神の預言者たち

イスラミックセンター編著


四、イーサー(イエス)


童子を人びとへのしるしとなし、またわれからの慈悲とするため……(クルアーン第 一九章二一節)


イーサーに関する記述はクルアーンの次の章節にある。第三章三五〜五九節、第四章 一五七〜一五九節、第五章一九、四九、七五、七八、一一三、一二一節、第六章八五 節、第九章三〇節、第一九章一〜三五節、第二二章五〇節、第四三章五七〜六四節、 第五七章二七節、第六一章六、一四節。



●歴史的背景


紀元前六一二年、パレスチナはローマに征服された。当時のローマ皇帝は、国益に反 しない限り、被征服者の生活に干渉せず、宗教の自由、旅行の自由を保障していた。 ユダヤ人はどこの地にでも住むことができ、特にジュディアではユダヤ人の意志は尊 重され、ユダヤの法律を確立するため、ユダヤ教徒の僧侶による諮問委員会が設立さ れた。


法の熱愛と献身がユダヤ教内部の統一要素であったが、この法は「モーゼ(ムーサー )の法律」より相当多くのものを含むようになった。ムーサーの伝承や他のユダヤの 預言者、ラビ、法学者などによる解釈や説明、儀式の細目などの全てがユダヤ法典の 一部となったのである。


イーサーの時代、ユダヤ人の間に多くの宗派があった。トーラの権威や寺院の生食の 儀式に異議を唱える者はいなかったが、信仰の教義を日常生活において、どのように 解釈するかについて各派の相違が生じた。サドシー派とパリゼ派が二大宗派であり、 イーサーの説法はこの二つの派に向けられているものが多い。なぜなら、彼等は精神 を欠いた法の戒律の実践を強調した結果、宗教生活に真撃な心と謙譲の欠けた、盲目 的な形式主義を作り出していたからである。イーサーはさらに、彼らが法の詳細部に 至るまで堅く守っているにもかかわらず、彼らの宗教的遵奉の多くは、偽善にによる 行為であり、神のためというより、他人に見られ、ほめられるために行なわれている と指摘した。



●イーサーの幼年時代


イーサーの母マリアはハールーンの子孫、イスランの長女であった。マリアが生まれ る前、母親は生まれてくる子を神への奉仕のために捧げた。少女の頃マリアは預言者 であり、僧侶でもあった洗礼者ヤフヤーの父ザカリヤーの保護の下におかれていた。 神のマリアに対する御苦げとイーサー生誕の話は、非常に感動的にクルアーンの中に 述べられている。


そのときわれは、わが精霊(天使)をつかわし、かれはひとりの立派な人間の姿でか の女に現われた。


かの女は言った「わたしは仁慈者に対し、あなたからお守りを願います。もしあなた が、もしあなたが、主をお畏れならば(わたしに近寄らないで下さい)。」


かれは言った「わたしは、純潔な童子をあなたに賜わる知らせのために、主からつか わされた使者にすぎない」。かの女は「いまだかつて、人がわたしに触れません、ま たわたしは不貞でもありません、どうしてわたしに童子がありましょう」と言った。


かれは言った「そうであろう。だがあなたの主は仰せられる、「それはわしにとって は容易なことである。それで、童子を人びとへのしるしとなし、またわれからの慈悲 とするためである。それはすでに神命があったことである」。


こうして、かの女は童子をはらんだので、遠隔の所に引きこもった。分娩の苦痛のた めに、かの女はナツメヤシの幹におもむき、かの女は「ああ、こんなことになる前に 、わたしは無きものになり、忘れられ、忘却の中に消えたかった」と言った。


そのとき(声があって)かの女を下の方から呼んだ、「悲しんではならない、主はあ なたの足もとに小川をつくられた」。

「またナツメヤシの幹を、あなたの方に揺り動かせ、新鮮な熟したナツメヤシの実が あなたに落ちよう」。 「食べかつ飲んで、あなたの目を楽しませよ……(クルアーン第一九章一七〜二六節)


かくしてイーサーは処女の母から生まれた。これは神は、神が望むものは意のままに 創りたもうという表示であり、ここには神性についての暗示は合まれていない。母親 のサラが高齢の時に生まれたイスハークのことを想い浮べてみるとよい。


後にマリアは、ダーウードの子孫である大工ユースフと結婚し、イーサーの他にも子 供をもうけた。イーサーは長男としてユースフから大工の技術を習い、父の死後は家 族の生計の柱となったことは想像できる。イーサーは献身的な息子として、家族の世 話をする労苦を母と分かち合った。


「またわたしの母に孝養を尽くさせ、またわたしを高慢な不幸の者になさいません」 。(クルアーン第一九章三二節)


大工としてのイーサーは日々の労働を通して隣人達との関係を深め、彼らと喜びと悲 しみを分かち合った。この事は彼の後年の多くの寓話の中にも見受けられる。


クルアーンは、イーサーがまだ幼い時期に神から霊感を受けたことを書き記している 。そして彼は家庭や神殿において、自らの民族の宗教的伝統へと魅了されていくので ある。主は経典と英知と律法と福音とを、かれに教えたもうた。(クルアーン第三章 四八節)



●洗礼者ヤフヤー(ヨハネ)


紀元前二〇年代、クルアーンに神の預言者と述べられ、またイーサーの従兄弟である 洗礼者ヤフヤーは彼の聖職をはじめた。新約聖書を読むと、彼のメッセージが国民全 部に悔い改めよ、という呼びかけであったことがわかる。彼は改悛の条件として、表 面的な儀式よりも内面的清流、つまり食物や衣服の簡素化、断食の徹底等、道徳行為 の厳格化を布告した。


罪の許しを願う者は、過去からの完全な断絶を象徴する洗礼を受けなければならない 。これは自分の改悛の情を表わすことである。ヤフヤーは当時のいわゆる「信心深い 」人達の利己心や強欲、偽善と対立するものとして、慈悲や誠実、精神の正しさを要 求した。彼は強い影響力を持ち、人々は彼のところに集まってきた。新約聖書には、 イーサーもヤフヤーの手により洗礼を受けたとある。ヤフヤーのメッセージはユダヤ の人々を非常に鼓舞したので、ローマ帝国の統治者ヘドロは、自らの地位を脅かすも のとして警戒し、投獄するまでに至り、そして最後には打ち首にされた。



●預言者としてのイーサー


新約聖書の伝えるところによると、ヤフヤーの投獄後イーサーは孤独と冥想の場を求 めて荒野へと旅立った。その時、神からの自己の使命についてはっきりと覚醒を与え られた。それはヤフヤーの使命の延長であった。当時三十代前半であったと恩われる イーサーは、故郷へと帰り、教えを説きはじめた。


クルアーンにも新約聖書の福音書にも、イーサーは全人類というより、ユダヤ人のみ のために神から遣わされた使者であることが強調されている。イーサーの使命はそれ までの預言者達のメッセージを確認し、ユダヤ人の人々に謙遜と至誠の気持に立ち戻 り、ムーサーのもたらした戒律に従うよう呼びかけることであった。クルアーンに次 のように述べられている。


まことにわれは、導きと光明のある律法を、ムーサーに下した。それでアッラーに帰 依する諸預言者は、これによってユダヤ人をさばいた、……


われはかれらの足跡を踏ませて、マリアの子イーサーをつかわし、かれ以前に下した 律法の中にあるものを確証するために、導きと光明のある、福音をかれに授けた。こ れはかれ以前に下した律法の確証であり、また主を畏れる者への導きであり訓戒であ る。(クルアーン第五章四四、四六節)


主は経典と英知と律法とを、かれに教えたもうた。


そしてかれを、イスラエルの子らへの使者とされた。……(クルアーン第三章四八、 四九節)


神はイーサーに病人の治療や死者の蘇生などの多くの奇跡を与えたので、人命は彼が 神の使者であることを知った。イーサーの教えについては、後の章で論じることとする。


イーサーの後半生や死に関しては、余り知られていない。新約聖書に記されているは りつけや復活、昇天の話は疑問を呼び、多くの現代聖書研究家でさえも、信じられな いことと考えている。クルアーンには次のようにある。


〔神が旧約聖書に従うものを罰したのは〕かれらが自慢したからである。「わしらは アッラー

の使者、マリアの子イーサーを殺したぞ」と。だがかれらがイーサーを殺したのでも なく、はり

つけにしたのでもない。ただかれらにそう見えたまでである。まことにこのことにつ いて議論す

るものは、迷いの中にいる。かれらはそれについて確かな知識はなく、ただ憶測する のである。

かれらは、実際かれを殺さなかった、いや、アッラーはかれを、おそばに召されたのである。

アッラーは、偉力者、英明者であられる。

(クルアーン第四章一五七〜一五八節)



●新約聖書福音書の問題


新約聖書の二七巻の本のうち、最初の四巻(マタイの福音書、マルコの福音書、ルカ の福音書、ヨハネの福音書)は、まとめて四福音書と呼ばれている。


福音<Gospel>という語(アラビア語でInjil)は<よきおとずれ>という意味であ る。クルアーンにおいて<Injil>は、神がイーサーへ啓示を下す時にだけ使われて いる。この啓示が本の形で書き記されて保存されているかどうかは、神のみが知ると ころである。新訳聖書の中にはイーサーが何か書いたとか、弟子達に口述して何かを 書きとらせたとかいうことを示唆するものはまったくない。いずれにせよ、クルアー ン中の<Injil>新約聖書の四つの福音書を混同してはいけない。これらの福音書は もっと段にパレスチナの外で(そのうち早いものはマルコの福音書で西暦七〇年頃) イーサーのものとは異なった言語で、四人の記録者マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに よって書かれたものである。バルナバの福音書や幼年期の福音書もあるが、これらは キリスト教の聖典には含まれていない。イーサーが語った正確な言葉は失われ、復元 することは不可能である。我々はただ新約聖書の著者達に受け継がれたイーサーの教 えを、わずかながら垣間見ることができるだけである。


イーサーの伝記として、彼の教えの記録として、我々はこの四つの福音書をどの程度 信頼してよいのであろうか。過去二世紀以上にわたる聖書学者の研究と文献調査の結 果は、H・G・グッドの論文「イーサーの生涯と教え」の冒頭に要約されるであろう。


「今日、我々はイーサーの生涯は決して書き得ないことがわかった。資料が足りない のである。福音書は質においても、資料としても、伝記作家の要求を満たすものでは ない。せいぜいそれはイーサーが人に教えを説いていた期間のある出来事を述べてい るにすぎず、彼の人々に与えていた祝福の物語を組み立てるには不充分であり、彼の メッセージの特徴すら反映していない」


もしイスラームの伝承学者に、福音書に伝えられているような話が提出されれば、彼 らは史実や考証不足という理由で、信頼性に関する基準。に照会することすらせず、 躊躇なく否定してしまうであろう。


イブン・イスハークのような伝承作家ですら、口碑伝説のタイプのものはすべて捨て 、ムハンマドの伝記を書いている。四巻の福音書の内容は全部口碑伝説である。それ ゆえ、福音書とイスラームの文献中福音書に相当するものを較べる時、福音書はシー ラの書(預言者の伝説)よりずっと評価が落ちるであろう。そもそも福音書とクルア ーンと比較したり、ハディースの最もつまらない作品と比較することですら馬鹿げた ことであり、その行為は福音書やクルアーン、ハディースについて全く無知であるこ とを示している。



●イーサーの教え


以上述べた福音書の限界をふまえた上で、イーサーの寓話や言行に含まれている基本 的なメッセージを引き出してみよう。


イーサーの寓話は1これは彼の言葉通りに伝わっていないが−本物らしい響きがあり 、正確で、聖書研究家のすべてがこの点では一致している。我々イスラーム教徒も、 それを彼の預言的な教えとして受けとることができる。というのは、その教えはクル アーンがイーサーのメッセージに関して伝えているものと基本的に一致するからである。


〔イエスは言った〕「わたしはまた、わたしより以前に下された律法を実証し、また あなたがたに禁じられていたことの一部を、合法のものにするため、あなたがたの主 からのしるしをもたらしたのである。それでアッラーを畏れまつり、わたしに従え」。


「まことにわたしの主はアッラーであられ、またあなたがたの主であられる。それで かれに仕え奉れ。これこそは、直き道である」。


イーサーは、かれらが信じないのを察知して、言った。「アッラーの道のためにわし を助ける者はたれか」。弟子たちは言った「わたしたちは、アッラーの道の援助者で あります。わたしたちはアッラーを信じます。わたしたちがムスリムであることの証 人となって下さい」。(クルアーン第三章五〇〜五二節)次に、最初の三つの福音書 に目を転じて(ヨハネの福音書は歴史的な事実とは余りにかけはなれている)、我々 はイーサーの教えに書かれている通りに要約してみよう。


神からの他のみ使い同様、イーサーもまた彼の弟子達に唯一の神を崇拝し、いつも神 を心の中で意識するように教えた。神は神学上の概念ではなく、生きた現実であると いうことを印象づけるため、イーサーは大小の自然現象に注意を向けさせた。例えば 「美しきユリの衣(マタイ10・29)」「山鳩の飼育(ルカ2・24)」「人間の頭髪( マタイ10・29)」「神は天地の主である(マタイ11・25)」「神の力は無限なり(マ ルコー10・27, 12・24)」統治者としての神は、また審判者でもある。「指示された日に、人はそれ ぞれ神から日ごろの行いの報いを、もっとも精密な計算にしたがって受けるであろう (マタイ24・45, 24・14)」


単に神を信仰するだけでは充分ではない。神に全幅の信頼をおかねばならない。「わ れわれに対する心づかいと愛情において、神は人類の父の如きものである(マタイ5 ・45 ルカ6・36)」


そして、我々の支えや助けもすべて彼次第である。イーサーが「父」という言葉を使 った時、キリスト教の福音伝導者パウロやヨハネの解釈では、「息子」という関連語 も含んでいるが、これは間違いである。イーサーの使った「父」とはクルアーンでい う「養育の主」と同義語である。


イーサーはつつましい者、謙虚な者、改悛している者、心の純粋なる者、正義のため に迫害されているものは、神の祝福を受ける者であると教えた(マタイ5・3〜11)。 神の戒律を実行し、それを他の人々に教える者は正しき者である。イーサーは彼の直 弟子に、悪を避けるためには力の及ぶかぎりあらゆることをするように、その他の人 に善行を施すことを勧みた。


隣人を愛するだけでは充分でない。その敵をも愛し、迫害者のために祈らねばならな い。このようにして、徳行の完壁を目指すのである。偽善者のように、自分の信心や 寛大さを人に見せびらかしてはならない。自分の気持を純粋にして、これらの行為を 神だけのために、隠れてしなければならない(マタイ6・2〜6)。


自分より以前に現われた洗礼者ヤフヤーのように、イーサーも人々に後悔し、改心す る必要があると強調した。神の使者としての彼の使命は、これまで伝えたメッセージ の真実と生命力を強固にし、トーラの律法を形式的に守るのではなく、謙譲の精神と 内的な純化にたち戻ることの必要性を強調した。彼は心の中では少しも神を畏れず、 誠実さもないのに宗教の儀式的側面だけを厳格に守ることより、真実の魂を甦えらせ た徳を強調した。自分の寓話の強烈さによって、彼は人々に心の誠実さと純粋さのみ が神に受け入れられることを悟らせようとした。


歴史、特に西欧の歴史へ与えたイーサーの教えの影響は、評価できないほど強いもの である。ローマ人やギリシャ人の世界観は、神(または神々)は人間の道徳的な行為 には関係しないという前提のもとに、完全に世俗的なものである。イーサーの教えの 中では、神の愛と慈悲、人の神への責任の二つの点を強調した。このことは西欧社会 にとって必要とされていた道徳的精神的基盤を与えることになった。


我々イスラーム教徒は、すべての神の預言者達の真実を信じ、イブラーヒームやムー サー、イーサーの教えに忠実に従っている人々に大変貌しみを感じるのである。





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