23/10/2010
Emailイスラーム講座
Lesson30
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
 アッサラームアライクム。イスラミックセンターからのEmailイスラーム講座の第30回のレッスンをお届けいたします。

イスラーム信仰の第4の柱
諸使徒を信じること

聖クルアーンの句と預言者ムハンマド様(彼に祝福と平安あれ)は至高の愛と慈悲、そして平安を実証しています。

例えば、天国の門が開かれ、アッラーの許しとアッラーからの嘉しは、渇きに打ちのめされていた犬に水を与えた男に与えられました。

عَنْ أَبِي هُرَيْرَةَ رَضِيَ اللَّهُ عَنْهُ أَنَّ رَسُولَ اللَّهِ صَلَّى اللَّهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ قَالَ بَيْنَا رَجُلٌ يَمْشِي فَاشْتَدَّ عَلَيْهِ الْعَطَشُ فَنَزَلَ بِئْرًا فَشَرِبَ مِنْهَا ثُمَّ خَرَجَ فَإِذَا هُوَ بِكَلْبٍ يَلْهَثُ يَأْكُلُ الثَّرَى مِنْ الْعَطَشِ فَقَالَ لَقَدْ بَلَغَ هَذَا مِثْلُ الَّذِي بَلَغَ بِي فَمَلَأَ خُفَّهُ ثُمَّ أَمْسَكَهُ بِفِيهِ ثُمَّ رَقِيَ فَسَقَى الْكَلْبَ فَشَكَرَ اللَّهُ لَهُ فَغَفَرَ لَهُ قَالُوا يَا رَسُولَ اللَّهِ وَإِنَّ لَنَا فِي الْبَهَائِمِ أَجْرًا قَالَ فِي كُلِّ كَبِدٍ رَطْبَةٍ أَجْرٌ " ( صحيح البخاري: 2190)
アブー・フライラ(彼を嘉したまえ)によると、神の使徒(彼に祝福と平安あれ)は語った。或る男が歩いているとき、烈しい渇きを感じたので井戸に下りて行って水を飲み、出てくると、そこに犬が居て渇きのあまり湿った土を噛んでいた。そこで、男は、この犬は自分が苦しんだような渇きに苦しんでいるに違いないと思って、また井戸に下りて行き、靴に水を満たし口にくわえて上がって来て犬に飲ませた。アッラーはその行いを嘉し、彼の過ちを赦した」と。そこで人々が神の使徒に「私達は動物にしてやった良い行いのために報いを与えられるでしょうか」と尋ねたとき、彼は「どの動物にした行いに対しても報いを受ける」と答えた。(サヒーフ・アルブハーリー:2190)

عَنْ أَبِي هُرَيْرَةَ عَنْ النَّبِيِّ صَلَّى اللَّهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ قَالَ إِيَّاكُمْ أَنْ تَتَّخِذُوا ظُهُورَ دَوَابِّكُمْ مَنَابِرَ فَإِنَّ اللَّهَ إِنَّمَا سَخَّرَهَا لَكُمْ لِتُبَلِّغَكُمْ إِلَى بَلَدٍ لَمْ تَكُونُوا بَالِغِيهِ إِلَّا بِشِقِّ الْأَنْفُسِ وَجَعَلَ لَكُمْ الْأَرْضَ فَعَلَيْهَا فَاقْضُوا حَاجَتَكُمْ " (سنن أبي داود: 2204)
アブー・フライラ(彼を嘉したまえ)によると、神の使徒(彼に祝福と平安あれ)は語った。「ラクダの背を説教壇に使ってはならない。それはアッラーがあなた方が大変な苦労の末に到達する場所に、あなた方を運ぶ為に創られたのだ。そして大地はあなた方の為に作られ、そこであなた方の仕事を行いなさい。」(スナン・アブーダーウード:2204)

عَنْ عَبْدِ الرَّحْمَنِ بْنِ عَبْدِ اللَّهِ عَنْ أَبِيهِ قَالَ كُنَّا مَعَ رَسُولِ اللَّهِ صَلَّى اللَّهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ فِي سَفَرٍ فَانْطَلَقَ لِحَاجَتِهِ فَرَأَيْنَا حُمَرَةً مَعَهَا فَرْخَانِ فَأَخَذْنَا فَرْخَيْهَا فَجَاءَتْ الْحُمَرَةُ فَجَعَلَتْ تَفْرِشُ فَجَاءَ النَّبِيُّ صَلَّى اللَّهُ عَلَيْهِ وَسَلَّمَ فَقَالَ مَنْ فَجَعَ هَذِهِ بِوَلَدِهَا رُدُّوا وَلَدَهَا إِلَيْهَا وَرَأَى قَرْيَةَ نَمْلٍ قَدْ حَرَّقْنَاهَا فَقَالَ مَنْ حَرَّقَ هَذِهِ قُلْنَا نَحْنُ قَالَ إِنَّهُ لَا يَنْبَغِي أَنْ يُعَذِّبَ بِالنَّارِ إِلَّا رَبُّ النَّارِ" (سنن أبي داود: 2300))
アブドゥル・ラフマーン・イブン・アブドゥッラー(彼を嘉したまえ)によると、「我々は神の使徒(彼に祝福と平安あれ)と共に旅路にある時1羽の鴨と2羽の雛鳥を見かけた。そこで我々は2匹の雛鳥を捕まえると、母鴨が(雛鳥を取り戻そうと)翼を広げ攻撃し始めた。神の使徒(彼に祝福と平安あれ)がやって来て「誰が雛鳥を取り上げ母鴨を苦しめたのだ。雛鳥を母鴨に返しなさい。」それから神の使徒(彼に祝福と平安あれ)は蟻の巣が燃えているのを目にし、仰った。「誰が蟻の巣に火をつけたのか。」我々は「我々です。」と答えると、「火の主である御方以外、火をもって罰することは許されない。」と語られた。(スナン・アブーダーウード:2300)

これらのすべては信仰者の心の中に見出しうるイスラームの慈悲の数例に過ぎません。よってイスラームは真の愛と慈悲・平安の宗教だといえます。

このことから、信仰者とは、平安と慈悲を愛する人であるということが分かり、いかなる状況下でも、彼らから少しの危険をも心配することはないでしょう。

(インシャーアッラー、次回に続きます。)
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