イスラームの政治理論

イスラミックセンター編著


一、序文


ある特定の生活体系とイスラームを結びつけようとする傾向は、いつの時代にも、ある種の人々の間にあったことだ。今日「イスラームは民主主義である」と言う人々が いるが、それは「西欧的民主主義との間には相違がない」という意味を含んでいる。 共産主義はイスラームの最新修正版に他ならず、ソ連共産主義の体験をまねることは 理にかなっていると主張する人さえいる。さらにまた、イスラームは独裁的要素を持ち、そのため、アミール(指導者)に服従する儀式を復活させるべきだ、と囁く人も いる。これらの人々はイスラームの目的を誤解し、誤った情熱をもって努力するあま り「イスラームは今日の社会的政治的思想や行為の要素をすべて含んでいる」と、必 死に証明しようとする。この益もない話にふける大部分の人々は、イスラームの生き 方について、はっきり理解してはいない、彼らはイスラーム的政治体制−その中にある民主主義、社会主義そして平等性の本分と本質-についての体系的研究をしなかっ たし、しようともしない。彼らは「群盲が象を評す」ようにイスラームを語る。さも なければ、イスラームを有力な政治思想の庇護を受けなければならない孤児のように みなすのだろう。イスラームについて弁解しようとするのはそのためである。この態度は、劣等感に基づくもので、近代的政治体系と類似せず、現代のイデオロギーと一 致しなければ、イスラームの名誉を守ることができまいという観念から来る。これら の人々はイスラームに大きな害をもたらした。イスラーム政治理論をまるで判じ物に し、イスラームを、何でも出てくる手品師の袋にかえてしまった。我々が直面してい るのはかような知的窮状である。そのためでもあろうか「イスラームは独自の政治的経済的体系を持たず、どんな体系でも適合きせることができる」とさえ言い始めた人々もでてきたのである。


この情況ではイスラーム政治理論を、その真の意味、性格、目的および重要性を把える方向で科学的にかつ綿密に研究することは必須である。そのような体系的研究だけが思想のこの混乱に終止符をうつことができ、また無知ゆえにイスラーム政治理論やイスラーム社会制度およびイスラーム文化といったものは存在しないなどと主張する者を沈黙させることができるのである。それはまた、この暗闇の世界が気づかぬまま 無意識の内に渇望している一つの光明をもたらすことを願うものである。





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