イスラーム入門シリーズ
聖預言者ムハンマド



九、布教と妨害



 ムハンマドは、まず友人と家族からイスラームの布教を始めました。



 このような布教は三年間続き、この時期にイスラームに入信した者はわずか三十人にもなりませんでした。



 これらの入信者の中には、ムハンマドの妻ハディージャ、アリー(ムハンマドの従弟で被保護者)ザイド(ムハンマドに解放された元奴隷。一般に奴隷の身分では対等に協力してゆくことは不可能なので、ムハンマドは彼を解放してイスラームに入信させたのです)、アブー・バクル、ウスマーンおよびタルハ(三人ともムハンマドの親友で、彼の生涯の随行者)などがいます。



 三年後、アッラーは、イスラームの布教を公開して行なうようムハンマドに啓示されました。



 ムハンマドはメッカ近郊のサファーの丘に行き、そこで神の唯一性、即ち神はアッラーのみであることを人々の前で宣言し、アッラーの最後の審判について強い警告を与えたのです。



 ムハンマドは、人々にイスラームへの入信をすすめ、アッラーの教えに従って行動し、正しい道を歩むよう説きました。しかし、この事はメッカの人々をひどく激怒させることになりました。



 なぜならこのような教えは、メッカ市民のあらゆる権力と、今までカアバ神殿の偶像に投資してきたすべての権益を放棄することになるからです。



 彼等は、このような公開布教を中止しない限り、どんな目にあわされるかわからないと言ってムハンマドを脅迫しました。しかし、彼等の脅迫に対する返事として、ムハンマドは、数日後にカアバ神殿におもむき、「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドは、アッラーの預言者である。」と高らかに宣言しました。これはアラビア語で「ラー、イラーハ、イッラッラーフ、ムハンマドゥン、ラスールッラー」といいイスラームの教義の最も重要な部分として、今日まで伝えられているものです。



 非イスラーム信者たちはムハンマドヘの脅迫が失敗したことを知って驚き、今度は彼を買収しようと考え、金、名誉、女そして王位さえも彼に与えることを申し出たのですが、これに対するムハンマドの回答は次のように簡単なものでした。



 「たとえ彼等が、私の右手に太陽を、左手に月を載せてくれても、私はこの聖なる使命の遂行を決して思いとどまらないであろう」と。買収と脅迫が二つとも失敗したことを知ったメッカの人々は、ムハンマドとその弟子達に対して更に残酷な迫害を加えはじめました。メッカ市民のいうムハンマドとその弟子達の「罪」とは、ただアッラーを信じ、悪業を排し、善行、親切、正義および同胞愛を行為として実践しているということだけだったのです。



 迫害を受けたムスリムのうち、ビラール、アンマールおよびハッバブたちは、灼熱の太陽に焼かれた熱砂の砂漠へ投げ出され、胸の上に重い石をのせられるといった拷問を受けました。



 また他の信者達は、綱のはしにしばりつけられて街の中をひきまわされたりもしました。またひどくなぐられて死ぬことさえある程でした。



 しかし、非イスラーム信者のクライシュ族は、ムハンマドにはこのような拷問を直接加えることはしませんでした。



 それはムハンマドが名門バヌー・ハーシム家の出身であり、もしこのようなことをすれば終りのない内戦に激化するかもしれないと考えたからです。



 当時は、四十年間にわたる戦争がようやく終結し、彼等はすぐに次の戦いを始める余裕はなかったのです。



 しかし、ムハンマドにむかって汚物を投げつけたり通り道に針をまき散らしたりするのは、メッカ市民にとっては日常茶飯事のようになっていました。



 ある日ムハンマドが、メッカ郊外のターイフに行ってアッラーの教えを広めていた時に、ムハンマドは群衆から石でひどくなぐられて重傷をおい、ほとんど意識不明になったことさえありました。



 このようなひどい仕打ちに耐えながらも、ムハンマドは「アッラーよ、彼等に正しい道を示したまえ、彼等は何もわからないのですから」と言い続けました。



 こうしてムハンマドは、全人類への平和と愛の伝導者としての道を歩み続けたのです。五年もの間ムスリムの苦しみは日に日に増していきましたが、このような厳しい試練にもかかわらず多くの人々が嘉日のようにイスラームへ入信してきました。



 またクライシュ族の迫害を逃れて、およそ八十人のムスリムがアビシニヤ(今のエチオピア)に脱出したことがありましたが、クライシュ族の追手は執拗に彼等を追及しました。



 しかしムスリムたちは、どうにか無事にアビシニヤの地にのがれることができたのです。ところで、預言者ムハンマドが布教をはじめてからの六年間のうちに、非常に重要な人物がイスラームに入信してきます。



 これはハムザとウマルの二人ですが、ウマルのイスラームへの改宗は、イスラーム史上画期的な事件とされています。



 ウマルは、イスラーム入信と同時に当時偶像崇拝者たちの本拠とみなされていたカアバ神殿でアッラーへの礼拝を始めたのです。これはクライシュ族に対する重大な挑戦であり、これによってクライシュ族を激怒させ、彼等に一大警告を与えたわけです。その後、クライシュ族はイスラーム信者に対する迫害をさらに強めてきましたが、それにもかかわらず、多くの人々がイスラームに入信してきました。







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