イスラーム入門シリーズ
No. 10

M・A・クルバンアリ著


一、女性は母である


 日本でイスラームの真の姿を多少なりとも知っているのは一部の識者と信者にかぎら れるようだ、一般には、西欧の偏見と悪宣伝によるゆがめられたイスラーム観があり、なかでもその女性に関する面は大きく誤認されている。イスラームは、唯一なる創造主との対話の中で豊かな人生をおくり現世と来世で成功するための人間本来の生き方であるから、そこには男女双方にたいする公平な生き方の定めがある。男女は人間 としてまったく平等であり、同等の権利をもつ。しかしこれは男女それぞれの特性を 生かした平等と権利であり、なにがなんでも同じに扱うことではない。女性が母として子を産み育てる役割は人類存続のための大前提であり、そこに女性の真の美しさが ある。全世界で一番大切な人は母であり、すべての女性は母になりうるから、すべて の男性に尊敬され、大切にされなければならない。現代の欧米や日本では、金銭的自立が人間の一人前になる尺度である。そこで女性も一個の人間として働き、収入をえる。性の平等のためには、女も男とおなじように働いて収入を得るべきだと考え、そ れがいつのまにか社会通念になっている。ここには大変な錯誤があるようだ。女性は 過去、現在、未来を通じて母としての役割を担っている。人類存続のための大きな仕事をすでにしているのだ。その上にまだ、生活のための悪戦苦闘を強いるのか。


 「人類存続のための個々の男性の役割は、女性のそれとくらべてほとんど無視できる 。そのためには、ほんのひとにぎりの男性がいればよい。」男性の役割はよりよき社会を建設することだ。だから、働いて収入をもたらすのは男性の義務であり、女性はそれを家族のために使えばよい。


 これは一部の偏狭なイスラーム圏の学者がとなえる、女性を家庭内に閉じ込める考え方ではない。預言者の時代から女性は社会的、政治的、経済的に家庭の外に出て活躍 していたし、聖クルアーンの中で「醜行を行う女性は家に閉じ込めよ…」(第四章一五節)とあるのは、それ以外の女性の自由を束縛するものではない。イスラームは女性の社会的に健全な職業をはばむことはない、政治や公の仕事に就いてもいい。しか し子育ての義務は、母親にかわりうるものはいないから、どんな仕事にも優先させるべきである。人類存続のためのその聖なる任務を放棄しないかぎり、つまり必要なと きに仕事を交替してくれるものがいるかぎり、どんな役職にも就ける。ただ、自分以外に責任をとることができない職業、たとえば国家の首長や戦争のときの軍隊の司令官などは、母としての任務を妨げるおそれがあるから、奨励されることではない。禁止されていることではないが、預言者の言葉として「女性を首長とする民族は繁栄し ない」と伝えられているのは、差別ではなく、こういう観点からだろう。


 女性にとって母になることは人類存続のための聖なる使命ではあるが、もちろん人間 として社会に役立つことをはばむものではない。女性も社会のための重要な仕事がで きるし、女性でなければできない仕事も多い。人類の未来やよりよい社会の建設のために男性があまり貢献していないのなら、一部の重要な分野で女性がとってかわるべ きかもしれない、ただ、単に生活のため、金銭的苦労のため、母たる女性が身をすり減らして働かなければならないのは悪平等であり、不公平であるといいたい。


 問題は、母であることを、女性を含めたほとんどの人々が忘れようとしていることだ 。性のちがいをなくさなけれぱ人間として同等にはなれないと錯覚している。男性に は男性の役割があり、女性には女性の役割があることを無視して、一個の単なる人間 として扱われたいと思う。だから「人間は動物とちがって子を産むため以外に性交を たのしめる」とか「女性には産まない自由がある」などとへ理屈をこねる。たしかに 、ある状況において子を産むことが危険であったり、はなはだしい困難をもたらす場 合があるだろう。だが、そうではなく、個人としての快楽を優先させるためなら、それは人類のための義務を放棄することであり、人類の存在を否定する大罪である。


 「産みたいひとが産めばいい」というのも成り立たない。皆がそう考えれば人間はいなくなる。子を産まなければ人類は存続できない。そして母が子を良い人間になるよ うに愛情をもって育てなければ、排他的な人々があふれ、人類の文化も社会も壊滅するだろう。産まない自由を主張する者は、自分の母あるいは祖先がそのような考えを もたなかったからこそ自分が存在しているのだということを、どう受けとめているのか。産まない自由ということは、自分のことを考えているからだ。子供のためでも、 社会や人類のためでもない。もし何かの問題によって、子を産むことが困難や危険なら、その場合は他の問題であり、自由の問題ではない。


 自分だけを中心として考えるから、母になるか否かは自分で決める問題だと思ってい る。子を産んで育てるかどうかは、子が欲しいかどうかの問題だという。子は親のも のという感覚だ。自分中心主義。そこから断絶や非行やいじめがスタートする。産まない自由などという人々は、自立と独立を求めすぎて、かえって自分を人類の流れから切り離してしまい、自己の存在感を失ってゆく。あるいは、自己の存在意義など認 めていないのかもしれない。偶然に生まれてきて、なんとなく死んで行く。生まれてきたから、しかたなく生きている。生きていても死んでも変わりはないが、わざわざ 死ぬこともない。そして人類が存在しようと滅亡しようと、どうでもいいことなのだ ろう。


 母がいなければ自分も存在しない。母を大切にしなければ自分も大切にできない。母を否定することは自分を否定することにつながり、知らぬ間に心の奥底に自己否定の観念が醸成される。自殺が増え、犯罪や戦争が起きる。親を否定し、子を否定するものは、人類の流れにおける自らの存在も否定せざるをえないからだ。そして自己の生命を肯定できないものは、他人の生命など尊重できるわけがない。












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