第4章信仰箇条
 先に進む面に、今まで論じてきたことを復習し、その真髄を要約することにしよう。

 一、イスラームは宇宙の主でおわすアッラーに帰依し従順することであるが、神と神の意志と神の法を知る唯一の真正甘つ信頼できる一線は予言者の教えである。我々はイスラームとは「予言者」の説く神の教えに全き信仰を捧げ彼の生活態度を模範と仰ぎこれに近づかんと努力する宗教であると定義することができる。
 二、古代には、それぞれの民族に別々の予言者がいた。そして、予言の歴史は、単一なる同じ民族の中にすら、幾人もが次から次と出現したことを教えている。その時代に於ては、イスラームとはそれぞれの真の予言者によって民族に教えられた宗教の名前であった。イスラームの牲格と真髄はいかなる時代いかなる国に於いても同じであったが、礼拝の仕方、法の様式、その他の生活の詳細な規範や規定は、あらゆる民族の地方的な特別な事情にしたがって少し異なっていた。それ故どの国民も他の国民の予言者に従う必要はなかったし、国民の貴任は自国の予言者から与えられた導きに従うかどうかということにかぎられていた。
 三、この多くの予言者の時代はムハンマド(彼の上に平安あれ!)の出現とともに終焉した。イスラームの教えは彼を通じて完全になった。−−一つの根本的規範が全世界のために作られ、彼は全人類の予言者となった。彼の予言はいかなる特定の国民や国家や時代のためのものではなかった。彼の託宣はあらゆる人々、あらゆる時代のためのものであった。古い規範はムハンマド(彼の上に平安あれ!)の出現とともに廃棄せられ、彼は完全な新しい生き方を世界に与えた。だから「最後の日」までに、将来いかなる予言者も現れないし、いかなる新しい宗教の掟も啓示されないのである。ムハンマド(彼の上に平安あれ!)の教えはアダムのすべての子供、全人類のためのものである。イスラームはムハンマド(彼の上に平安あれ!)に従うこと、即ち彼の予言を認め、彼が我々に信ずるように求めたあらゆることを信じ、彼に従い彼のあらゆる命令と指図を神の命令と指図として従うことを真髄としている。これがイスラームである。

 以上のことはおのずから我々を次の問題に導く。ムハンマド(彼の上に平安あれ!)が我々に何を信ずることを求めたのか。イスラームの信仰内容はどんなものてあるか。それでは我々はこの信仰の内容を調ベ、それがいかに簡易で、真実で、愛されて、価値があるものか、また現世と来世に於て、人間の位置をどれほど高めるものか見ることにしよう。

一、タウヒード(神の唯一性)

 予言者ムハンマド(彼の上に平安あれ!)の説かれた最も根本的で重要な教えは、神が唯一であることを信ずることである。このことはイスラームの最も基本的なカリマ(信条)で”アッラーの他に神はなし(ラー・イラーハ、イッラッラーハ)”と表現されている。この美しい言葉はイスラームの根本であり、土台であり精髄である。真のムスリムをカーフィル(不信の徒)やムシュリク(神の神性を一他のものと結ぴつける者)やダハリヤ(無神論者)から区別するものはこの信条である。この言葉を認めるか拒否するかによって、人間と人間の間に異なった世界を形成する。それを信ずる人々は一つの共同体を作り、それを信じない人々は反対の集団を形成する。信ずる人々は正しい道を見出し、真理を知り、真実の光の中に彼等の進路を押し進める。信じない人々は次から次と幻影を追い、暗黒の中を彷徨する。信ずる人々は何物にも妨げられない進歩と、現世に於ても来世に於ても嚇々たる成功がある。それを拒否する人々には、結局あるのは無駄と失敗と虚しき栄えである。まことにタウヒードは革命的な概念であり、恐ろしく権威のある理念であり、かつイスラームの出発点そのものである。
 しかし信者と不信者の間に起る差異は、単に二つ三つの言葉を復唱した結果ではない。二つ三つの言葉を唱えても、こんなに大ぎな差異が生ずるはずがない。その真の原動力はこの教理と約束を心から受けいれ、現実生活でそれを完全に守ることにあるのである。”アラーの他に神なし”という言葉の真の意味と人間生活へそれをいかに受けいれるかという方法を知らないならば、あなたがたはこの教理の真の重要性を認識することはできない。このような基本的な事柄がなされなけれぱ、それは決して効果がない。”食物”という言葉をただ繰りかえし言ってみても、飢えを和げることはででない。処方箋をただ言っていても、病人を治すことはできない。同じように、その意味を理解しないでカリマを復唱しても、現らわれる筈の変化がいっこうに出てこない。教埋の完全な意味をつかみ、その意義を埋解し、それを本当に信じ、全身全霊をあげてそれを支け入れ、それに従った時初めて、思想と生活に変化が起るのである。このカリマの理解が十全でなければ、それは完全に効力を発しない。我々は火が燃えることを知っているから、人を避ける。我々は毒は人間がさわると死ぬと知っているから、毒を見ると避ける。同様にタウヒードの真の意味を十分に理解すると、我々は信仰と行動においてあらゆる形の不信仰や無神論や多神教を排斥することができる。これが神の唯一性を信ずることの自然の成行である。

 

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