あらゆる称賛は、万有の主アッラーのもの。預言者ムハムマドに祝福と平安がありますように。
信者たちよ、本日のホトバは、イスラームの新年を迎えての、心懸けと決意についてである。
ヒジュラ暦の新年を迎えたところである。年月の経過というそのものは、繁栄や成功の為の現実的な要因となるような構成要素であるとは限らない。それはむしろ、過ぎた年月の中でアッラーの命令に従い過ごした時間をもって数え上げられるものである。過ぎた年月をアッラーの命令に従って過ごしていたならば、繁栄や成功に満ちたものとして考慮され、一方、アッラーの命令に従わないで過ごしていたならば、哀れむべきものとみなされるであろう。それ故に、最も邪悪な人間とは、長生きしながら終始悪事を犯し続ける者である。アッラーの命令に従いつつ新しい年、新しい月、新しい日を迎える事が必須のことである。我々は、自分自身の責任を問い、自分が犯した悪い行いからの償いをし、妻、子供、親戚に対する自分の責任を正しく果たさなければならないのである。アッラーのしもべである信者たちよ、アッラーを畏れ、審判の日に問われるであろう事柄に対して責任をもって正しく果たしなさい。
アッラーは、クルアーン・禁止章において次のように述べておられる。
「お前たち信仰する者よ、人間と石を燃料とする火獄から自分自身と自分の家族を守りなさい。そこには厳格で痛烈な天使たちがいて、アッラーから命じられたことを違えることなく、言いつけられたことを実行する。」(66章 6節)
アッラーのしもべである信者たちよ、毎年の新年の到来は、多くのムスリムによって、心から決意を改め、向上を計画し、主により近付こうとすることで、注意が払われる。しかし、各人の実情といえば従来通りのままで、日時は何時しか過ぎさって行くものである。そうした失敗のお決まりの結果は、現世と来世での損失となり、恥となるのであろう。それ故、我々は、アッラーの命令に従う自分の時間を蓄積し、年を追う毎に自分自身の信仰上の状態が向上するのを確かなものとするべきものである。なぜなら、多くの時間が自分の許からから去って行き、我々は墓の方へとより近付き引かれて行っているのであるから。
アッラーのしもべたちよ、アッラーに誓って、我々の現世における向上というのは、もし宗教上の生活が同時に向上して行かないならば、全くもって自分を良くするものではない。誓って言うが、現世で主の命令に服従することなく品位や高位を自分のものとして達成することは出来得ないと言うことである。安全、静穏や繁栄は、アッラーの御使いさま(祝福と平安を)をお手本として取り入れない限りは得られるものではない。あなたたちの誰でも、悪事に染まり、道から外れながら繁栄や快楽を求めるとすれば、アッラーにより間違いのない破滅を前途に用意されてしまっているが、ただ猶予されているに過ぎないというのは確かであり、その事は極めて明確なことである。それであるから、我々は皆、アッラーによる処罰から自分を守る為にアッラーの命令に対ししっかりと立ち向かわなければならないのである。
アッラーは、クルアーン・御光章において次のように述べておられる。
「…お前たち信者よ、皆一緒に悔悟しアッラーに返れ。必ずお前たちは成功するであろう。」(24章 31節)
ヒジュラ暦の新年を立証するに当たっては、それの計算は月を見ることによって行う。
アッラーは、クルアーン・悔悟章において次のように述べておられる。
「誠、アッラーの御許では、(1年の)月数は12ヶ月である。アッラーが天と地を創造された日(以来)、アッラーの書冊の中の定めである。その内、4(ヶ月)が聖(月)である。それが正しい教えである。だからそれら聖月中に、お前たちは互いに不義をしてはならない。」(9章 36節)
アッラーよ、私たちを、あなたさまを何時でも顧みる善い信者の一人となるように御導き下さい。
アッラーよ、私たちが正しい道を歩む事が出来るように御加護下さい。私たちの信仰心を強くして下さい。
アッラーよ、日本中に、世界中にイスラームを広められるように御力添え下さい。
アッラーよ、イスラームとムスリムたちの為に奉仕出来るように力と御加護を御与え下さい。
アッラーよ、病気の者たちを御治し下さい。仕事の無い者たちに清い仕事を御与え下さい。
アッラーよ、仕事に成功を、そして安心と安全を御与え下さい。アミィーン。