神の預言者たち

イスラミックセンター編著


一、序章


●「使者」そして「預言者」の意味


アラビア語で「ラスール」とは、「遣わされた者」とか「使者」という意味で、「ナ ビー」とは「情報をもたらす者」とか「ニュースを布告する者」という意味である。 我々は前者を「使者」、段者を「預言者」と解釈している。


宗教的にいえば、二つの語は「神の啓示によって与えられたメッセージを人々に(預 言者ムハンマドの場合は全人類に)伝える人」という意味である。従って、イスラー ムで使われている「預言者」という言葉には、予言するとか、未来の出来事を予知す るといった意味は合まれていない。



●クルアーンに記された預言者達


まことに、われは、それぞれの民に使者をつかわして「アッラーに仕え、邪神を避け よ」と命じた、(クルアーン第一六章三六節)


我々は、これまで世界中に多数の預言者がいたことを知っているが、このうちのごく 少数の預言者しかクルアーンには書かれていない。


なぜならクルアーンには、次のように述べられているからである。


ある使者たちについては、先にわれはなんじに告げたが、ある使者たちはまだなんじ に告げていない。(クルアーン第四章一六四郎)クルアーンに出てくる預言者達は次 の通りである。


アーダム

ハツド

イスハーク(イサアク)

ムーサー(モーゼ)

ヌープ(ノア)

イブラーヒーム(アブラハム)

ヤアクーブ

ハールーン(アーロン)

スライマーン(ソロモン)

イドリース

イーサー(イエス)

ズ=ル=キブル(エゼキル)

ムハンマド

サーリフ

ルート(ロト)

ユースフ(ヨセフ)

アイユーブ(ヨブ)

シュアイブ

イスマーイール(イスマイル)

ユーヌス(ジョナ)

ダーウード(ダビデ)

イルヤース(エリイジャ)

ヤフヤー

ザカリヤー


クルアーンやハディース(ムハンマドの言行録)から、我々はまたムハンマドが神に 使わされた最後の預言者であり、使者であることを知るのである。



●神の啓示の性格


クルアーンやハディースを読むと啓示は天使−神の命令を実行する精霊−を通じて、 神の預言者たちに伝えられていることがわかる。


それは天使が人間の姿かまたは天使の姿で預言者達の前にあらわれ、神のメッセージ を直接伝えるのである。唯一の例外はムーサー(モーゼ)の場合であり、この場合、 神はムーサーに直接語りかけている(クルアーン第四章一六四郎参照)。この章では 「啓示」という言葉は神が預言者達に伝達するこのようなやり方を意味するものとし て使われている。


神の特性、審判の日の到来、死後の生命など、これら幽玄界の知識−啓示によって、 預言者達が我々にもたらしたもの−には、はっきりとした真実の重みがある。一方、 哲学者達の理論は、それがいかにもっともらしくみえようとも仮定に基づき、曖昧模 糊としている。それは、人間の限られた理解力が捉え得る一角にすぎないからである。


同じ理由で、預言者的な知識というのは、詩人、神秘主義者、先覚者、聖人などが直 感や霊感、神秘的な経験や霊的同化によって得たとされている知識とは性格も異なっ ているし、まったく比較にならないものである。



●預言者達の特徴


一、神の預言者達は人間であった。多くの人々はこのことを信じ難いものと考え、こ の単純な事実を理解できないために道を誤っている。


導きが、かれらに下されたとき、人々の信心を妨げたのは、「アッラーはわしらと同 じ一個の人間を使者としてつかわされたのか」と言ったからにほかならぬ(クルアーン第一七章九四節)


ここの部分において、人が誤りを犯しているのは、預言者達をペテン師だとみなして 彼等や彼等のもたらすメッセージを信じることを拒むか、預言者達を尊敬するあまり 、超人的な存在または神の化身と考えてしまうかのぎちらかであった。


二、神の預言者達は、自己の信念に忠実であり、徳行の模範であった。とはいえ、他 の人間と同じように彼等もまた判断の誤ちを犯し、人間的な弱さも持っていた。ただ 彼等は、神の命令に従い、その教えを忠実に例証している。クルアーンではそのこと について次のように言っている。


「およそ預言者は不忠実なことはありえない」(クルアーン第三章一六一節)


もっと詳しく言えば、特殊な預言者については、まことにイブラーヒーム(アブラハ ム)は一模範者であり、アッラーに服従し、純正な信仰であった。彼は偶像信者のた ぐいではなく(クルアーン第一六章二一〇節)


ルートをばわれの慈悲にひたらせた。まことに彼は正しい者であった(クルアーン第 二一章七五節)


またイスマーイール、イドリース、およびズ=ル=キフルである。みんなよく耐え忍 ぶ者であった。われはかれらをわが慈悲に浴させた。まことにわれらは正しい者であ った(クルアーン第二一章八五・八六節)


三、預言者の何人かは、神の許しを得て、特別な行為を行なったが、我々はこれを奇 跡と呼んでいる。この奇跡は、それ自体ではメッセージの真実を証明するものではな いが、時としてはメッセージが真実であることを示すために役立つことがある。



●歴史における預言者の役割


これまで様々な時代や国々に預言者が絶えず現われた。それは神がいつも人を導くこ と、また現世や来世での人の運命に強い関心を持っているということのしるしである 。人間の肉体的、生物学的な起源はいかにも世俗的なものであるが、クルアーンにこ のことについて次のように述べられている、


われわれは土から、次いで一精滴からなんじらをつくり…(クルアーン第二二章五節)


かれがわれわれをつくった主な目的は神を崇拝させるためである(クルアー ン第五一章五六節)


クルアーンの中で述べられているこれら崇拝の概念は非常に広く、それは個人や個人 相互問を問わず、人間の生活のすべての面を含んでいるのである。真の崇拝とは、神 を愛し、子供が親に寄せるような絶対的な信頼を神に寄せ、神の命令に従い、社会正 義と慈悲の心と人間相互間の協力という神の錠を確立するために努力し、一人の人間 が他の者に暴政や圧政を強いることに反対し、人々に神の導きを受け入れるように呼 びかけることである。イスラームとは、このような生き方に対し、神がクルアーンを 通して与えた名称である。この生き方とは単なる信仰や敬神行為だけの生活ではなく 、曇周の道徳と精神的価値を得るために、個人のみならず人間相互間の経済的、社会 的、政治的、国際的な事柄における絶えざる努力を求めるものである。


クルアーンでは、イスラームとは神が人間のために定めた宗教〈生き方〉である、と 我々に言っている(クルアーン第五章第四節参照)。これはイスラームが預言者ムハ ンマドが現われて始まったものではなく、最初の人間が地上に現われた時、既にあっ たということを意味している。


神が宇宙を創った時、かれはすべてのものに本性を与え、それに応じた指導 を与えた。(クルアーン第二〇章五〇節)


自然界のものは、すべて神の指導<それを我々は自然法といっている>に従うように なっている。それはクルアーンにも述べられている。


天と地にあるものは、好むと好まざるとを問わず、ただかれに服従帰依し、< b>かれに帰されるのである。


人間にも精神的資質と肉体的資質がある。人間の身体に限っていえば、それは肉体的 生物学的な世界の一部分であるわけだが、同様に精神や道徳の世界でも、神が人間の ために定めた自然な道<直き道>は存在する。しかし人間は、生活のこの面において 選択の自由を認められている(クルアーン第二二章三一節参照)。そして、これこそ が人間を他の生物と区別しているものなのである。従って、この選択の自由には大き な責任が伴うことになる。このため神の信頼に答えられなかった結果は、現世を超え て来世にまで影響を与えることになるため、人間への挑戦は非常に大きなものとなる のである。


人間の資質の一部として、神は人に均整のとれた肉体を与え(第九五章四節参照)、 優れた知的能力(第二章二二節)と、地上のよろずのものを支配する力を授け(第二 二章六五節)、人間の魂に神への信仰心を植えつけ(第七章一七二節)、また人に知 識や真実や美を愛する心を授けた。神は自分の霊を人間に吹き込み、天使よりも人間 をより優れたものとしたのである(第三八章七一・七二節)。


最後に神は、許される範囲内で正しい選択ができるよう、正しい生き方についての啓 示をもたらし、道に背いて生ればどのようなことになるかを警告するため、神の使者 を人間の中から選び出しヌーフからムハンマドに至るまで、すべての預言者は自らの 考えからではなく、神から与えられたイスラームのメッセージを説いている。


彼等は神が唯一であると宣言したり、人々に神に帰依するよう呼びかけるだけでなく 、自らの生活で模範を示し、善行、社会正義、兄弟愛、人間相互間の協力といった神 の定めた淀を打ち立てるために努力したのである。謙虚な者、貧しき者、迫害されて いる者、真実の追求者、それに正直な者が預言者に従う最初の者であった。一方、傲 慢な者、権力を握る者、富める者、快楽を追う者、盲目的に信仰や習慣を受け入れる 者は預言者達に反対した(第七草五九・九三節参照)。


これら多くの預言者達の中に、イブラーヒーム、ムーサー、イーサーがいる。イブラ ーヒームの功紋は、神の唯一性を宣言したことである。イブラーヒームの時代からこ のかた、人類の崇拝と献身と最も強い愛情に値するのは神のみである、ということを 人間は決して忘れることはなかった。


ムーサーの後継者は、彼のもたらしたメッセージの一部は守っていたが、やがて彼等 は多くの煩わしい紬かな規制を付け加え、神の神聖な淀を単なる儀式へと落しめ、神 の導きと後に人間が付け加えたものを混同してしまい、どれが人間の作ったもので、 どれが神が創ったものかを区別することができなくなってしまった。彼等はまた神の 導きが自分達だけへのものと考え始めるようになった。一方、イーサーの後継者達は 、神のメッセージが人類すべてに普遍のものであることを理解していたが、イーサー を神の地位に押し上げることによって、彼のメッセージの中心となるべき真実−神の 唯一性と尊厳−を傷つけてしまったのである。


最後に、記録された歴史を見てもはっきりとわかるように、神は大いなる慈悲心を示 して、最後の使者ムハンマドを送られたのである、そして、それ以後のすべての世の ために、最後の書であり、完成された書である神の声明書すなわちクルアーンを人類 へ与えられたのである。人々の中から一人の使者が選ばれ、その導きを伝え、解説し 、それらを自らの生活の中で例証し、それに従って行動しながらイスラームを世界に 広めんとする一つの共同体が結成された。


なんじらイスラーム教徒は、人類につかわされた最良の教団である。なんじらは正し いことを命じ邪悪なことを禁じアッラーを信奉する(クルアーン第三章一一〇節)


真理は、既にそれ以前から人類に与えられていたのであるが、それは達成不可能な理 想として残されたままになっていたのである。


そしてムハンマドの出現によってそれらは確固たる現実となったのである。つまり一 団の人々が兄弟愛や親切心、社会正義、道徳律、信仰といった神の定めに従い「アッ ラーのお言葉を最高に上げたもう(クルアーン第九章四〇節)」ように生命と財産を あげて努力したのである。かくしてイスラームはイーサー(イエス)の後、七世紀を 経ムハンマドの時代をもって、人類の歴史の中で逞ましく歩み始めた。


神の人類への導きは、クルアーンの中ですべて完全に記述されている。ここに神の最 後の預言者が現われ、そして去っセいった。しかし、神の言葉を最高のものとしてと らえるように努力している者と自らを神と責任のない者と考え、人間の作った理論や 法律、慣習にしがみついている者との闘いは今なお続いている。


預言者たちの使命について、その理解を深めるためにこの章では人類の歴史に大きな 影響を残した三人の預言者、イブラーヒーム、ムーサー、イーサーの生涯について述 べてみたいと思う。ここでの記述はクルアーンの章節に基づき、預言者達の生涯の中 で特に道徳的精神的な意味を持つ部分を強調してみることにした。読者は、これら初 期の預言者達の生涯におきた多くの出来事が、預言者ムハンマドの上におきた出来事 と非常に似かよっていることに気付かれることであろう。ムハンマドとその高弟違は 、迫害が侵略の戦いに直面した時、それまでに他の預言者の上におこった出来事を知 り、大いに慰められ力付けられたのである。






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