イスラーム入門シリーズ
No. 10

M・A・クルバンアリ著


二、社会と女性



 社会の単位は個人であるとよくいわれる。これは全体主義の弊害から個人の自由と尊厳を護ろうとする発想であり、否定してはならない大切な理念を含んでいる。だがそのかたわら、この思想は個人主義への道をひらいている。個としてのアイデンティテ ィを主張するためには、どうしても他人との相違を意識しなければならない。それが エスカレートすると、ひとは他人との共通点は求めず、心の中に壁をつくり、その中 に埋没して他人をしめ出そうとする。隣人への愛はうすれ、不信感が増幅される。出現するのは野獣のジャングルだ。



 全体主義と個人主義は両極端であり、健全な社会の基盤としては同様に危険な思想で ある。個性を尊重しながら全体的協調を求める中道でなければならない。人間は個人 として単独で存在することは不可能だ。ということは、個人が人間として一人前ではないことを示す。ここでいう一人前とは、金銭的自立などの低次元の尺度ではなく、人類の存在に貢献できるか否かということだ。人類というかわりに社会といってもい い。社会を存在させうる最低限の必要条件は、子を産み育てる意志と能力をもった男女、そして子である。だから社会の最小単位は個人ではなく、家庭である。イスラー ムはこの点を重視し「人間の生き方である宗教は、結婚することで半分達成される」 といっている。昔の社会では、女性の立場はみじめなものだった。結婚にさいして同意は必要とされず、身体も財産も夫の所有となり、私的にも公的にも仕事につくこと は許されなかった。証人や保証人、後見人や管理人にはなれず、自分でものごとを決定したり契約をとりかわしたりすることはできなかった、このような偏見は、地域差はあっても、世界中にはびこり、ヨーロッパでは女性は果たして家畜なみか奴隷なみかという驚くべき議論が横行し、一部の宗教会議では「女性は魂をもたず、審判の日に復活することもない」と極論した。



 このような偏見は、西暦七世紀までの世界にかぎらず、なんと十九世紀後半まで存続 したものであり、今日の女性問題にまで影を落としている。いまでも、虐げられ、権利も自由を奪われ、男性の逆鱗にふれぬよう脅えながら、奴隷のように生きている女性は、洋の東西を問わず、決して少なくはない。人々が現在だけを求め、現在を拡大 してくれる金銭に絶大な価値を与え、人類の存続に意義を見ださない以上、。このよ うな問題はたえることもない。







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