ハッジ 巡礼

イスラミックセンター編著


(四)カーバ神殿


 カーバとは、もともと「四角い形の建物」という意味ですが、特にメッカにある石とモルタルで作られた高さ四五フィート、幅三三フィート、高さ五〇フィートの四角い神殿のことで、表面はクルアーンの言葉を黄金で書きつけた黒い布で覆われてい ます。



 カーバ神殿は別名最後の神殿(バイトゥル・アティック)、聖なるモスク(アル・マスジット・アル・ハラーム)、アッラーの館(バイトッラー)と呼ばれています。



 全世界のムスリムが一日五回の礼拝を行うときには、イスラームの戒律に従ってカー バ神殿の方向にむかいます。その方向のことをキブラといい、聖クルアーンには次のように記されています。「なんじの顔を聖礼拝殿の方向にむけよ。なんじらはどこにいても、なんじらの顔をキブラにむけよ」(第二章、第一四四節)。



 カーバ神殿は、唯一神アッラーに対する信仰心のあらわれとして、信者から奉納された最初のものであり、預言者アブラハムとその子イスマイルの時代に建立されたのです。カーバ神殿の建立については、クルアーンの各章で次のように述べてあります。「 われがアブラハムのために、聖なる家の位置を定めたとき‥」。(第二二章、 第二六節)



  アブラハムとイスマイルは、こう祈ってその家の礎えを定めた。「主よ、わたしたちからこの奉仕を受け入れて下さい。まことにあなたは全聴者全智者であられ ます。」(第二章、第一二七節)



  またアブラハムとイスマイルに命じた、「なんじらはこれを回巡し、おこもりし、また立札し、即頭する者のために、わしの家を清めよ」(第二章、第一二五 節)。



 アブラハムがこう祈って言ったときを思え、「主よ、この町を安泰にして下さり、またわしと子らを偶像崇拝から遠ざけて下さい」(第一四章、第三五節)。



  しかしながら、時代の変遷とともに、アッラーの唯一性への信仰、アッラーへの帰依の心、カーバ神殿と巡礼の精神などの重要性は、人々の心から次第にうすれて行ったのです。そして、人々はまた偶像崇拝と迷信的な多神教徒に逆戻りして行ったのです。



 預言者ムハンマドの出現までは、カーバ神殿には三六〇もの偶像が飾られ、巡礼はた だ単なるお祭り騒ぎとしてだけ行われたのです。



メッカの人々がイスラームに入信したヒジュラ暦八年に、預言者ムハンマドはカーバ 神殿からすべての偶像を取り払い、アッラーの命令に従ってハッジの精神を復元した のです。



 ここで強調しなくてはならないのは、カーバ神殿は預言者ムハンマドの生地ではなく 、またカーバへの巡礼は、預言者や他の人間への信仰を表明するためのものではない ということです。それは、巡礼は必ず全能の神アッラーへの帰依の心にあふれてなされるものだからです。われわれは、カーバ神殿やその他の聖なる場所を、それらの歴史や関連性のために重視しますが、しかしそれ自体のためではないのです。



 イスラームの他の信仰表現にもまして、巡礼においては、至高の神アッラーのみが畏敬の的であるという精神は、いくら強調しても足りないほどです。






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