イスラーム入門シリーズ
聖預言者ムハンマド



二一、本書での人名、地名およびアラビア語の説明



○ヒジュラ(Hijra)預言者ムハンマドのメッカからマディーナへの脱出。この年をイスラーム暦では、元年と定めています。(西暦六二二、七月一五日)



○アブドゥッラー(Abdullah)預言者ムハンマドの父。ムハンマドの生まれる六ケ月前にすでに死亡していました。



○アミーナ(Amina)預言者ムハンマドの母。預言者六才のときに死亡。



○バヌー・ハーシム(Banu Hashim)預言者の出身の家系で、聖地メッカでの名門の一つとして知られています。



○クライシュ(Quraish)アラビアの部族の一つで、ムハンマドの布教にたえず迫害を加えたが、イスラーム暦八年についに預言者ムハンマドに降伏した。



○カーバ神殿(Ka'abah)預言者アブラハムが最初に建立した聖なる神殿。



○ヒーラの洞穴(Cave of Hira)メッカ郊外の洞穴で、預言者ムハンマドは、いつもこの洞穴にこもって瞑想にひたりました。



○アル・アミーン(al-Amin)アラビア語で、「正直者」とか「信頼できる人」という意味で、預言者ムハンマドは青年の頃、メッカの人々からそう呼ばれるほど誠実な人でした。



○ハディージャ(Khadija)メッカで商売を営む裕福な未亡人で、ムハンマドはもと彼女の使用人であったのですが、彼女はムハンマドの人物を見込んで自分から結婚を申し込みました。彼女が四十才、ムハンマドが二十五才の時のことであります。また彼女は、イスラームに入信した最初の人としても知られています。



○アーイシャ(Aisha)ムハンマドは、妻ハディージャの死後多くの女性と結婚しましたが、その大部分は未亡人や離婚した女性でありました。そのうちアーイシャだけはそうではなかったのです。



○ラマダーン(Ramadan)イスラーム暦の九月で、断食月ともいわれています。ムハンマドがミアラージュ(昇天)したときに、アッラーより断食の啓示をうけたといわれています。



○ライラトゥル・カドル(Lailat-ul-Qadr)みいつの夜。ムハンマドが四十才の時、かれはヒーラの洞穴で、この大天使ガブリエルを通して初めてアッラーの啓示を受けたのです、



○イクラア(Iqraa)アラビア語の「読め」という意味で、天使ガブリエルが最初にムハンマドに話しかけた言葉です。



○ハディース(Hadith)預言者の言行録。クルアーンに次ぐイスラーム法の法源とされています。



○アリー(Ali)ムハンマドの従弟で、預言者の妻と同時に、最初期にイスラームに入信した人の一人であります。



○ザイド(Zaid)ムハンマドによって解放された奴隷で、最初の入信者の一人です。



○アブー・バクル(Abu-Bakr)最初の入信者の一人で、ムハンマドとは親友同志の間柄で、マディーナ脱出のときから、預言者の一生を通して、その教友として行を共にしました。



○ウスマーン(Othman)最初の入信者の一人で、預言者に従った教友の一人です。



○タルハ(Talha)アブー・バクルやウスマーンと同じ頃に入信し、生涯を預言者の教友としてすごした人です。



○サファー(Safa)メッカ高外の小高い丘。ムハンマドがイスラームの布教をはじめてから三年目、アッラーの啓示によってこの地ではじめてメッカの人々の前で公開の布教を行なったのです。



○ビラール、アンマール、ハッバブ(Bilal、Ammar、Khabbabb)三人ともイスラーム初期の入信者で、クライシュ族により灼熱の砂漠で、死の拷問を受けた人たちです。



○ターイフ(Taif)メッカ郊外の地名で、ムハンマドはこの地で布教活動中に、クライシュ族に石で打たれ、重傷を負ったのですが、それでもかれは「アッラーよ、かれらに正しい道を示したまえ、かれらは何をもわからないのですから」といわれたのです。



○アビシニア(Abysinia)今のエチオピアのことで、イスラームの初期、多くの信者がクライシュ族の迫害を逃れて、この地へ脱出しました。当時イスラームの信者は、この地で充分な保護を与えられました。



○ハムザ(Hamza)預言者の叔父であり、また乳兄弟であった教友。預言者の高弟の一人。



○ウマル(Umar)ハムザと同時期に入信した人で、ムスリムとして、はじめてカアバ神殿で礼拝を行ったことで、イスラーム史上画期的な人物とされています。



○シュアーブ・アブー・ターリブ(Shuab-Abu-Talib)預言者ムハンマドの属するバヌー・ハーシム一族がメッカの人々からボイコットされ、難をのがれて隠れ住んだ土地。メッカ郊外にあり、彼等はここで言語を絶する苦難の生活に耐えたのです。



○ミアラージュ(Mi'raj)ムハンマドの昇天で、彼がアッラーの恵みにより、天国を見たことを指しています。



○サウルの洞穴(Cave of Thaur)ムハンマドが、メッカからマディーナへ脱れる時に、その教友の一人アブー・バクルと共に隠れて、クライシュ族の暗殺者から難をのがれたところです。



○ムハッラム(Muharram)イスラーム暦の一月。この一月一日が、イスラーム暦の最初の日で、これは西暦六二二年七月十五日に当ります。



○アンサール(Ansar)アラビア語で「救援者」の意味。ムハンマドと共にマディーナへ逃れた多くのムスリムに生活の資や住居を与えて、暖かく迎えた当時のマディーナ在住のムスリムのことを人々はこう呼んでいます。



○バドゥルの戦い(Battle of Badr)イスラーム暦二年に、重武装した一千のクライシュ軍を貧弱なわずか三百人のイスラーム軍が打ち破ったマディーナ郊外の戦いを指します。



○ウフドの戦い(Battle of Uhud)バドゥルの戦いから一年後、クライシュ族が、マディーナに再び来襲した時、これを迎撃したイスラーム軍との間でおこなわれた戦いで、この時はイスラーム軍が敗退し、以後マディーナは数週間の間、敵の包囲下にありました。



○ブダイビーヤ協定(Treaty of Hudaibiya)イスラーム暦七年にクライシュ族とムハンマドとの間に結ばれた和解の協定ですが、クライシュ族の違反により、翌八年に破棄されました。



○ヒジュラ暦(イスラーム暦)西暦六二二年七月十五日をイスラーム紀元元年と定めたイスラーム暦のことで、ムハンマドがメッカからマディーナへ聖遷した年です。



○最後の垂訓(Last Khutba)預言者は、イスラーム暦の十年、彼がイスラームの布教をはじめてから二十四年目にメッカへ最後の巡礼をしました。この時彼に従った信者は、十一万四千もあったといわれています。そこで預言者は、人々に最後の説教をして、神の唯一性を強く説いたのです。



○ラビーウル・アウワル(Rabi-ul-Awwal)イスラーム暦の三月で、その月の十二日の期預言者ムハンマドは永眠されたのです。この日は、西暦六三二年六月八日に当ります。






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