ザカート・喜捨

一、ザカート(喜捨)の意義と重要性


ザカートは、イスラームの基礎となる第三の柱であります。これは物質的に余裕のあ るムスリム(イスラーム信者)に対し神より下されたファルド(義務)の一つであり、その人の年間所得と財産から一定化堆の金銭や現物を献納することを意味するもの です。ザカートは、毎年の終りに、それぞれの人の収入資源と貯蓄の双方に課せられます。ザカートの収納と分配の方法とその割合については、預言者ムハンマド(かれ の上に平安あれ)とその教友たちの慣例に準拠して行われるのですが、これについては後に詳しく述べることにします。


ザカートという言葉の文字通りの意味は、「清浄」または「純粋」であります。預言 者(かれの上に平安あれ)は、「神は、なんじらの残された財産を、ただひたすらに清らかなものにするため、ザカートの義務を定めたもうた」と言っておられます。アラビア語のザカートは、「慈善」とか「救貧税」、「施物税」、「喜捨」とか翻訳されていますが、そのいずれもザカート本来の意味を的確に言い表わしてはいません。 ザカートは政府の徴収する税金でもなく、また、個人の任意な寄附でもありません。これはアッラーより下された緊要、かつ至高の務めであり、またアッラーへの尊崇を 現わす一つのすがたでもあるのです。聖典クルアーンにも、ザカートの拠出について、礼拝の務めと同じ章や同じ節にしばしば述べられています。



「本当に信仰して善行に励み、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなす者は、主の報奨を与えられ、恐れもなく憂いもない。」(第2章277節)


「これは英知の啓典の微節(印)であり,

善行に勤しむ者への導きであり、また慈悲である。

礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなし、また、来世を堅く信じる者たちへの(導きであり慈悲)である。

これらの者は主の御導きの許にあり、かれらこそは成功する者である。」(第31章2〜5節)



このように、礼拝は言葉と動作によるアッラーに対する尊崇の行為であり、ザカート は各人の財産を施しての信仰の行為なのです。アッラーへの帰依の敬愛の気持ちがなくては、この二つの行為は精神的、道徳的な意味を全く持ち得ません。


実際的な観点から立って、ザカートを出し得る能力のあるすべての信仰者からザカー トを集めるのは、イスラーム国家の義務とされています。初代カリフのアブーバクルは、イスラームを信仰し、毎日の礼拝を行いながら、ザカートの拠出を拒んでいたあ る種族たちに対して宣戦を布告しています。彼はその理由として、アッラーの律法を、人間がこれを勝手に分割して考えたり、クルアーンの一部だけに従いながら、自分 たちに都合の悪い部分を無視することは許されないからだとしています。しかし、非イスラーム国家では、アッラーと社会に対するこのザカートの務めは、ムスリム各人 の良心に基く自発的行為にまかせられています。したがってムスリムの教友同志がその努めについて互いに注意して神に対する責任を怠らぬよう戒め合っています。


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