イスラムの神秘階梯
ラレ・バフティヤルー(Laleh Bakhtiar)著、竹下政孝訳




スーフィーは創造的表現を通して、あらゆる形体の中に隠された状態で存在する神的 秩序を想起し、かつ喚起する。この意味においては、想起と喚起は同じである。すな わち、ある形体に働きかけてその内部にある神的秩序が知られるようにすることであ る。スーフィーは、このようにして、神が神自身を知るに至った創造の過程を再演す る。創造が再演される場面となる受容物は、工芸品などの外的な形体の場合もあるし 、変容されるのはスーフィー自身の生命の形体である場合もある。後者の場合、まさ にスーフィーとなるべきものの魂が、神秘的探求を通して神的中心に到達しようとす るのである。


スーフィズムの起源



スーフィーの道にしたがう人々によれば、スーフィズムは、その本質において超時間 的である。とはいえ、その歴史的あらわれは、コーランの下降にはじまる。ある史料 は、預言者ムハンマドに起こったひとつの出来事にその起源をたどっている。ある日 、ムハンマドが「神は七天を創造したまわれた」(コーラン六五章一二節、章節はカ イロ版によった)という部分を教えていたとき、この句の特別な意味が啓示された。 彼のハディースの偉大な伝承者であるイブン・アッバースは、その場に居合わせてお り、のちにムハンマドの語った意味について問われたとき、次のように答えた。「も しも私がそれを教えるならば、汝は私を(異教徒とみなし)石によって死に至らしめ るであろう」。この、事物の深奥にある意味への言及、つまり万人には理解できない 隠れた意味を通して、神に至る内的な道が開かれたのである。ムハンマドの教友(サ ハーバ)は敬虔な人々であり、つねに瞑想にふけり、また神の唱名(ジクル)とコー ランの朗読によって神を想起した。ムハンマドの死後、このグループは広がり、弟子 を訓育した。当時、「スーフィー」という名称はまだ知られていなかった。

西暦八世紀(ヒジュラ暦二世紀)のはじめ、これらの禁欲修行者は「スーフィー」と いう名で呼ばれるようになった。この名称の語源は明かではない。この語は、修行者 が着用し粗野な羊毛の衣類にちなんで、「羊毛」(スーフ)という言葉に起源をもつ のかもしれない。また「清浄」(サフアー)という言葉に由来するのかもしれない。 あるいは、ムハンマドの背後に一列に並んで祈った人々にちなんで「一列」(サッフ )という言葉から派生したのではないかという者もいる。また、スーフィーのなかの ある人々は、何か他の言葉から派生したというには、この語はあまりに崇高であると いう。

あるハディースでは、ムハンマドの昇天、すなわち「夜の旅」は以下のように描写さ れている。

私の精神が上昇したとき、私は天国につれていかれた。私は天国の門の前に置かれた 。天使ガブリエルが門のところにいたので、私は中に入れてくれるようたのんだ。 ガブリエルはこう答えた。「私は神の召使にすぎない。汝、もし門が開かれることを 欲するならば、神に祈れ」。そこで、私は祈った。すると神がこういわれた。「私は 、最愛の者たちにだけしか門を開かないであろう。汝と汝にしたがう者は、私の最も 愛する者たちである」。そして門が開かれ、その中に白い真珠でできた小筐が見えた 。私はガブリエルに小筐を開けるようたのんだ。しかし、ガブリエルが、それを開け ることができるのは神のみであるといったので、私は神に小筐を開けてほしいとたの んだ。小筐は開かれ、神は「筐の中にあるものは、汝と汝の子孫のために保たれるで あろう」と、いわれた。筐には二つのものが入っていた。清貧とマントである。私は 下降するとき、マントをもって帰り、それをアリーの肩に掛けた。そして、アリーの あとでは、アリーの子孫が、マントを着用するであろう。



スーフィズムにおいては、四〇の聖なるハディースがとくに重要視されている。それ らのハディースはコーランの一部ではないが、コーランと同じように、神がムハンマ ドの口を通して一人称で話しかけている。また個々のスーフィーによるコーランの注 釈や、ムハンマドに関するハディースも、スーフィーの教義を知るうえで重要なより どころである。またシーア派のイマームの言葉を集めた書物、とくに初代イマームで あるアリーのものは重要であり、これらの書物はシーア派イスラムをスーフィズムに 接近させる。スーフィズムのもうひとつの重要なよりどころは、宝庫ともいえるスー フィの詩である。とくにジャラール・アッディーン・ルーミーの「精神的マスナヴィ ー」は、事実上ペルシア語で書かれたコーラン注釈書だといわれている。

スーフィズムはまた、文献(テキスト)を通して歴史的に先行した諸思想を吸収し、 同化してきた。同化の基準は、これらの外来の要素が、「存在一性論」というスーフ ィズムの中心教義を保持し、擁護しているかどうかということである。たとえば、プ ロティノス「エンネアデス」はギリシアからイスラム世界に到達した最も完全な形而 上学的文献である。プロティノスはムスリムのあいだでは「シャイフ」つまり、「精 神的な師」の名で知られていた。ピュタゴラス派の教え、なかでもニコマコスの教え は、スーフィーに同化された。エンペドクレスの宇宙論や自然学にも多くの注意がは らわれた。

さらに、エジプトとギリシアの伝統の内面的世界を伝えている紀元一世紀から四世紀 のヘルメス文書も、アラビア語に翻訳された。ヘルメス主義の創始者でるヘルメス・ トリスメギストスに帰せられている「ポイマンドレース」は、スーフィーが繰り返し 言及する著作のひとつである。ヘルメスは伝統的に預言者エノクと同一視されており 、コーランには預言者イドリースとしてあらわれる。

古代イランの宗教、ゾロアスター教もスーフィズムに影響を与えた。「自然には法が ある、自然には対立がある」という一対の思想は壮大なスーフィー宇宙論を展開させ るのに役立った。照明学の師、シハーブ・アッディーン・ヤフヤー・スフラワルディ ーは、その光の天使論においてゾロアスター教の思想のいくつかを発展させた。 スーフィズムは、イスラム以前にペルシアやアラビア、およびその他の地域に存在し た神話や伝説の深奥の意味を解釈することによって、それらの神話伝説を内面化した 。仏陀に関する伝説もまたスーフィズムに同化された。イブン・シーナーの物語「サ ラーマーンとアブサール」は仏陀の伝説にもとづいている。

コーランの典拠に話を戻せば、イスラム全体にとって、またスーフィズムにとって、 旧約聖書にあらわれる主要な預言者は重要であり、ダヴィデとソロモンの言葉も欠か すことができない。また、コーランに含まれる、処女マリアと神の御言葉(ロゴス) であるキリストの処女降誕の奇跡も、「真理」の諸相をあらわすスーフィー的象徴と して重要である。処女マリアに御言葉(ロゴス)〔キリスト〕が降臨したことは、文 盲の預言者ムハンマドに神の言葉が下ったことと等しいからである。キリスト教の奇跡がキリスト降誕であるように、イスラムの奇跡はコーランの下降である。


「スーフィー・イスラムの神秘階梯」から引用(ページ16-18)
ラレ・バフティヤルー著、竹下政孝訳
東京:平凡社、1992、ISBN: 4-582-28416-7、定価1850円


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