ムアンマル・アル=カッダーフィの直接民主主義の原理について
2011年10月30日
カーリド木場公男
慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名によって
序文:
 アフリカ全体の考察は、コロンビア大学の教授であった Prof. Schachtによってその著書『Legacy of Ialam』でまとめられている。今、その要約でアフリカ全体のイスラームの様子がそんなものであったかを顧慮したい。
(1)西は、セネガル→ソマリア
 50millionのムスリム、それに対し、キリスト教とアフリカの宗教(tribal group)が相対している。
*Prof. Schachtは、すべてのムスリム領域の可能なイスラーム法の文献にタッチしている。
(2)イスラームは、今も進展中の進行形であるが次の諸点に注意。
@スワヒリ文化との関係
Aイスラームとアラブはまったく同じではない。
Bスーダンはアラビア語を100%使う。
Cナイジェリアは、ムスリムは他と較べ圧倒的に多い。
Dギニア、セネガル、マリ、ニジェールは、ムスリムはmiddle classで多い。エチオピア、タンザニア、エリトリアも同じく中等のムスリムが多数。
*スーダン、ザンジバルはイスラームは圧倒的。ソマリアも同じ。
Eケニア、ウガンダ、マラウィー、ザンビアとコンゴはムスリムは少数派。
Fリベリア、ガーナ、トーゴもムスリムは少数派。
(3)イッダ(待婚期間)は、大体守られている。服装はまちまち。ディア(血で殺人を償うこと)はその程度に差がある。
(4)キャラバンルートは、紅海に至るものがしっかりしている。次の文献の指示。
*E.W.Bovill, Caravan of Old Sahara, London,1933
又、名高いムスリムのリーダーMensa Musa(1312〜37-Mali), Ashia Muhammad Songhay (d.1528)
*私のほかの書いたものでは、イスラーム世界を5つに分けた。
中央イスラーム、西方イスラーム、東方イスラーム、南方イスラーム、北方イスラームの5つ。その中での西方イスラームは次の5つ、エジプト、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコである。
*スペインのウマイヤ朝はカットしてあるアッバース朝の追求の手を逃れスペインでムスリムの国政を打ち立てた初代アブドル・ラフマン1世は、花も実もある将軍、また、アミールでもあって、コルドバにシリアより取り寄せた樹々が立派になったのを見て、「われの如く汝もまた異国の土に育ちぬ。ふるさとをはるかに去りて・・・」と長い詩をのこした。
第1章 統治のシステムにおける逆三角形の理論。
1、アブド(忠僕論)
1)アシュハド、アン、ラー イラーハ、イッラッラー。アシュハド、アンナ、ムハンマダン、ラスールッラーとイスラームの入信でも唱えるアブドは、逆三角形の理論で、ウンマ・イスラーミヤ(ムスリム共同体)の一番そこで支持的機能(sustainaing function)をもつものである。
2)あるときのこと、預言者ムハンマド(平安が彼の上にありますように)は、教友(サハーバ)と共に砂漠を旅したことがあった。そのとき水が不足した。サハーバの一人が水を預言者ムハンマド(平安が彼の上にありますように)に一番初めに持ってきた。その時言った「預言者は最後に水を飲む」と述べて「あなた方が先に飲みなさい」と言った。
2、サハーバ物語(三田了一師)にもあるようにカリフ・ウマル(第2代目)が夜警に立った。あう家で産気づいたのに誰もいない。カリフ・ウマルは自分で火をおこし、湯を沸かした。黒い煙が彼の顎鬚のところで二つに分かれて流れていた。これも逆三角形の理論にあう。(似つかわしい)
*逆三角形の理論というのは、統治のリーダーがウンマ(共同体)の底にいて、支え持つ統治の理論である。
3、サハーバ(教友)の物語で、また次のことが言われる。
 カーディシーヤの戦い(ペルシャとの激戦)のニュースを待ちわび、ペルシャからの道路に毎日、道路脇に座って待っていた。ある日、ペルシャからの道を、一人の馬に乗ったムスリムがやってきた。カリフ・ウマルは立ち上がって使者の馬の首にくっついて、カーディシーヤはどうであったかを聴いた。その馬上の使者は、「アッラーはムスリムに勝利を給わった。」と述べた。メディナの市中に入ると人々がアミール・ル・ムッミニーン(信徒と長)にふさわしい礼をするのを見て、馬上の使者は小声で、「どうして、道端にいらしたときに、私はアミール・ル・ムッミニーンであるといってくれなかったのですか?」と言った。カリフ・ウマルは、「それは何でもない」と言って更に戦況の模様を聞きたがった。
 このケースもまた、逆三角形の統治の理論によくマッチする伝承である。
第2章 東洋の故事における統治の逆三角形の理論
1、華胥(カショ)の国
伝説ではあるが、黄帝は理想郷の華胥の国に夢の中で行った。そこには支配者はおらず、自然に任せて社会が落ちつく。愛憎もなく利害というものもない。美醜に心を乱されることも無い。その宮殿は9層で崑崙山の上にある。竜に乗って天上に行く時、弓を取り落とした。人々はその弓を抱いて号泣した。
2、尭帝の鼓腹撃壌の話
1)尭帝は都を平陽においてはいたが、宮殿は茅葺で軒先をきりそろえもせず、きざはし(宮殿の階段)は泥を固めた三段であった。統治の任にいること50年に及んだ。苦情を申し立てるものもなくなったので、本当に良く統治がされているかを知るため、平服で大通りに出た。
2)お百姓の老人が腹鼓を打ち、足拍子をとって歌っているのに会った。
 日が昇れば、野良仕事
 井戸を掘って、渇きをいやし
 地を耕して、米をたべる
 帝力何か我にあらんや
3)これをきいた尭帝はにっこりとほほえんだ。
 *解釈は彼の公行政はまったく正しい。
第3章リビアの直接民主主義のシステム
1)リビアは1969年イドリス王朝の王制を廃止、革命評議会が内政をとり、1977年3月人民主権確立宣言を行った。
2)1979年3月カダフィーがすべての公職を辞任した。
3)人民委員会などのシステムを改革して革命評議会を廃止、直接民主制の施行に入った。
4)直接民主主義のデモクラシーでは、人民をすべて何らかの職能団体に分類することが必要である。
5)そうしてまず、Basic Popular Conferencesに人民をすべて分類する。
*これは技術的に相当むつかしい。
6)それぞれPopular People ConferenceはそのSecretariatを選ぶ。
7)そのSecretariatはさらにそのConference(直接顔を合わす数)を、上層に各職能団体で積み上げていく。
8)そうして、全国的の人民会議(Popular Peoples Conference)に集約しなくてはならない。
*各Basic Popular Conferences: Conferenceは、一人のSecretaryを選ぶ。そして意見もひとつに集約しなくてはならない。
9)全国的のPopular Peoples Conferencesは9つもしくは10のセクターより成る円卓会議を形成する。
 10)このシステムは、どういうメリットがあるかというと
@多数の政党の存在を必要としない。
人民の構想の内に野卑な利害対立を力でねじ伏せる力を必要としない。
ATribal Sectarian Systemの階級というものは必要としない。これは完了のシステムを必要としないので小さな政府を形成できる。昔はBlood Relationshipより、地縁的関係に進化したが、中選挙区は多大な選挙費用を必要とする。また、小選挙区は選挙幾何学によって支配政党以外の者が当選しにくいのである。
B51%の人の多数決は49%の少数意見のものに対し、Dictatorial Governingに導く。少数意見は圧従せれる。
*直接民主主義はそのようなことにはならない。
11)Pressとか、石油とかの問題については、特別の委員会あるいはSpecialzed Agencyで行う。これはセクレタリー(書記)を出して組織をするから官僚の如き組織は不用である。
*カッダーフィー氏はすべての公職を辞任している(1979年3月)ので、逆三角形の底にいるSecretary-GeneralあるいはGrand Mastreにあたるので権力行政の独裁者でなかろう。
第4章 Popular Peoples Conferenceの数の取り方について
1)すでに述べた全国的のPopular People Conferenceの円卓会議は9つのセクターにより成るSecretaryの会議である。何故9つであるか?それらのセクターのひとつは一般の国家のシステムでいう大臣に当たる。
2)1つのSuggestionであるが、これはスーフィズムのタリーカのシステムでとる数であってもよいし、また、中国の禹の聖王にその道統が伝えられていた洪範九疇の9であっても良い。9人の大臣が禹を助けた。
3)その9つの大臣とは、
@司空(しくう)=総理
A后稷(こうしょく)=農林大臣
B司徒(しと)=文部大臣
C士(し)=法務大臣
D共土(きょうこう)=産業大臣
E虞(ぐ)=環境大臣
F秩宗(ちっそう)=宗教大臣
G典樂(てんがく)=内務大臣
H納言(のうげん)=行政管理又speaker
4)洪範九疇の古来より伝承の大法は、孔子も勉学したのでないかと思われるが、すでに鬼神その他不純な要素が混入していた。伝承が確定しにくいので怪力を語らずとして敬遠し、礼法を集大成したものと考えるものである。
5)9つに分類される大いなる範(法)は、永久法(lex aeterna)の鋳型にのっとった軌跡も、今日全体像ははっきりとはしない。しかし、トーマス・アクィナスの神学大全、90〜96問をみれば、法について述べているので大略は理解できる。
6)又、ロマ書1〜20で、「神のみえぬ性質、すなわち神の永遠なる神性は、天地の創造このかた被造物に知られていて、明らかに認められるところである。従って彼らに弁解の余地はない」といっている。
7)又、イスラームの聖なる啓典クルアーンは、第41章12節−第67章5節、又第65章12節をみれば、そこに構成の教え(schichtenlehre)であることは明白である。
8)一般に、アフリカのスーフィズムのタリーカの伝統はSchacht教授のLegacy of IslamによればTijaniya Order
*Ahmad al-Tijani of Fez d.1815
Maridiyya Order,
*Ahmad Bomba, d.1927
墓はセネガルにある。
9)全国の人民全部を職能団体に分類するのは、もれきく、わが経済企画庁も産業連関分析によっていた。
 それに少しそれに少し補足すると可能と思う。どうか、至高なるアッラーがわれわれを導いてくださいますように。 アーミーン
 
 

 
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