第五章 尊崇と礼拝
3、サウム(斉戒)

 礼拝が毎日五回捧げられるに反しラマダーン月(イスラーム暦の第九月目)に行われる斉戒は毎年一ケ月に亘って行なわれる。此の期間中は日の出から日没に至る昼間、一片の食物、一滴の水もとってはならぬ。たとえそれがどんなに美味であり又どんなに空腹であろうとも何が我々を自発的にこんな峻烈な行動に打向わすか。唯神を信仰し神を尊崇し最後の審判を信ずるからである。断食最中の一時も感情と欲望を抑圧しない時はなく、神の法則の至上性をたたえ奉る。義務の自覚と忍耐の精神は一ヶ月の行を成功に導き我々の信仰の強化を促進する。この月に於ける苦業と鍛練は我々を厳しい現実に直面させ我々の人生形成を助ける。又他の観点よりすれば斉戒は社会的に莫大な影響を及ばす、即ちムスリムは総てその身分地位に関係なく此の期間に断食をしなければならない。このことは、人間の基本的平等性を高度に引上げ兄弟愛と同情のセンチメントを育成するに役立つ。
 ラマターン月に於いては悪は自から影をひそめ善が前へ進み出て一般の雰囲気は聖且つ浄である。
 此の実行は我々自身の利益として大きくはね返って来ている。此の課せられた原則的義務を果さない者は他の義務の遂行に際しても充分信用され得ない。然し最もよくないのは此の聖なる月に於いて平気で公然と飲食する事である。彼等は自分たちの創造者及維持者として信仰するアッラーの掟をすこしも意に介せず自分勝手なことをする人達である。のみならず彼等は又ムスリム社会の誠実なメンバーではないことを自ら示している。寧ろ此の社会と縁のない人たちである。この偽善者たちへ最悪のものが訪れることは自明の理である。

 

イスラムの理解へ戻る
聖クルアーンのページへ戻る
ホームページへ戻る