ハッジ 巡礼

イスラミックセンター編著


(七)巡礼の儀式


ムスリムとして、巡礼の儀式を完全に果す義務(ファルド)とその歴史的重要性につ いて、儀式の順序にしたがって簡単に説明してみることにします。




1. イヒラム(巡礼用衣服)



これは、アッラーに帰依するという心身両方の状態を表現するものであって、すべて の信者は、メッカに近づくと全身沐浴(グスル)をして身を浄め、もしそれができな い場合は、砂洗滌(タヤンムム)を行わなければなりません。そうして身を浄めてか ら、巡礼用の衣服(イヒラム)に着替えるのです。イヒラムを身に着けてから、アッ ラーに対して次の通りニーヤ(意志表明)を唱えます。「アッラーよ、わたくしはこ れよりハッジの務めを行います。そしてそのためにイヒラムを身につけました。わた くしの巡礼が平穩に果たせますように、またわたくしの信仰の心をお受け入れ下さる ようお願いいたします。」



巡礼に参加する男性の信者は、すべてイヒラムを身につけなくてはなりませんが、そ れは縫目のない木綿の白布二枚だけで、一枚で体のひざまで被い、他の一枚を片方の 肩にかけて、体の上半身を被うのです。女性用としては特別のイヒラムはありません から、メッカに近づいたら清潔で簡素な衣服で、足首までとどくぐらい長いもの、さら に頭髪までおおえるものに着替えることになっています。



イヒラムとは、心の平安と没我すなわちアッラーへの全面的な帰依を意味するもので あって、この巡礼用衣服に身を包むことは、現世での物質的な野心や虚飾などを、す べてふり捨てることを、その形において表現しているのです。



身を浄めてイヒラム着用した巡礼者は、巡礼の行事がすべて終了し、イヒラムを平服 に着替えるまでは、普段の生活では許されている人間の欲望や快楽追求の心を慎まな ければなりません。イヒラム着用中は、普段の服を着たり、貴金属、装飾類、香水な どを身につけたり、ひげを剃ったり、髪や爪を切ること、そして夫婦間での性的関係 をもつことは禁じられています。



また同じように、他人との口論、粗野な振る舞い、異性の話、殺生および狩猟は禁じ られています。



巡礼者は、肉体的には巡礼の行為に専念し、精神的には男も女も全能の神アッラーへ の畏敬の念、自己反省、祈りのための行為と言葉の意味の自覚、ムスリムとしての同 胞感と団結の精神に徹するように努力するのです。



巡礼の儀式の最初から、ミナの谷(第五頁参照)の第一の柱に達するまで、巡礼者は 数多くの祈りの言葉を唱えます。タルビーヤは、巡礼の儀式ごとに、連れの巡礼者と 共に一斉に声を上げて唱和するのです。




2. タワーフ(回巡)



カーバ神殿の広大な聖域に入る前に、巡礼者は次のように唱えます。「おおアッラー 、あなたは平安であり、平安はあなたより下ります。われわれの主よ、われらに平安 をたまい、平安に住居である楽園へお導き下さい」唱え終ると、カーバ神殿の回巡に うつるのですが、巡礼者は預言者アブラハムの建立した聖なる神殿の遺跡である「黒 い石」に、できれば預言者ムハンマドのスンナにしたがって接吻し、手を触れてから 、「黒い石」の一角から出発して、神殿を七度び回巡するのです。一回の回巡ごとに 違った祈りの言葉を唱え、グルーブのリーダーである巡礼指導者に従って礼拝を繰り 返します。主導者のアラビア語の祈りの言葉についていけない者は、自分の言葉でア ッラーをたたえ祈りをささげてもよいのです。




3. サーイ



カーバ神殿を七度び回巡し終えると、巡礼者はメッカ市の中心近くにある、サファーと マルワの二つの小さな丘に向かって行進を始めます。



遥かな昔のこと、預言者アブラハムは、アッラーの命により、砂漠の地メッカで生き ていかねばならない妻のハガルと息子のイスマイル(かれに上に平安あれ)にわず かな水と食料を残して、この地をあとにしました。かれらの水と食料は間もなく底を ついてしまい、焼けつくような砂漠の太陽の直射を受け、母と子は耐え難い喉の乾き にさいなまれました。母ハガールはサファとマルワの丘を登りおりして、苦しむ息子 のために水を探し求めたのです。



その間に、少年イスマイルは、自分の踵で砂を掘ったのですが、母親のハガールが戻 って来た時に、なんとかれの足もとの砂の中から水が湧き出てきたのでした。この貴 重な水で、ハガールは殆ど死にかかっていた息子イスマイルの喉の乾きをいやしてや ったのです。



この井戸から、その後も水が湧きつづけたので、ある部族の一団がハガールとイスマ イルの近くのメッカの谷に住みつくようになりました。この湧水は「ザムザムの泉」 の名で世に広く知られるようになり、一時期井戸の所在がわからなくなった時があっ たのですが、預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)の祖父アブドル・ムッタリブ が夢にアッラーのお告げを聞いて、その所在地が再び確認されたのです。



ザムザムの泉」は、イスラーム信者たちから多大な尊敬を受けて、よく管理されて おり、巡礼者達は、巡礼中にこの井戸から水を飲むことになっています。アッラーは ムスリム達に、預言者アブラハムの妻ハガルがその子イスマイルのために水を探し 求めたことを意識させようと、この行事を巡礼の一つの重要な儀式とするよう命じら れたのです。



巡礼者はサファの丘に登り、その頂上で祈りの言葉を唱えてから、丘を下ってマル ワの丘へ向いその丘に登ってまた同じタルビヤを唱えます。このようにサファとマルワの二つの丘の間を七度往復してサーイの儀式を終えるのです。




4. アラファト山とムズダリファ



ズルヒッジャ(十二月)の九日の夜明けとともに、およそ二十一キロ離れたアラフ ァトの谷目指して、タルビヤを唱えながら、徒歩または車で出発します。また預言者 にスンナに基づいて、八日のうちにミナベ向かい、そこで一夜を過ごす者も多いのです。



アラファトの谷は、百万人を越える巡礼者達を一同に集められるほどに広さをもつ渓 谷で、ズル。ヒッジャの九日の正午に、すべての巡礼者がこの地に立って、アッラー に祈り、自己をふり返り過去の罪を悔悟し、ムスリム全体の同胞感を心に刻みつける のです。



またここで、巡礼者の集会が開かれて、参加者全員がズフル(正午過ぎの礼拝)とア スル(遅い午後の礼拝)を行います。



預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)は「礼拝のうち一番よいものは、アラファ トでささげる礼拝である」といっています。



日没と同時に、巡礼者達はキャンプをたたんで、およそ八キロ離れたムザリファヘと 急ぎ、そこでマグリブ(日没後に礼拝)とイシャー(夜の礼拝)を行って、一夜を過 ごすのです。




5. ミナの谷



ズル・ヒッジャ(十二月)の十日の朝、前日メッカからアラファト山へ向かう途中に あったミナの谷へ引き返します。ミナには、三つの石の柱があります。これは、預言 者アブラハムと息子イスマイル、妻ハガールを叛かせようと訪れたサタンを象徴しま す。そのとき彼らは石を投げてサタンの誘惑を退けたので、今も巡礼者達はその故事 に倣って投石を行うのです。




6. イードゥル・アドハ(犠牲祭)



三つの柱のうち、第一の柱に投石してから、巡礼者は羊、山羊、ラクダなどを犠牲に ささげます。これは、かって預言者アブラハムがその子イスマイルを犠牲にささげよ うとして、アッラーにとどめられ、かわりに小羊を犠牲にささげたという故事になら って行われるのです。



この犠牲祭は、実際にはこのようにバッジの儀式の一つとして行われるものですが、 同時に、世界中のムスリムは、巡礼の行事に参加していなくても、前述の動物一匹を 犠牲にささげ、この日を祝うことになっています。



犠牲にささげた肉の一部は貧しい人々に食べ物として配布され、残りを家族の食料と し、また親せきや友人にも分けるのです。



ここで指摘しなくてはならないのは、ここでいう「犠牲」をいう言葉は、犯した罪の 償いとか、神の怒りを静めるためにするという一般の意味の犠牲とは全く異なるとい うことです。



この場合の「犠牲」は、自分の欲望を犠牲にして、アッラーに帰依するという意味で あって、このことによってイスラームの信者は、アッラーの道とその教えに従うため には、自分の持っているものすべて、自分の命さえもアッラーにささげる用意のある ことを表現するものなのです。



アッラーは、クルアーン第二二章、第三七節で次のように述べておられます。



「それらの肉それらの血も、決してアッラーに達するものではない、だがなんじらの 篤信(タクワー)こそ神にとどく。このように、アッラー(神)はそれらをなんじら の用に服させたまい、なんじらへの神の導きに対し、アッラーをたたえさせるためで ある。善い行いの者達に吉報を伝えよ」



この犠牲祭の行事が終わってから、巡礼者はのびたひげを剃り髪を切りますが、これ はイヒラムがここで終ったことを意味するのです。しかし、巡礼服を平服に着替える だけであって、その日(ズル・ヒッジャの十日)か、または後旦一回目のカーバ神殿 回巡(タワーフ・ウィダー)を終えるまでは、イヒラムの禁止事項を守らなくてはな らないのです。この二回目のカーバ神殿回巡を果たしてはじめて、巡礼者はイヒラム の戒律から解放されるのです。



巡礼者は、ズル・ヒッジャの十日から、なお二、三日ミナの谷に残ってアッラーへの 祈りをささげ、さらに悪魔追放のための投石を行ないます。一部の巡礼者は、昼はメ ッカに居て、夜だけミナに来るようですが、すべての巡礼者は、十日以後少なくとも 二夜はミナにとどまらなければならないことになっています。



ハッジ(大巡礼)は、ズル・ヒッジャの十三日にそのすべての儀式を終えるのです。



その後、ほとんどの巡礼者は、預言者の墓と聖なるモスク(アル・マスジッド・アル ・ナバウィ)のあるメディナに向けます。



また一部の人々は、エルサレムのソロモン神殿の跡に建てられたモスク(アル・アク サー)を訪れますが、この地は、みいつの夜(この日に預言者ムハンマドに最初の啓示

は下された)と預言者ムハンマドの昇天に関係あるものとして、すべてのムスリムに とって聖地なのです。これらの地へ参詣することは、巡礼者の義務とはされていない し、またバッジの儀式の一部ともされていません。





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