宗教は過去のものか

ムハンマド・アサッド著


五、イスラームについての考察


以上のように、西欧の思想家には宗教に失望し疑問を抱く根拠がある。その点イスラ ームは成功を収めてきた。


先ず第一に、イスラームでは人間生活を「肉体」と「精神」の二つに分割することは なく、宗教を単なる精神界のものとしなかった。予言者ムハンマドは、その後半生二 十三年間に、精神の問題だけではなく、個人の社会生活の基本姿勢を示している。そ れは個人と共同体の、精神と肉体の全般にわたる生活を包含している。肉体と精神の 問題は、予言者ムハンマドの教えの中でまったく同等の価値をもっている。予言者ム ハンマドは正しい社会と、そのような社会を形づくる人間像を示した。そこにはどの 時代にも即応できる政治形態の原形があり、権利と義務の明白な定義が与えられてい る。そこには「物質と精神」「自然と超自然」の区別はない。イスラームでは過去に 存在したもの、現に存在するもの、これから起るもの、すべてあくまで「自然」の領 域に含まれる。


「創造」の総計である「自然」、見えるものと見えないもの、具体的なものと抽象的 なもの、そして「自然の法則」などは、すべて神の造った「自然」に統合される。そ のような事象の体制の中では、人間存在の道徳面と物質面の間に矛盾は生じない。肉 体と精神とは決して切り離すことはできないし、まして優劣をつけることもできない。


第二に、キリスト教の教会が西欧の社会の中でしばしば演じてきた不名誉な役割は、 イスラームの歴史には、まったく見うけられない。イスラームの神学者と法律学者は 、人間の権利の擁護者として大きな個人的代償を払い、時には命さえ捧げて、常に虐 待や抑圧に対し立ち上り、人々から搾取を企む権力者に厳しい制禦を加えていた。


西欧の民衆が阿世紀にもわたって味わった屈辱的で悲惨な状態からムスリムがまぬが れたのはそのためである。第三に、キリスト教と科学の間には常に衝突があり、現代 に至るまで、科学思想と科学者への偏見と迫害が続いている。


しかしイスラーム社会では、教育自体にも、先覚者の態度自体にも、宗教と科学との 衝突の痕跡を発見することはできない。これは非常に重要な点である。というのは、 ヨーロッパ人の宗教に対する主な異論は、実際にはキリスト教の超世俗性や科学無視 の態度に向けられている。もしこれにキリスト教の教義が課しているきびしい重圧を 考え合わせる時、「宗教は実生活と無縁であるしというスローガンを理解することが できる。しかし西欧の思想家たちは、キリスト教会の見解と態度が真の宗教の姿と合 致しているかどうかを考えようとしなかった。西洋文明こそ最高の文明であるとみな す尊大さで、キリスト教の倫理こそ宗教が到達し得る最高のものと思い込んでいる。 さて、キリスト教は科学的思想に長年にわたって敵対してきたが、今日になって初め て、科学への敗北からいやおうなく、「科学と宗教との間に衝突は何もない」といわ ざるを得なくなった。しかし他の宗教が文化的敗北なしに同じ結論に達していた可能 性はないだろうか。その宗教が科学との対立など一切ないところに樹立されていた可 能性は考えられないであろうか。


私が使った「その宗教」とはイスラームのことを言っている。事実イスラームの歴史 は科学に対して、キリスト教が示したものとはまったく違った様相を呈している。イ スラームは科学に、そして広く知的な努力に、神聖な価値さえ与えているのである。 キリスト教会の過去の記録−学者達の火焙りや拷問、科学書の無慈悲な破棄、あらゆ る階級の中での独自の思想の禁止ーと目立った対照をなしていて、イスラームの社会 では、新しい科学的発見をしたという理由だけで迫害された科学者の例はない。神学 者間の対立はあった。時の「正統派」相反対派を攻撃することはあった。しかし、科 学者への迫害だけは絶対になかった。それは、ひとえにイスラームが信者に学ぶこと の価値と尊厳を教え、「知識の探求はすべての信者の聖なる義務」としたからである 。それゆえ、科学史に歴然と残るイスラーム教徒の科学の分野での先覚者たちが、同 時に際立った神学者であり、宗教哲学の優れた解説者でありえたことは、決して偶然 のことではない。


イスラームの神学者たちは、科学知識の取得がすなわち神の崇拝に通じることを、聖 クーランと予言者の言行録に目を向けるだけで確認できた。アル・ブハリーが引用し た予言者の言葉、「神は治療法を与えることなしには、どのような病いをも下し給わ ぬ」を読んだとき、病気に対する未知の治療法を探求することは、すなわち神の意志 の実現への貢献であることを悟ったのだ。こうして医学の探求が宗教上の教義の神聖 さを帯びるようになったのである。かれら科学者は、「われは水からあらゆるものを 創造した」(コーラン第二十一軍第三〇節)を読み、この言葉の深奥を極めるため、 生きた有機体を研究し始め、そこに生物学を樹立したのだ。


コーランは、また創造主の栄光の証しとして、日月星辰の動きと調和を挙げその結果 、他宗教が祈祷のための価値しか見出せなかったところに、イスラームは天文学と数 学を樹立した。同様、かれらは生理学に、化学に、動物学に、そして他のあらゆる科 学の研究にとり組んだ。そのような科学の研究の中で、イスラームの精神は独自のも のを打ち立てていったのである。


はじめからイスラームの人々は、予言者が語った「科学者(訳注)は神の道を歩む」 という物の考え方を受け入れてきた、そして科学的真理の探求者は、最高の栄誉を与 えられ、科学的研究は社会的に保護され、十分に報われてきたのである。


イスラームの歴史の中で、創造的であった期間を通じ、すなわち予言者ムハンマドの メディナへの聖遷につづく五世紀の間、イスラーム文明以上の文明はなかったし、科 学者にとって、イスラーム地域以上の安住の地はなかった。言い換えれば、人類の歴 史の誇るべき一ページを構成する文化的偉業に動機を与えたのは、イスラームであった。






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