第3章予言
I.人間の思想に対する予言者ムハンマドの業績

 この偉大な人間ムハマッドの業績はこれだけに止まらない。彼の真の価値を正しく評価するためには、我々は世界史全般の背景の下にそれを調べねばならない。そうすれば約一四○○年前の”無明時代”に生れたこのアラピアの砂漠の無学な人間が「近代」の本当の開拓者であって、人類の本当の指導者であったことが明らかになる。彼は彼の指導を受け容れる人々だけではなく、彼を指導者として認めない人々の、更には彼を非難する人々の指導者でもある。ただ唯一の差違は彼を認めなかったり彼を非難さえする人々は彼の導きが彼等には感じられないが、依然として彼等の考え方と行動に影響を及ぼし、彼等の生活の律する原理でありかつ近代の精神そのものであるという事実に気がつかないことである。
 人間の思想の進向を迷信、自然でないものや神秘的なものごとや修道院制度への執着から、合理的なアブローチ、真実を愛し、敬虔で調和がとれた現世の生活を愛するようにさせたのは彼であった。要するに、超自然的な出来事のみを奇蹟と見なし、その出来事に宗教的使命の真理の証明を要求し、それに対する合理的証明と信仰を求める努力を真理の基準であると強調したのは彼であった。その頃まで、自然現象の中に神のしるしを求めていた人々の眼を開いたのは彼であった。根拠のない推測の代りに、観察と実験と調査に基いた合理的な理解と健全な推理の道に人類を導いたのも彼であった。感覚による認識や理性や直覚力の限界と機能を明白にしたのも彼であった。精神的価値と物質的価値の接近調和をもたらしたのも彼であった。信仰に知識と行動を調和させたのも彼であった。宗教のカをもって科学的精神を創造したのも彼であり、科学的精神に基いた真の熱烈な宗教を発展させたのも彼であった。
 あらゆる形の偶像崇拝、人神崇拝、多神教を徹底的に根絶し、神が唯一であるという非常に強い信仰の下に迷信や偶像崇拝に全面的に基いている宗教でさえ此の一神教的要素を取らざるをえないようにしたのも彼であった。倫埋と霊性の根本的概念を変えたのも彼であった。難行苦行と自己寂滅のみが道徳の規準と精神の純潔‐‐その純潔は現世の生を逃れ、人間性のあらゆる欲望を無視し、肉体をあらゆる苦難に投じなければ得ることはできない‐−であると信じていた人々に、身近な世界の現実の出来事に積極的に打ちこむことによって、精神の発展、道徳の解放と救済を得ることの道を示したのも彼であった。
 人間の本然の価値と位置を人類に教えたのも彼であった。神の化身や神の子だけを彼等の道徳的教師且つ精神的指導著として仰いでいた人々はいかに神に近いとはいえ神ではない人間は地上に於る神の代理者となることはできないことを教えられた。偉大な人間を彼等の神と宣言し崇拝していた人々は彼等が崇拝しているのは結局人間にすぎないのであり、それ以上の何物でもないということを納得させられた。いかなる人間も「生れ」によって神聖や権威や支配を要求することはできない、また何人も不触賤民や奴隷や農奴の名を持って生れたのではないと強調したのも彼であった。人類の一体化、人間の平等、世界の真の民主主義と真の自由思想を鼓吹したのも彼であった。
 観念の領域から一歩眼を転ずれば我々はこの無学であった人の指導が世界のさまざまな規範とあり方に強く影響を与えている実際の結果を無数に見出すのである。今日世界に広く行き亘っている善き行為や文化と文明や思想と行為の純潔に関する非常に多くの原理はその起源を逆のぼれば彼に負う所が多い。彼が与えた社会の親範は当時の人間の社会生活の構造に深く浸透して来たし、今日までも影響を与えている。彼が説いた経済の基本的な原理は世界史の多くの運動に取り入れられてきたが、将来に於てもその可能性は濃い。彼が規定した支配の規範は世界の政治に対する考え方と理論に多くの論争をもたらしたが、今日でもその影響は持続されつづけている。彼の天分を示す法学と裁判の根本的な原理は諸国家の法廷における裁判に顕著な影響を与えてきたが、また後世のあらゆる立法学者に取って永遠に尽きざる導ぎの源でもある。この無学なアラビア人が始めて国際関係の全機構に足跡を残し戦争と平和の法を規成した最初の人間であった。何故ならば、戦争にもまた倫理的規範があり得るし、それぞれの国家間の関係は共通の人類という基盤に立って調整することができるという考すら持った人が以前に一人もいなかったからである。


 

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