神の預言者たち

イスラミックセンター編著


二、イブラーヒーム(アブラハム)


アッラーに真心こめて服従帰依し、善い行ないにいそしみ、イブラーヒームの純正な 信仰に従う者より、教えの上ですぐれた者があろうか。アッラーはイブラーヒームを 親しい友とされたのである。(クルアーン第四章二一五節)


イブラヒームの生涯の出来事は、クルアーンの各所に記述されているが、中でも次の 各章に多くのことが記されている。クルアーン第二章二一四〜一三五節、第六章七四 〜八三節、第二章六九〜七六節、第一四章三五〜四一節、第一五章五一〜六〇節、第 一九章四一〜五〇節、第二一章五一〜七一節、第二六章七〇〜八七節、第二九章一六 〜二五節、第三七章八三〜一一一節、第五一章二四〜三七節。



●幼年期


アザールの息子イブラーヒームは、チャルディアンズ(イラク)の地、ウルの街に約 四千年前に生まれた。当時、神がそれまでの預言者を通じて与えた導きは忘れられ、 人々は偶像崇拝の日々を送っていた。そのような時代的背景下にイブラーヒームは生 まれ育ち、神によって使者として選ばれた。


若い頃からイブラーヒームは、偶像や天体を崇拝することの誤りと無益さについて、 父や家族の者や周囲の人々に説きはじめていた。イブラーヒームは彼等と議論して訴 えたのだが、彼等の答えは「我々は親の代から、これらの像を崇拝しているのを見て きたのだ」というものであった。


クルアーンの第二一軍五一節〜七〇節には、イブラーヒームが人々の留守中に、偶像 類をその最も大きなもの一つを除いて、粉々に砕いた仔細が述べられている。人々が 帰って来て彼を問い詰めた時、イブラーヒームは次のように答えた。「その偶像が口 をきけるなら、偶像にきいてみるがいい……」


彼等は偶像崇拝が意味のないことであると気づき、恥じたのだが、自分の生き方に固 執する人間の常として、彼等は自分の誤ちを認め、生き方を変えるよりも真実を覆い かくす方を選んだのである。


彼等の対応は「イブラーヒームを火あぶりにして、我々の神を守れ」というものであ った。しかし、神はイブラーヒームを救い「その時、われは『火よ冷たくなれ、イブ ラーヒームの上に平安あれ』」と命じたのである、



●イスマーイール(イスマイル)


後年イブラーヒームは、神の命を受けて故郷を去り、カナン(パレスチナ)の地に行 った。彼の供は妻のサラと、預言者でもあるルートと彼の召し使い達であった。何年 か後に、彼等はネゲブに移り、そこからルートはさらにソドムへと移住した。イブラ ーヒームは既に年老いており、子供はなかった。そこで彼の妻の提案により、彼女の 召し使いの一人ハージルを自分の妻とした。彼の祈りにこたえて、神はハージルにで きた息子を彼に授け、その子にイスマーイールという名を与えた。その後に神は、イ ブラーヒームにハージルと男の赤ん坊を連れアラビアのある地へ行き、そこに彼等を 置き去りにするよう命じた。イブラーヒームはバータの谷間に彼等を同行し、後にメ ッカとなった場所に置き去りにした。谷は乾燥しており、一本の草木もなかった。す ぐにハージルと子供は水の欠乏に直面し、イスマーイールは喉の乾きのため泣き始め ていた。母親は水を求めて周囲の丘の間を走り、涙を流して神に助けを迄うた。力つ きて最後に彼女が赤ん坊の所へ戻ってみると、子供が踵で堀った地面から水が湧き出 ていた。この泉はザムザムの泉と呼ばれ、今日に至るまでこんこんと水が湧き出てい る。この故事にちなんだサアイの儀式は、ハージルが水を求めてサファとマルワの二 つの丘を往き来したことを記念して、バッジの行事の中に取り入れられている。



●生費の試練


やがてアラビアの多くの部族がバータの谷にやって来ては定住し、イブラーヒームの 家族と供に生活をはじめた。イブラーヒームは彼等の家々を何度も訪問した。イスマ ーイールが青年となった時、イブラーヒームは一人息子イスマーイール(イスハーク はこの時まだ生まれていなかった)を神への生食として捧げた夢を見た。しかも彼は この夢を三晩続けて見たのである。イブラーヒームはこの出来事を神の命令と受けと め、息子イスマーイールに話し意見を求めた。イスマーイールはすぐに父の意見に従 い、身を捧げることにした。しかし、それは神がイブラーヒームの信仰と神への献身 の意志を試したものだということがわかり、一匹の仔羊が身代りとして生貧として捧 げられた、このようにして神は、それ以後、偶像崇拝者が実際に行なっていた人間の 生費をはっきりと禁じたのである。このイブラーヒームとイスマーイールの神への献 身を記念して世界中のムスリムたちは、仔羊、仔牛、またはラクダを殺し、その肉を 友人や親類や貧しい人々と分け合い、イード=ル=アドハ(犠牲祭)を祝うようにな ったのである。



●カアバ神殿の建設


イブラーヒームはイスマーイールと共に、カァバ神殿すなわち神を崇うために建てら れた最初の建造物をメッカの谷に築いた。その時イブラーヒームとイスマーイールは 次のように祈ってカアバ神殿の礎えを定めた。主よ、わたしたちから、この奉仕を受 け入れて下さい。まことにあなたは全聴者、全知者であられます。


主よ、わたしたち両人をあなたに服従帰依する者(ムスリム)にして下さい。またわ たしたちの子孫をも、あなたに服従帰依する衆にして下さい。わたしたちに祭儀を示 し、哀れみをたれたまえ。あなたはたびたび許したもう方、慈悲深い方であられます 。(クルアーン第二章一二七〜一二八節)



●イスハークの誕生


その後、イブラーヒームは妻サラとの間にもう一人の息子が生まれるという神よりの 吉報を受け、その子をイスハークと命名した。サラはこのことに驚いて叫んだ。「私 はとても年老い、夫も老いているのに、どうして子供を生むことができるのでしょう か、これはなんという不思議な出来事てしょう」


神は自ら欲するものを創りたもう。サラは老年になってからイブラーヒームの息子を 生んだ。旧約聖書の創生記によれば、イブラーヒームは一七五才で死んだと記されて いる。その全生涯を通して、イブラーヒームは後世への正しい模範であり、彼の神へ の献身は何よりも優れていた。



●イブラーヒームの性格


クルアーンにはイブラーヒームの神への献身とその高潔な人格、そして信仰の純粋さ を次のように述べられている。


まことにイブラーヒームは模範者であり、アッラーに服従し、

純正な信仰を持った。かれは偶像信者のたぐいではなく、

かれは、かれを選び、直き道に導いた主の恩恵を感謝した。

われは現世において、かれに幸福を授けた。

来世においても必ず正しい人びとのうちにはいるであろう。

(クルアーン第一六章一二〇〜一二二節)


まことにイブラーヒームは、しんぼう強く、心の優しい、

不断に改悟して主に返る者であった。

(クルアーン第二章七五節)


かれ(イブラーヒーム)が健全な心で、かれの主に来たときを思え。

(クルアーン第三八章八四節)


自らの魂をそこなわぬかぎり、たれがイブラーヒームの教えにそむこう。まさにわれ は、この世においてかれを選んだ。来世においてもかれは必ず正義者のひとりである 。主がかれに向って「服従帰依せよ」と仰せられたときを思え。かれは「わたしは、 よろず世の主に服従帰依し奉る」と申し上げた。(クルアーン第二章一三一節)



●イブラーヒームの教え


預言者となる前からイブラーヒームは、礼拝−偶像の他に太陽や月、星への礼拝−の 目的について、常に不審を抱いていた。最初から彼は偶像を否定していた。長い冥想 の後、健全な彼の精神は、人は自分達の創造立だけを敬まい、従うべきであるとの結 論に達した。しかし、すべてのものを創りたもうたもの、そしてその主は誰であろう かと彼は思い悩んだ。


クルアーンの中には、神の唯一性について次のように述べられている。


イブラーヒームがその父アザールに、「あなたは偶像を神だとなさるか。まことにあ なたと

あなたの衆と、明らかに誤っていると考える」と、言ったときを思え。

われはこのように天と地の王国をイブラーヒームに示し、それでかれは悟りがひらけ てきた。

夜の暗黒がかれをおおうとき、一つの星を見た。かれは言った「これがわたしの主で ある」と。

だが星が沈むにおよび、かれは「わたしは沈むものを好まない」と言った。

次いでかれは日がのぼるのを見て、言った「これがわたしの主である」と。だがそれ が沈むに

および、かれは「わたしの主がわたしを導かれないなら、わたしはきっと迷った衆の たぐいに

なるであろう」と言った。

次いでかれは太陽がのぼるを見て、言った、「これがわたしの主だ。これは偉大であ る」と。

だがそれが沈むに及んで、かれは言った「わたしの人ひとよ、わたしはあなたがたが 、主に配

する者と絶縁する」。


「わたしは天と地をつくりたまえる、かれに端正に顔を向けて、純正に信仰し奉る。 わたしは多神教徒のたぐいではない」。(クルアーン第六章七四〜七九節)


やがて神はかれを人々への使者に任じた。み使いになる前から恐れを知らず、邪教と 闘っていたイブラーヒームであったが、いまや新たな熱意をもって、自分の父や周囲 の人々と偶像崇拝の無意味さについて議論し、比類ない唯一無二の神に服従し、いつ も神のことを心にとめ、徳の高い人間になるようすすめた。


われは先にイブラーヒームに、方正な行いを授けた、われはかれをよく知っている。

かれが父とかれの人びとに、こう言ったときを思え、「あなたがたが崇拝する、

これらの偶像は何ものであるか」。

かれらは言った「わしらは祖先がそれらを崇拝するのを見た」

かれらは言った「おまえは真理をもたらしたのか、それとも戯れるものなのか」

かれらは言った「そうではない、あなたがたの主は、天と地の主、無から天地を創造 された方

であられる。そしてわたしはそれに対する証人のひとりである」。

(クルアーン第二一章五一〜五六節)


また、イブラーヒームをもわれは救った、かれがその民にこう言ったときを思え「ア ッラーに仕え、かれを畏れまつれ。それはあなたがたのために最もよい。もしあなた がたが理解するならば」。


「あなたがたはアッラーをさしおいて偶像を拝し、虚偽をねつ造する。あなたがたが 、アッラーをさしおいて拝するものたちは、あなたがたを給養する力はない。それで 、アッラーから糧(かて)を請い求め、かれに仕えかれに感謝しまつれ。かれに、あ なたがたは、帰されるのである」。


あなたがたが真実を拒んでも、まことにあなたがた以前の諸世代も拒んだ。使者とし ては、ただ公明に伝道するのみである」。(クルアーン第二九章一六〜一八節)


アッラーがイブラーヒームに、王権を授けたまえることから、主についてかれと論議 した者を、なんじらは考えないか。イブラーヒームが「わたしの主は、生を授け、ま た死を賜う方だ」と、言ったとき、かれは「わしも、生を授け、また死を与える」と 言った。イブラーヒームは言った「アッラーは、太陽を東から登らせたもう、それで おまえは、それを西から登らしめよ」と。そこでかの不信者は当惑してしまった。ア ッラーは不義を行う民を導きたまわぬ。(クルアーン第二章二五八節)


そして、これがイブラーヒームがかれの息子達に残し、イスラーム教徒のわれわれに 今日まで伝っている遺産である。


「わたしの子らよ、アッラーはおまえたちのために、この教えを選びたもうた、それ でムスリムとならずに、死んではならぬぞ」。(クルアーン第二章一三二節)






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