アッサラーム誌58号より(1993年10月1日発行)
人々よ、わが声を聴け!(預言者ムハンマド、別れの説教)
アフマド・B・ザカリア

 人々よ、われらは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたのうちで最も主を畏れる者である。まことにアッラーは全知にして、あらゆることに通暁なされる(クルアーン第四九章第一三節)。
 アラブにはそれ以外の者にたいする優位はなく、非アラブもアラブにたいする優位は持たない。白人は黒人にたいして優位はなく、黒人も白人にたいして優位は持たない。優劣はアッラーを畏れることのみにある。全人類はアダムの子孫であり、アダムは土から創られた(ハデイース)。

著者の言葉

 本書「人々よ、わが声を聴け!」は、多くの国家や民族に分裂し混乱と緊張の極みにある今日の世界で、預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福あれ)の一四六三回目の誕生日に刊行されたもので、預言者ムハンマドの別れの説教である。
 預言者ムハンマドについては、あるアメリカ人の言葉を引用してみよう。「私は、今まで世界中で最も影響力のあった人物のリストのトップにムハンマドを選んた。このことに読者の中には驚かれたり異論を持たれる方々もおられよう。しかし人類史上、宗教界と世俗の両様において超人的な成功をおさめたのは彼だけである」
  ”The Hundreds --- A Ranking of the Most lnfluential Persons in History"
   By MichaeI Hart, 1978,U.S.A.
 また彼は同書で「このことの顕著な例は、ムハンマドをイエス・キリストより上位に据えたことであろう。これはイスラームとムスリムのありかたへのムハンマド個人の絶大な影響力は、イエスのキリスト教への影響力をはるかに超えているからである。またムハンマドはイエスとは違って、宗教指導者だけでなく、国家と民のりーダーでもあった。実際に、アラブ制覇の原動力として、史上最も影響力を待った政治家ともいえる。第七世紀のアラブの制覇は今日に至るまで、人類史上で重要な役割を担いつづけている。この宗教と世俗における比類なき成功こそ、人類史上最も影響力のある個人としてムハンマドを選んだ理由である」
 預言者ムハンマドが慈悲の丘アラファートの不毛の荒野から伝えた最後の説教は、世界中に縦横に反響し、歴史は世界の果てまで広がるイスラームの効果を認識したのである。

われらは、ただ全世界への慈悲として、あなたを遣わした。(クルアーン第二ー章第一〇七節)

 預言者ムハンマドはヒジュラ一○年(西暦六二四年)の最初で最後のハッジ(大巡礼)にアラファート平野の慈悲の丘から最後の歴史的な説教を行っている。この最後のハッジはハッジャトル・ウィダー(別れの巡礼)と呼ばれ、最後の説教はホトバトル・ウィダー(別れの説教)と呼ばれている。この別れの説教こそ、西欧文明が成文化した国連憲章などよりはるか以前の、今から一四○○年前に預言者が設定した最初の人権憲章である。それはイスラームの世界のみに限定されるものではなく、階級、宗派、肌の色、人種、言語、国籍を間わず、人類全体へのメッセージだった。
 そこで預言者が神意に基づいて伝えたのは、人間の尊厳と権利、組織だった健全な社会、文明的で高尚な人間の生き方のパターンである。本書は紛争と混乱にまみれた今日の世界において、人間の尊厳への一考を促す目的で刊行された。願わくば、世界中のすべての家庭、会社、学校、図書館、ユネスコ、国連諸機関などに置かれて欲しい。また全世界の学校や教育施設の授業で取り上げられることが望ましい。現代の人々がこれを学び、人生の充実を求め、隣人との平和、社会や国際間での平和を成就していただきたい。(後略)

人々よ、わが声を聴け!

 ハッジ(大巡礼)はイスラーム五柱の一つとして、ヒジュラ九年(西暦六二三年)に制度化された。そして翌ヒジュラ一○年には、預言者自身がハッジの団体を率いることを宣言した。メディナは興奮に沸き立った。砂漠の部族はメディナヘ結集した。過去一〇〇年間のマッカ巡礼とは全く違うイベントである。アッラーの使者とともに歩み、唯一神だけを拝みに行くのだ。カアバ神殿を汚す偶像は排除され、偶像崇拝は一切消滅する。
 預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福あれ)はハッジ団を率いてヒジュラ一○年ズルカアダ(第十一月)の二五日、メディナを出発した。ハッジ団は、歴史家の記録により、九万あるいは一一万四〇〇〇人と言われる。その夕方かれらはズルフライハに到着し、野営した。翌朝預言者はイフラーム(ハッジ用の縫目のないふた切れの白布)をまとい、ハッジ団の男たちもそれにならった。愛用の雌ラクダ「カスワ」にまたがった預言者は、「ラッバイク、アッラーフンマ、ラッバイク」と唱え、ハッジ団の全員が大声で復唱していった(あなたの前にいます、アッラーよ)。その祈りは砂漠に、山々にコダマし、天地は感動に打ち震えた。
 ズルヒッジャ(第十二月)の五日、ハッジ団はマッ力に到着した。カアバ神殿の前で預言者は「アッラーよ、この家に祝福と栄光を与えて下さい」と祈った。モスクに入った預言者はカアバを七周し、マカーム・イブラヒーム(預言者アブラハムが礼拝した場所)でニラカートの礼拝を行った。その後サファの丘に上り、「アッラーの他に神はなく、かれに仲間もなく、主権と栄光はアッラーだけのもの。かれは生を与え、また死を与える。かれは全能で、すべてを超えて至上の存在である」と唱えた。サファとマルワ間を七回行き来し、その間に唱えた彼の祈りはすべて記録されている。モスクに戻り、解放奴隷であるビラールとウサーマの二人を連れた預言者は、神殿の鍵の管理者オスマン・アブド・ダールとともにカアバ神殿に入った。
 ズルヒッジャの八日、預言者とハッジ団はミナの谷に下り、一夜を明かした。早朝の礼拝後、預言者はアラフアートの慈悲の丘に上り「アラフアートはハッジの不可欠の部分であり、ハッジはアブラハムからの崇高な遺産である」と説いた。
 預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福あれ)は雌ラクダ「カスワ」にまたがり、イスラームの最初のムアズィン(宣礼者l定刻の礼拝を呼びかける者)、アビシニア(エチオピア)の解放奴隷ビラールが手綱をとってそばに控えた。ここで行われた預言者の演説が、歴史に名高い最後の説教、「別れの説教」である。当時はマイクやスピーカーはなく、テレビもビデオもなかった。そこに集まったムスリムの大観衆に伝えるため、預言者の言葉はラピア・イブン・ウマイヤ・イブン・ハラーフによって文節ごとに大声で復唱された。
 預言者の「別れの説教」は人類史上の一頁を飾るユニークな演説であり、国連憲章の起草されるはるか以前、一千四百年前に確立された最初の人権憲章である。このイスラームの人権憲章は初期のムスリム共同体で日々実践され、ムスリム全員の日常に織り込まれていた。預言者の行った人権宣言は、過去と現在を問わず、いかなる国家や民族のものより優れている。
 米国初代大統領ジョージ・ワシントンの最後の演説は一七九六年に行われた。同盟国間の関係をもつれさせてはならないと彼は説いた。ジョージ・ワシントンの強調した主題は商業と貿易、自由と独立、そしてアメリカ人としての誇りであった。元大統領ジミー・力ーターは人権の旗手とされた。彼が実際に関心を抱いたのは、ソ連で迫害されたユダヤ人の問題である。他の世界については関心はなかったし、国内の職も食べ物もない路上生活者の問題についても何ら手を打たなかった。
 リンドン・B・ジョンソンが米国で人権章典に署名したのは一九六〇年代たが、今日でも人種差別はなくならない。また、アフリカの一部の国で黒人は人権を否定され、殺され、迫害され、最悪のアパルトヘイトが進行中である。今日の近代的で文明化された人類の汚点であろう。
 あらゆる観点から、預言者の「別れの説教」は傑出している。それは人生のすべての局面を扱い、社会正義、人種間の調和、国際間の平和などにおける人類への最善のガイダンスである。預言者は美徳、敬譲、中庸、人類同胞を説き、人間は階級、肌の色、人種、民族、国籍、言語に関係なく、平等であると宣言した。彼の人権宣言はムスリムにとって、また世界史の上で、転機となった。親睦、平和、バランスのとれた品行と姿勢への道を示したのである。彼は恒久的で普遍的な価値観と原理の理念を確立し、社会や国際間における行動と姿勢のパターンを制定した。
 以下は彼の「別れの説教」の部分的な考察である。

 預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福あれ)はアッラーの御名によって説教を始めた。
「すべての称賛はアッラーのもの。私達はアッラーを称え、かれのゆるしを求め、かれに顔を向けます。私達白身の悪と、私達の行為のもたらす悪からアッラーにすがります。アッラーに正しく導かれた者を迷わすことのできる者はない。アッラー以外に神はなく、かれに等しいものはないことを私は証言します。アッラーにこそ主権はあり、かれにこそすべての称賛はふさわしい。かれは生命を与え、死を授け、全能です。唯一なるアッラー以外に神はない。かれは約束を守り、しもべに勝利を授け、かれのみがイスラームの敵の連合を撃ち破った。人々よ、わが言葉を聴け。これ以後ふたたび一緒にハッジを行えるかどうか分からない……」

一、説教の普遍性

 彼の説教は、その場にいた人々のみに語るものではなく、またムスリムやアラブたけを対象としたものでもなかった。彼は全人類に語りかけたのた。「この場にいる者は不在の者に伝えよ。不在の者が私のメッセージをより理解することもあろう」
 彼は「人々よ」と呼びかけた。「別れの説教」で彼は同じ呼びかけを八回使った。「ムスリムたち」とか「信者たち」という語りかけはなかった。その説教は当時または後世の、宗教、人種、国籍などの別なく、人類全体にたいしてである。

ニ、宗教の完成

 預言者ムハンマドの教えは、アッラーから人類への最後のメッセージである。それはアダムからノア、アブラハム、モーゼ、中国の孔子、ペルシャのゾロアスター、インドの釈迦、ガリラヤのイエスなど、過去の預言者たちが伝えた教えを要約、浄化、完成したものである。その「別れの説教」で預言者ムハンマドは宣言した。「人々よ、私の後に預言者が来ることはなく、新しい宗教共同体が創られることもない」

三、無明時代の法や慣習の無効化

 イスラーム以前の無明時代を支配した偶像崇拝者たちの法や習慣は一掃された。預言者ムハンマドは聖なる説教で、まず自分の復讐の権利を否定した。「無知の時代の慣習は、私の足下に埋められた。無知の時代の血の復讐は終わった。私が最初にとりやめる血の復讐は、サアド族に育てられ、ホザイファ族に殺されたラビア・イブヌルハーリス・イブン・アルムッタリブのための復讐である。………犯罪は本人だけのものである。子は父の罪に責任なく、父も子の罪に責任はない」
 ここに無明時代の人道に反する法や部族的なしきたりは一掃されたのである。

四、人類の平等

 預言者はクルアーンの言葉を引用し、そして語った。「人々よ、われらは一人の男と一人の女からおまえたちを創り、互いに知り合うため部族や民族に分けた。アッラーの御許で最も責い者は、最も敬譲な者である………」(クルアーン 第四九章第一三節)
「アラブが他の民に優ることはなく、他の民がアラブに優ることもない。同様に白人が黒人に、黒人が白人に優ることはない。人間の優劣は敬神の度合に応じる」 この平等の理念は、人道の正義に基づく。人間はすべて平等であり、敬謙と公正以外には、誰も他人に優るものではない。血筋、富などによる特権意識は一掃された。 イスラームの、この平等の概念は世界のどの文明においても知られなかったユニークなもので、支配者と部下、強者と弱者、白人と黒人、富者と貧者を人間として対等のレベルに置くものである。その平等の実践を見て、多くの人々がイスラームを受け入れた。

五、人権の宣言

 国連憲章は一九四〇年代に、他民族の奴隷化、搾取、拷問、迫害などの悪行を行っていた、大国の指導者たちによって起草された。彼らは人道や人権への愛や敬意からではなく、状況に強いられて、非人道的な振る舞いを覆い隠し外面を美化するため、やむを得ず書き上げたのである。今日でも国連憲章は紙のうえのインクにすぎない。超大国は拒否権を持ち、人道より国益や外交上の利益のためにそれを行使する。ソ連はアフガニスタンを侵略し、米国はグラナダ、英国はフォークランド諸島、イスラエルのパレスチナ占領。かれらは罰せられない。国連決議は拒否権の発動で風化されてしまう。かれらの人権の概念は、「力は正義」そして「結果は手段を正当化する」である。
 アムネスティ・インタナショナルは政治犯の拷問や虐待を調査するためにできた組織である。この組織は、これら囚人の苦痛や非人道的な扱いを世界に訴える。かれらには残虐行為や迫害を止める力はない。イスラエルによるパレスチナ人への残虐な行為、迫害、拷問、住居からの放逐などに対して国連は抑止能力を持たなかった。それは国連安保理での決議が米国の拒否権発動で無効になってしまったからだ。今日の世界に人権などというものがあるなら、少なくとも国連や超大国の中にはみつけることができないだろう。
 イスラームの人権宣言は一四〇〇年前に認められ、実践された。
(一)、階級や肌の色に拘らず、全員の自由平等。
(二)、生命と財産の神聖さ。
(三)、人種間の平等。
(四)、アッラーと法の前での正義。
(五)、女性の権利と義務。女性は対等のパートナーであり、ローマやギリシャ文明におけるような所有物や奴隷ではない。
(六)、搾取や独占の禁止。富者はより富み貧者はより貧しく、なってはならない。
(七)、人々の権利は保証され、護られるべきである。
(八)、人々はこの宣言を大切にし、日常の言動においてましめに実践し、人々に教えるべきである。

六、生命と財産の神聖さ

 クルアーンは人間の生命が神聖であることを説いている。人々の生命は守られるべきである。人間は尊厳を持ち、尊敬され、名誉を守られなければならない。生命の神聖さは最後の審判まで保持されるべきである。預言者は呼びかけた。

「人々よ、あなたがたの血、財産、名誉は主の御前に立つ日まで、この聖なる場所、この聖なる月の聖なる日、あなたがたの町のように、神聖で不可侵のものである。あなたがたは近いうちに主の御前に立ち、あなたがたの行動について問われるであろう」

七、高利(利子)の禁止

 イスラームでは、経済的な搾取は、いかなる形態においても禁止されている。そして利子は経済的搾取の一種であるから、イスラームはその取引を厳禁する。資本主義における経済的独占と搾取は富者をより富ませ、貧者をより貧しくさせる要因である。預言者は自分の受け取る利子を否定した。

「利子の取り決めは無効となる。しかし、あなたがたの資金や元金の権利は護られる。不公平に扱われることはない。アッラーは利子の廃止を決定され、私はその最初の一歩としてアッバース・イブン・アブドルムッタリブの有する利子を受け取る権利を放棄する。利子の取り決めはすべて無効となった」

八、女性の権利と義務

 女性の権利の宣言は、「別れの説教」に最善に表されている。預言者は、女性が優しく親切に扱われることを要求した。妻は夫のパートナーであり、その協力、支援、助言なしには、いかなる男も私的および公的に成功することはできないと。イスラームは、男性は家長であり、女性が家庭の中心であると定めている。道徳、貞節、中庸に関しては次のように明らかにされた。

「人々よ、男たちには女たちに対してある種の権利かあり、女たちは男たちに対して権利がある。女性には貞節を守る義務があり、不義をなしてはならない。もし彼女たちが不義をなしたら、あなたがたには妻を寝床から遠ざけ、懲らしめる権利がある。だが厳しく懲らしめてはならない。そして彼女たちが姿勢と振る舞いを改めたなら、きちんと衣食を与えなければならない。女性は夫の許可なく、彼の財産のいかなる部分をも他人に与えてはならない。女性を親切に扱え。女たちはあなたがたの協力者だが、独立ですべてを行う立場にはないからだ。女性に関して、アッラーをおそれよ。あなたがたはアッラーの保証により彼女たちを受け入れ、アッラーの御言葉によって彼女たちとの関係は合法となったのである」

九、悪魔の人類への憎悪

 預言者(彼の上にアッラーの祝福あれ)はムスリムにアッラーを崇拝し、アッラーの定めを守ることを指令した。また悪魔が人々をイスラームから迷わすことに、まだ絶望していないと警告した。
「人々よ、悪魔はこの地で崇拝されることは断念した。だが彼はあなたがたが重視しない事柄に隙をみつけて利用するだろう。宗教のことに関して、悪魔に用心して欲しい」

十、他人の権利

 預言者は他人の権利が護られ、履行されることを指令した。他人の権利を大切に考えていたのである。「借金はすべて返済され、借りた財産は返されねばならぬ。贈り物には返礼し、保証取引では保証された相手の損を賠償しなければならない」

十一、行為の責任

 死は不可避のものであり、人生での行い、言動、意図について人間は責任をもつ。創造主の前では、何も隠すことはできない。人間は現世と来世で報いられるため、人生で最善を尽くさねばならない。

「あなたがたは近いうちに主の御前に立ち、あなたがたの行動について問われるであろう」

 人間はすべて、いかなる宗教、社会、国家、そして世界のどこにいても、偉大な最後の審判の日に人生の清算のために呼び出される。その日、全人類は創造主の前に立ち、移ろう仮の世界である現世での行為のひとつ一つについて各個人が自分独りで報告することになろう。正しい行いの善行者は至福の光りに包まれる。いかなる者も、自分のことを申告するだけで、他人を助けることはできない。裁定はアッラーだけのものである。預言者は、自分一人で主の前で答えなければならない最後の日をおそれなさい、と言っている。

十二、宇宙の創造

 太陽、月、星々、天空、大地、宇宙のすべてはアッラーの創造であると預言者は語っている。いわゆる進化論におけるような偶発的な進化は、宇宙にも人間にもない。偶発的で自然発生的な進化が支配しているのなら、神の存在の必要はない。もし神が存在しなければ、宇宙の存在意義はなく、すべてが偶然の恣意によって消滅したはずだ。宇宙の持主はアッラーであり、アッラーが宇宙を守り、管理運営しているからこそ、人間の目は宇宙と大自然の美しさを鑑賞することができる。アッラーが天地を創造して以来、時空のパターンは変化していない。

十三、太陽暦と太陰暦

 アッラーの書にある月々の数は十二で、太陽暦と太陰暦の月々である。この月々に関する知識は、年数を計算したり、女性の生理、数学に関すること、お祭りの日々、断食の月などを知るために重要な知識である。預言者は語った。
「アッラーの書にある月々の数は十二である」

十四、聖なる四カ月

 アッラーは四つの月々を聖なる月々とされた。ズル力アダ。ズルヒッジャ、ムハッラム、ラジャブの四ヵ月である。ムスリムはその月々を聖なる月々として認め、その月の間、姿勢を正さねばならない。預言者は次のように警告している。「カレンダーをいじって変更するのは、多大の迷いと不信の表れである。不信者はカレンダーを変えてアッラーの禁止したことを合法化し、また変えて合法なことを不法とする」

十五、ムスリム共同体の団結

 クルアーンに従い、預言者の教えを守ることによって、ムスリム共同体は団結する。かれらはアッラーの導きを受け、まっすぐな正しい道を歩み、中庸と平和と正義の共同体であり続けよう。「別れの説教」で預言者は語っている。

「私はあなたがたに、迷いから守られるものを遺した。アッラーの書である。その教えに従えば、道を誤ることはない。だが宗教において、定められた限度を超えてはならない。限度を超えることによって(以前の民への)破滅がもたらされた」

十六、ムスリム同胞

 ムスリムには、他のムスリムヘの義務と責任がある。挨拶と応答、病人の見舞い、葬式への参列、自分の好むことを他人にも望むこと、楽と悲しみを共有し、かれらを助けること、同胞を守り、かれらの権利を護ることなどである。預言者は告げた。

「人々よ、私の言葉を聞きなさい。ムスリムは他のムスリムの兄弟姉妹であり、すべてのムスリムは単一の同胞組織である」

 この兄弟同胞間係が鮮明に描かれたのは、預言者のメディナ移住(ヒジュラ)のときだった。アンサール(援助者)と呼ばれることになるメディナの人々は、ムハジリーン(移住者)に安全と保護を与えたのみならず、自分達の財産まで分け与えた。この精神的な兄弟関係は血縁の間係をはるかに凌駕し、イスラームにおけるムスリムの同胞間係を確立したのである。

十七、逸脱行為と不正

 イスラームは人生のあらゆる面で逸脱や不正を厳禁している。法と慣習の健全な眼界からの逸脱行為や他人への不正は厳しく罰せられる。
 預言者は告げた。「他人への不正、また自分の魂への不正を行ってはならない」

十八、最後に

 預言者が「別れの説教」で語った内容は、文明的で緻密に組織だてられた健全な社会の要求を満たすものである。説教に耳をかたむけた人々は生涯のなかで教えを実践し、また中東、アフリカ、アジア、ヨーロッパなど遠隔の地にまでメッセージを伝えた。
 今日、イスラームとムスリムは世界中で誤解され、誤り伝えられている。しかし、一方的な偏見と逆宣伝にもかかわらず、イスラームはもう一度台頭してきている。アフリカ、ヨーロッパ、英国、米国などの無言の大衆は、誇張された独断的、形式的なベールに隠された真のイスラームを知りたがっている。かれらは、歪められていない真のイスラーム、つまり人間の価値観、道徳、平等、普遍的な同胞関係、人権、正義、品行のルール、愛、平和、神の意志への服従などのすべてを明らかにする純粋なイスラームに興味を持っている。現在イスラームは、インド、旧ソ連、英国、フランス、米国などで第二の宗教である。
 預言者のメッセージは、自分達の信条に疑問や幻滅を抱き、平和と心身の調和をもたらす真実を求めている無数の人々に伝えられねばならない。真のムスリムは創造主との平和と調和、自分との調和、家族の和を求め、信教や職務、人種や国籍を問わず、隣人と社会における調和を大切にするからだ。
 預言者の「別れの説教」は人類の目的、使命、進行方向への指針である。人間は自分のなかで平和と調和を確立して後に、はじめて平和について他人と語ることができる。イスラームは人間社会における平和を促し、ムスリムはノンムスリムと仲よく暮らすことを奨励されている。
 預言者のメッセージは、平和と正義のメッセージである。そこには、平和の根源で平和の建築者であるアッラーの御許からきた人類への普遍的な基準がある。世界中には平和と平穏を切望する無数の人々がいる。かれらにこのメッセージを伝えよう。
 この「別れの説教」は、預言者を通じて人類に伝えられた、アッラーの最後のメッセージである。ムスリムはこの教えに従って正直に、まじめに生活し、また世界中にメッセージを広めなければならない。それはムスリムのためだけでなく、あらゆる時代と世代における全人類へのメッセージであるからだ。
 人生のすべての高貴な理念がそのメッセージに包含されている。預言者は道徳、貞節、兄弟同胞の概念、正義、平等、人間の責任などを説き、健全な社会のありかたの基礎を敷いた。そして搾取、奴隷制度、偶像崇拝、不正行為など、アッラーの言葉に反するすべてを廃止した。メッセージは長い年月をかけ、アラフアートの荒野から世界の隅々までコダマしていった。

 最後に預言者はイスラームの五柱を説いた。
「主だけを崇拝せよ。一日五回の礼拝を行い、ラマダーン月には断食を行い、ザカート(救貧拠出額)を支払い、アッラーの家への巡礼を行え。そしてあなたがたの支配者に従え。あなたがたは主の楽園に受け入れられるだろう」
 預言者はそこで人々にたずねた。「もし(アッラーに)私のことを問われたら、あなたがたはどう答えるか」。人々は答えた。「私たちは、あなたがメッセージを伝え、神託を完遂し、預言者の使命を遂行したことを証言します。そしてあなたは私たちのすべての問題を完璧に善処なされました」。預言者は天を指さし、高らかに唱えた。
「主よ、私が使命を完遂したことを認めて下さい」。そこでクルアーンの最後の啓示が下った。

「………今日、われはあなたがたの宗教を完成し、あなたがたへのわが恩恵を全うし、あなたがた(全人類)の宗教としてイスラームを選んだのである………」(クルアーン 第五章第三節)

別れの説教

 すべての称賛はアッラーのもの。私達はアッラーを称え、かれのゆるしを求め、かれに顔を向けます。私達自身の悪と、私達の行為のもたらす悪からアッラーにすがります。アッラーに正しく導かれた者を迷わすことのできる者はない。アッラー以外に神はなく、かれに等しいものは存在しないことを私は証言します。アッラーにこそ主権はあり、かれにこそすべての称賛はふさわしい。かれは生命を与え、死を授け、全能です。唯一なるアッラー以外に神はない。かれは約束を守り、しもべに勝利を授け、かれのみがイスラームの敵の連合を撃ち破った。
 人々よ、わが言葉を聴け。これ以後ふたたび一緒にハッジを行えるかどうか分からない。アッラーは言われた。「人々よ、われらは一人の男と一人の女からおまえたちを創り、互いに知り合うため部族や民族に分けた。アッラーの御許で最も貴い者は、最も敬謙な者である………」(クルアーン 第四九第一三郎)
 アラブが他の民に優ることはなく、他の民がアラブに優ることもない。同様に白人が黒人に、黒人が白人に優ることはない。人間の優劣は敬神の度合にある。
 人類はすべてアダムの子孫であり、アダムは土から創られた。血筋や財産などの特権意識はわが足元に埋められた。カアバ神殿の管理と巡礼者に水を提供する立場は別である。クライシュの人々よ、他の人々が来世の褒賞を得て現れるとき(審判の日)、現世の重荷を首に巻き付けて現れてはならない。そのとき私は、アッラーに対してあなたがたを助けることはできない。
 無明時代の慣習は、私の足下に埋められた。無知の時代の血の復讐は廃止された。私が最初に廃止する血の復讐は、サアド族に育てられ、ホザイファ族に殺されたラビア・イブヌルハーリス・イブン・アブドルムッタリブのための復讐の権利である。また無明時代の利息の取り決めもすべて無効となる。そして私が無効とする最初の権利は、アッバース・イブン・アブドルムッタリブの受け取る利子の権利である。利子はすべて廃止された。
 人々よ、あなたがたの血、財産、名誉は主の御前に立つ日まで、この聖なる場所、この聖なる月の聖なる日のあなたがたの町のように、神聖で不可侵のものである。あなたがたは近いうちに主の御前に立ち、あなたがたの行動について問われるであろう。
 人々よ、男たちには女たちに対してある種の権利かあり、女たちは男たちに対して権利がある。女性には貞節を守る義務があり、不義をなしてはならない。もし彼女たちが不義をなしたら、あなたがたには妻を寝床から遠ざけ、懲らしめる権利がある。だが厳しく懲らしめてはならない。そして彼女たちが姿勢と振る舞いを改めたなら、きちんと衣食を与えなければならない。
 女性は夫の許可なく、彼の財産のいかなる部分をも他人に与えてはならない。
 女性を親切に扱え。女たちはあなたがたの協力者だが、独力ですべてを行う立場にはないからだ。女性に関して、アッラーをおそれよ。あなたがたはアッラーの保証により彼女たちを受け入れ、アッラーの御言葉によって彼女たちとの関係は合法となったのである。
 人々よ、至大、至高なるアッラーは各人に相続の率を定めている。そのため、相続人に対する特別な(シャーリアから逸脱するような)遺言を遺すことはない。
 子は結婚の臥床に属し、夫婦の道を犯す者は石打の刑に処せられる。かれらの行為を裁定するのはアッラーである。
 父以外を父とし、主人以外を主人とする者には、アッラーの呪いが下るであろう。
 借金はすべて返済され、借りた財産は返されねばならぬ。贈り物には返礼し、保証取引では保証された相手の損を賠償しなければならない。
 犯罪は本人だけのものである。子は父の罪に責任なく、父も子の罪に責任はない。
 兄弟が喜んで与えるもの以外、かれのものはムスリムに合法ではない。自分の魂を損ねるようなことをしてはならない。
 人々よ、ムスリムは互いに兄弟であり、すべてのムスリムは単一の同胞組織である。そしてあなたがたの奴隷も。かれらには自分が食べる同じ食事を与え、同し衣類を与えよ。
 私の去った後で教えの道から外れたり、互いを裏切ったりしてはならぬ。信託を受けた者はかならず特主に返すように。
 人々よ。もし片輪なエチオピアの奴隷が支配者に選出されたとしても、彼がアッラーの書に基づいて職務を遂行するかぎり、彼の言葉を聞いて従いなさい。
 人々よ、私の後に預言者が来ることはなく、新しい宗教共同体が創られることもない。
 私はあなたがたに、迷いから護られるものを遺した。アッラーの書である。その教えに従えば、道を誤ることはない。だが宗教において、定められた限度を超えてはならない。限度を超えることによって(以前の民への)破滅がもたらされた。
 人々よ、悪魔はこの地で崇拝されることは断念した。だが彼はあなたがたが重視しない事柄に隙をみつけて利用するだろう。宗教のことに関して、悪魔に用心して欲しい。
 この場にいる者は不在の者に伝えよ。不在の者が私のメッセージをより理解することもあろう。
 預言者は人々にたずねた。「もし(アッラーに)私のことを問われたら、あなたがたはどう答えるか」。人々は答えた。「私たちは、あなたがメッセージを伝え、神託を完遂し、預言者の使命を遂行したことを証言します。あなたは私たちのすべてのことを完璧に善処なさいました」。預言者はそこで天を指さし、また人々を指し、高らかに唱えた。「主よ、(私が人類へのメッセージを伝えたことの)証人になってください。主よ、証人になってください」
        (インド・イスラーム文化センター会長)