宗教は過去のものか

ムハンマド・アサッド著


三、今日の宗教


現代は人間の宗教心がきわめて衰微している時代である。それは、人間の本性そのも のが「堕落」しだからではない。人間の本性は本来「善」または「悪」であり、とき として無私と理想の状態にまで達し、また残虐と貧婪のレベルにまで堕ちるが、物質 的利害を超越した、さらに大きいものを得ようとする本能的欲望を失ってしまったわ けではない。


その表われが今日の共産主義や国家主義に見られる疑似宗教的熱情なのである。こう いった活動は真の宗教の貧弱な代用品に過きず、過去数世代の人々が感じていたもの とまったく同じように、現代の人命も宗教の必要を潜在的に感じているはずである。 本物が与えられないため、疑似的なものをつかむのだ。本物は拒絶されているのだ。


宗教人は、「どうすれば宗教の理念にそって実生活を確立できるか」をまったく教え ていない。そのため多くの形式的宗教は、実際の問題からかけ離れてしまう。


さらに社会経済的見地からは、現代は混乱の時代であり、宗教者からの実際的指導の 欠落のために、世はまさに破滅的様相を呈している。科学の急速な進歩がもたらした 、産業、通信、福祉などの面における超高速回転が、以前働いていた社会システムを 遊離させてしまった。衣食住、身の安全、職業と教育などは、きわめて複雑なものと なり、いまや大きな社会問題となりつつある。もっとも、これらはいつの時代でも重 要問題であった。人々は常に衣食を求め、貧困から逃れようと望み、そして生活の安 全を目指していたが、今日ほど社会が複雑でなかった時代には、問題は簡単に解決て きたので、現代ほど絶望的に人々の心を支配することはなかった。科学の驚異的発達 は、我々人間の存在条件をまったく変化させてしまった。科学の発達は、人間活動の ほとんどの面で、予期しない明るい見通しを開いたが、同時に数多くの複雑な問題も もたらした。多くの事が科学によって可能になり、そのうちのあるものは創造的で希 望に溢れ、またあるものは破壊的で恐怖をもたらした。このようなことはこれまでの 社会通念では、まったく予測できなかった事態であり、人々にはその心構えができて いなかったのである。当然、この新しい状況に適応するための経済的技術も、道義的 成熟も、持っていない。解決方法への模索は、かえって多くの対立するイデオロギー を出現させ、人々を熾烈な闘争に巻き込み、昔からの思考の基礎を打ち砕いてしまった。


この社会と経済の混乱は、物質面のみにとどまらず、信仰の領域まで侵した。今では 、政治と経済の基盤であった倫理と信仰に対して、広範囲の批判が起きている。特に 昔からの慣習を無批判に固守してきた、今日の宗教指導者たちが、現代の困難の解決 にまったく無策である限り、当然起こるぺく起きた混乱であろう。現代社会での深刻 な不安は、倫理面での荒廃を片割れとして悪循環を繰り返している。


今の社会経済感覚の中で、相対的に何が善であり、悪であるか(いいかえれば、どの ような社会形態が人類全体のために「善」であるか)という疑問は、絶対的価値の中 で、何が善であり、悪であるかにつながるものであろう。現在の経済組織の単なる再 編成、すなわちあるイデオロギーの勝利が、現在の混乱に何か秩序らしいものを、打 ち立てることができるかどうかについては、強い疑問が生じている。最近の考え方は 、単なる政治的経済的対立より遥かに深い何かが、今日の混乱の原因であるという見 方に進んでいる。


その「より遥かに深い」ものは、道徳的価値のあらゆるレベルでの崩壊であろう。我 々は今や現代の危機が、結局はモラルと倫理観念の危機であることを自覚している。


これまで人間の社会関係を形遣ってきた倫理概念のほとんどすべては、今や厳しい試 練にさらされており、現代生活の要求を満たし得なくなってきた。世界の宗教指導者 たちは、これまで広く一般に行われてきた社会慣習に宗教それ自体を埋没させてしま い、人間の実際的努力を導くことができなかった。


数百年来の宗教信仰は、揺り動かされ、一つの坩堝の中に投じられている。そして、 これらの信仰と結びつけられ、永遠の土台に立つと考えられた、多くの社会的慣習は 、今や特定の社会集団のみでなく、世界中で打ち砕かれつつある。今や宗教は退潮に あり、その代りの感情と信念、つまり「科学時代」の始まりに対する子供じみた熱狂 によって、あるいはより危険な「ナショナリズムの神」への熱烈な崇拝によって、取 って代わられつつある。


我々の時代の特徴である「ナショナリズムの崇拝」は、宗教に似かよった感情的およ び神秘的な色合いを持つ。しかし宗教が絶対的「善悪」の概念(それぞれの宗教によ って相違はあるにせよ)で一貫しているのに対し、ナショナリズムは、その真の本質 においては絶対的善悪の存在を拒否している。ナショナリズムは相対的な価値におい てのみ「善悪」を認めている、すなわちナショナリズムは、特定の国家の発展のため の「善悪」にとどまり、倫理と道徳の真の基礎を破壊するものである。


一度は信仰と希望に満された人間生活は、今や大きく口を開いた空虚と絶望によって 占められつつある。現代社会で人間を揺れ動かしている物質的道徳的闘いの苦しさ。 国家や組織の主として恐怖を媒体とする、救いのない権力闘争の汚なさ。権利と正義 の軽視、強者による弱者からの搾取、そして人間相互の不信。これらは現代人が苦し み悩んでいる倫理的不満の兆候に過ぎない、それは戦争や民間競争のすべてにあらわ れ、人々の身体と心にはかり知れない不幸をひき起こしている。社会的のみならず、 個人の道徳的不安でもある焦燥、未知の予測できない方向へ洪水に押し流されている ような焦燥感。







ホームページへ戻る