愛の種子・第三章
垂井弘志(Tarui Hiroshi)訳



第三の章は預言者〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕の一族(al al-nabi)と親族(ahl qarabati-hi)〔神よ彼ら皆を嘉し給え〕への愛に関するものである。至高なる神は言 われた。「言ってやれ。『私はそのことでお前たちに報酬を求めているのではない。 ただ近親者としての情愛を求めているだけのこと。』」(42:23)「この例外(istithna ')(を表すilla)は(否定辞のlaと呼応しておらず)断絶しているが、『近親者として』 (fi al-qurba)はある含意されたもの(muqaddar)と関連している。すなわち近親者には愛 情(mawaddah)が存在する」と言われる。その意味するところは報酬の根本的な否定で ある。なぜなら彼(預言者)の親族への愛情の果実は、それ(愛情)が自らの救済の原因 となるという意味で、(彼らを)愛する者たちに帰り着くからである。それというのも 、彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕が「人は彼が愛する者と共にいる」と言った ように、愛情は、参集(hashr)(の日)に彼らが集合するために必要とされる霊的類似( munasabah ruhaniyah)を要求するからである。それゆえ彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕に 報酬が(与えられる)ことは相応しくない。(また)それゆえ霊魂(ruh)に濁りがあり、 彼ら(預言者の一族)から遠い段階にいる者は、真に彼らを愛することはできない。ま た、魂が照らされ、神を知り、神を愛する神の唯一性の徒(ahl al-tawhid)は、彼らを愛せざるを得ない。彼らを愛するのは、神とその使徒を愛し、 神とその使徒に愛される者のみである。そして初めに神から愛される者でなければ、 神の使徒からも愛されない。なぜなら彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕への愛は 、集一そのもの('ayn al-jam')ののちに分化(tafsil)した姿で(現れた)至高なる神への愛そのものだからで ある。

(次のように)伝えられている。この一節が下されたとき、「おお神の使徒よ、我々が 愛さねばならないあなたの親族(qarabah)とは誰のことですか」と聞かれた。すると 彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕は言った。「アリーとファーティマと彼らの二 人の息子たちです。」そしてあなたは清浄なる彼の一族('itrah)〔至高なる神よ彼ら 皆を嘉し給え〕を愛さねばならない。

彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕は言った。「ムハンマドの一族を愛して死ぬ者 は、殉教者(shahid)として死ぬ」「ムハンマドの一族を愛して死ぬ者は、(神に)赦さ れた者(maghfur la-hu)として死ぬ」「ムハンマドの一族を愛して死ぬ者は、改悛者(ta'ib)として死 ぬ」「ムハンマドの一族を愛して死ぬ者は、信仰を完成した信者(mu'min mustakmil al-iman)として死ぬ」「ムハンマドの一族を愛して死ぬ者は、死の天使(malak al-mawt)が、次いでムンカルとナキールが天国の福音をもたらす」「ムハンマドの一 族を愛して死ぬ者は、花嫁が夫の家に導かれるように天国へと導かれる」「ムハンマ ドの一族を愛して死ぬ者は、墓の中で天国への二つの扉が開かれる」「ムハンマドの 一族を愛して死ぬ者は、神が彼の墓を慈悲の天使たち(mala'ikah al-rahmah)の巡る場(madar)となし給う」「ムハンマドの一族を愛して死ぬ者は、ス ンナと共同体の民(ahl al-sunnah wa-al-jama'ah)として死ぬ」「ムハンマドの一族を憎んで死ぬ者は、両目の間に『神 の慈悲をあきらめた者(a'is)』と記されて、復活の日を迎える」「ムハンマドの一族 を憎んで死ぬ者は、不信仰者(kafir)として死ぬ」「ムハンマドの一族を憎んで死ぬ 者は、天国の香りをかぐことはない。」

またミクダード・イブヌル・アスワドについて(伝えられたところによると)、彼は言 った。「神の使徒〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕は言われた。『ムハンマドの一 族を知ることは地獄からの自由(bara'ah)であり、ムハンマドの一族を愛することは 天国への橋(sirat)を通行すること(jawaz)であり、ムハンマドの一族の友であること (walayah)は懲罰('adhab)からの安全である。』」「ムハンマドの一族を知ること」 の意味は、彼らの当然の権利として彼らを知ることであると言われる。そしてムハン マドの家族の神聖さ(hurmah)を知り、彼らの権利を必要と認めれば、その知識は地獄 からの自由となる。また「ムハンマドの一族の友であること」の意図は、敵対(mu'ad ah)の逆の友好(muwalah)である。さらに、友であることは誠実(sadaqah)と支援(nusr ah)(を意味する)。そして、彼らに誠実であり(musadaqah)、彼らを支援することは、 懲罰からの安全の原因である。

また彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕は言った。「私の一族に不義をなし、私の 一族のことで私に害をなす者は天国に入れない。アブドゥル・ムッタリブの子らの一 人に善行(sani'ah)をなしたが、それによって報われなかった者には、将来復活の日 に私に出会ったとき、私が報いてやろう。」また神の使徒〔神よ彼に祝福と平安を与 え給え〕は言った。「もしあなたがたのところに高貴な人が来たら、その人を敬いな さい。」そしてムハンマドの一族より高貴な者はいない。彼らは皆偉大な者(kabir) であり、彼らの中に卑小な者(saghir)はいない。またドゥマイラは言った。「ウマル ・イブン・アブドゥル・アズィーズ〔神よ彼に恵みを垂れ給え〕が、フサイン・イブ ン・アリー・イブン・アビー・ターリブの子の一人〔神よ彼らを嘉し給え〕に言った 。『私の門のところに一時間も立たないでください。あなたが私の門のところにお立 ちになると、私は至高なる神に対して恥ずかしい。なぜならあなたには(そういうこ とは)許されないからです。』」

ある大家が言った。「私は預言者の子孫(sadat)の多いところには住みません。なぜ なら彼らは高貴さの極みにあるので、私には、イマーム・アブー・ハニーファー〔神 よ彼に恵みを垂れ給え〕が(そうしたと)伝えられているように、彼らを賛美し(ta'zi m)尊敬する(tawqir)ことができないからです。アブー・ハニーファーは勉強中に何度 も立ち上がっていた。その意図を尋ねられて彼は答えた。「アリーの子孫(al-sadat al-'alawiyah)の子が(ほかの)子供たちと遊んでいるので、その子を見るたびに、そ の子に敬意を表して私は席から立ち上がるのです。」

また(次のように)伝えられている。バグダードに、わずかばかりの商品を扱う商人が いた。あるとき集団で礼拝をすることがあった。(礼拝を終えて)彼らが挨拶をすると 、アリーの子孫の一人が立ち上がって言った。「私には嫁にやりたい小娘があります 。私の先祖である神の使徒のために、嫁入り支度を調えるためのものをください。」 そこで商人は彼に自分の元手の銀貨五百枚を与えた。

夜になって商人は夢で神の使徒〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕を見た。神の使徒 は彼に言った。「おお若者よ、お前が贈ってくれた物が私に届いた。さあ、バルフの 町へ向かいなさい。そこにはアブドゥッラー・イブン・ターヒルがいるから、彼に『 ムハンマドがあなたによろしくと言い、「私が恩を受けた友をあなたに送ったから、 彼に金貨五百枚を払いなさい」と言っています』と言いなさい。」

商人は目を覚ますと、そのことを妻に伝えた。すると妻は言った。「あなたがバルフ から帰ってくるまで、誰が私たちの生計を支えてくれるのですか。」そこで彼は近所 のパン屋のところへ言って、「私のいない間、妻子を養うのに充分なものをくだされ ば、私が帰ってきたら銀貨一枚に対して金貨一枚をお返ししましょう」と言った。す るとパン屋は言った。「あなたにバルフへ出かけるよう命じられた方が、あなたが帰 ってこられるまでのあなたの妻子の生活費を私に託されました。」そこで商人は喜ん で、バルフに向かって出かけた。

(バルフに)近づくと、アブドゥッラー・イブン・ターヒルが彼を出迎えて言った。「 ようこそ、神の使徒〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕の使徒よ。私たちのところに あなたを送られた方が、あなたに良くするようにと命じられました。」そして商人を 三日間良くもてなし、それから彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕の命令に従って 、商人に金貨五百枚を与えた。彼に金貨五百枚を与えたのは、彼が神の使徒〔神よ彼 に祝福と平安を与え給え〕の使徒であったからである。そして彼とともに一群の人々 を送り、彼を家まで送り届けさせた。

またアブー・ムハンマド・アル・マクディスィーは言った。「貧しい孤児たちを連れ たアリーの子孫の女が、彼らと共にサマルカンドに出かけた。サマルカンドに入ると 、彼女は彼らをモスクに入れ、自分は食料を求めて出かけた。さて、彼女は町の長で ある一人のムスリムに出会った。そこで彼女は彼に己の窮状を申し出、一夜の食料を 求め、自分はアリーの子孫だと述べた。すると彼は「あなたがアリーの子孫だという 証拠を私に示しなさい」と言った。そこで彼女は言った。「この町に私のことを知っ ている人はいません。」すると彼は彼女のところから去っていった。次に彼女は一人 のマギ(majusi)に出会い、彼にその話を伝えた。すると彼は彼女らに生活費と着物を 与え、彼女らの住居を与えた。

さて、ムスリムは復活(の日)の到来を見、そしてムハンマド〔神よ彼に祝福と平安を 与え給え〕の頭上に旗を(見た)。それから縁のエメラルドの城を見て言った。「この 城は誰のものですか、おお神の使徒よ。」「神の唯一なることを信じるムスリム(mus lim muwahhid)のものです。」「私はムスリムです。」「あなたがムスリムであるという 証拠を私に示しなさい。」そこで彼は泣いて(自分を)平手で打ちながら目を覚ました 。それからマギのところへ言って尋ねた。「アリーの子孫の彼女はどこですか。」「 私のところです。」「金貨千枚を受け取って彼女を私に引き渡してください。」マギ は断り、そして言った。「あなたがご覧になった城は私のものです。アリーの子孫の 彼女のおかげで、神は私と私の一族をムスリムにしてくださいました。私は夢で神の 使徒〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕を見ました。すると彼は『その城はお前のも のであり、お前は天国の人々の一人である』と言われました。」

また(次のように)伝えられている。ある泥棒がアブドゥッラー・イブン・ターヒルを 翻弄し、捕えられることができなかった。冬の間に泥棒は仲間とともにある町に入り 、そこに住み着いた。さて、彼らの門の前をアリーの子孫の貧しい女通りました。彼 らに施しを求めた。そこで彼らは彼女に「家にお入りなさい。女の人たちがいるから 」と言った。彼女が入ると、彼らは彼女を誘惑した。彼女は拒んで「私はアリーの子 孫の女です」と言った。彼らの首領はそれを聞くと、彼女に駆け寄って何枚も金貨を 与え、彼女の先祖である神の使徒〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕に訴えないよう 頼んだ。

さて、アブドゥッラーは醜いやり方で彼らを捕らえ、翌日処刑するため牢に入れた。 そのあと彼は夢で預言者〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕が泥棒のことを彼に執り 成すのを見た。それから目覚めてはまた眠り、三度同じような(夢を)見た。そこで泥 棒を牢から出して「ここ最近正しく行動しましたか」と言った。すると泥棒は彼にア リーの子孫の女の話をした。そこで泥棒たちを解放して言った。「喜びなさい。神の 使徒〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕がお前のことを私に執り成しなさったのだ。 」すると泥棒は泣いて言った。「神の使徒〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕はこの 程度のことですらお見通しなら、私の犯した大罪をお見通しでないことがありましょ うか。」そして彼は改悛し、信仰に専念した。

(次のことを)知れ。親族関係(qarabah)には、(人体の構成要素としての)土によるも の(tiniyah)と信仰によるもの(diniyah)とがある。前者は血縁(nasab)から生じるも のであり、後者は魂の同類性(mujanasah al-arwah)と人格の類似性(mushabahah al-akhlaq)と正しい行動の関連性(munasabah al-a'mal al-salihah)によるものである。それゆえ、導きの道において彼〔神よ彼に祝福と平 安を与え給え〕に従う品行と敬虔の徒(ahl al-suluk wa-al-tuqa)は、アナスから伝えられたように、預言者の一族(ahl al-bayt)と親族(dhawu al-qurba)に属する。アナス〔神よ彼を嘉し給え〕は言った。「『おお神の使徒よ、 ムハンマドの一族(al Muhammad)とは誰のことですか』と聞かれて、彼〔神よ彼に祝福と平安を与え給え〕 は言った。『お前たちはお前たちの前のムスリムたちが聞いたのと同じことを聞きま した。ムハンマドの一族とは敬虔な者すべてです。』」またイヤース・イブン・サマ ラ・イブヌル・アクワゥは父親から伝え聞いて言った。「神の使徒神よ彼に祝福と平 安を与え給え〕は言われた。『星々は天上の住人の安全、私の一族(ahl bayti)は私のウンマの安全。』」

シャイフ・アブー・アブドゥッラーは言った。「彼の一族とは、彼のあと彼を引き継 いで彼の道を(進む)者のことである。」彼らは非常に誠実な者たち(siddiqun)であり 、彼らによって地上の民から災いが退けられ、人々から不幸が退けられる。また彼ら によって慈雨と糧食が与えられ、彼らのうちの男に、神が後継ぎを育ててくださるま では死ぬことはない。彼らは、神がご自身のために選ばれ、その人格を変えられ、そ れ(人格)を浄められた。預言者たちの後継者(khulafa')である。そして男が死ぬと、 神は彼に似た者を彼の代わりに立てて洗練し、教育して、彼にとって代われるように し給う。また彼らはムハンマドのウンマの民であるが、彼らが(ほかの)人々より優れ ているのは、断食や礼拝の多さゆえではなく、人格の良さ(husn al-khulq)、敬虔さにおける誠実さ(sidq al-wara')、すべてのムスリムに対する心の健全さ(salamah al-qulub)、至高なる神の満足のための人々への忠言(nasihah)のゆえである。

ある大家が言った。「人々の中には、ある階段に達するための修練(riyadat)や(心と の)戦い(mujahadat)に苦労する者もいるが、奉仕(khidmah)あるいは生得的特質(khas lah)によって心ある者(sahib qalb)の心に場所を得れば、労なくして目的に達することができる。なぜならこの人 たちの心は神的配慮(anzar ilahiyah)の源泉であり、(彼らの心に場所を得ることによって)その配慮を分け持つ ことができるからである。」また(次のようにも)言った。「罪n汚れのない清らかな い舌で祈願しなさい。」すなわち「至高なる神の近くにある人たち(awliya')に対し て謙遜にふるまい、彼らに助けを求めなさい。そうすれば彼らもあなたがたのために (神のご加護を)祈ってくれるでしょう。なぜなら彼らの舌は清らかであるから。」

そしてあなたは神を愛し、使徒たちの長(sayyid al-mursalin)であり万有の主の恋人である御方(預言者あムハンマド)を愛し、(彼の) 一族と教友と彼らに続く者たちを愛し、信仰(din)と確信の力(quwah al-yaqin)において彼らの近くにある者すべてを愛さねばならない。






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