場合
にはタヤンムムは行わないが、タヤンムムを行ったあとすでに礼拝に入っている時はそのまま続けても構いません。
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イカーマ |
イカーマは義務(ファルド)の礼拝を捧げる直前に唱えるもので、礼拝が今始まるぞ
、という呼びかけです。その内容はアザーンとほとんど同じですが、Dの後に次の文句を二回唱えます。
カド カーマティッ=サラート
<意味>
礼拝はまさに始まれり
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