第3章予言
C.救世主の誕生
   このような無明の時代にこのような暗黒の国に、一人の人間が生れた。幼年時代にはや、その両親を失い、その後数年して祖父もまた亡くなった。そのため彼は彼と同年配のアラピアの子供たちが受けるわずかばかりの訓練と教育すら受けることができなかった。少年時代には彼はペドウイン族の少年達にまじって、羊と山羊の世話をしていた。成年に達すると彼は商売をはじめた。彼が交際し商売した限りの人間はアラビア人だけであったが当時のアラピア人の状態は上に述ぺた通りで教育などは彼にはおよそ緑遠いものであった。彼は全く無学文盲で無教養であった。彼は学問のある人に交わる機会が全くなかった。というのは当時アラビアには学問のある人間は全くいなかったのである。国外に出る機会は多少あった。その場合もアラビアの普通の隊商の商売旅行と何ら異るところがなかった。もし彼がその旅先で学問のある人に接したり、文化と文明の素晴しさを観察する機会があったとしてもそれは彼の人格形成には何ら資することがなかったであろう。何故ならば、斯かる偶然の出合いは、決して彼の環境から完全に彼を引き上げ、彼を全く変え彼が彼の生れた社会とは全然関係がないような創造性と栄光のあの素晴しい高さにまで彼を戒長させるほど深い影響を与え得ないからである。またそんな事は此の無学な一ベドウイン人を彼が生きる国と時代だけではなく全世界と未来永劫の指導者にさせるようなあの深遠で広大な知識を獲得する手だてとはなりえないからである。実際人々はこの隊商旅行がどれほど彼に知性的及ぴ文化的影響を与えたかいろいろ想像するが、事実はその旅行は当時の世界には全く存在しなかった宗教や倫理や文化や文明の理念や原理を彼に与えたのでは決してなかったしまた当時何処にも見出すことができなかった人間性のあの崇高性と完全性を彼に創造させたわけでもなかった。

D、石の中のダイヤモンド

 ここで我々はアラピアの社会だけではなく当時の全世界を関連させながら、この高貴な人間の生涯と仕事を見ることにしよう。彼は彼が生れ、共に青年時代と壮年時代の初めを過した人々とは全く異なっていた。先づ彼は決して嘘は言わない。彼を信ずるあらゆる人々は異口同音に彼の真実さを証明する。彼を憎悪する敵でさえも、彼の生涯のいかなる時にも嘘をついたために彼を非難したことは一度もなかった。彼は丁寧に話し、みだらな悪い言葉は決して使わなかった。彼は自分に近づく人々の心を魅惑する魅力的な人格とマナーを持っていた。人々と接触する際には彼は常に正義とフエアブレ−の原則に従った。彼は永年に亘り交易と商業に従事したが、決して不正な取引はしなかった。商売上彼と交渉する人々は彼の正直さを心がら確く信した。あらゆる人々は彼を”アル・アミーン”(正直で信頼できる人)と呼んだ画彼の敵ですら大事な所有物を安全に保管するために彼に委託し彼は彼等の信頼を誠意をこめて充たした。全く礼儀知らずの当時の社会の真中に在って謙譲の権化のようであった。飲酒や賭けごとを美徳と思っていた人々の間で生れ成長したのに、彼は決してアルコールを口にせず、賭けごとをしなかった。彼の民族は粗野で教養がなく不潔てあったが、彼は最高の教養と最も洗練された美的感覚を体得していた。凶悪な心を持った人々に四方八方とり囲まれながら、彼自身は親切な人情がミルクのように流れ出る心を持っていた。彼は孤児と未亡人を助けた。旅行者を親切にもてなした。誰をも傷つけなかった。進んで他人のために苦難を忍んだ。戦争が飯より好きな人々の間で生きていながら、彼は非常に平和を愛したので人々が武器を取り干戈を交えようとした時には、彼の言は彼等を和らげた。彼は彼の部族の斗争には加わらず真先に和解をもたらすのであった。偶像崇拝の民族の中に育っていながら彼は唯一の真の神の他、天上にも地上にも礼拝するべきものは何もないと考えるほど、彼は澄んだ心と純粋な魂を持っていた。彼は少年時代でさえ、被造物の前には頭を下げず、偶像に献げられた供物を食べなかった。本能的に彼は神以外のあらゆる被造物と存在物の一切の崇拝を憎んだ。要するにそのような無明と暗黒の環境の真只中にあって高くそぴえ光輝を放つ「この人間」の人格は暗闇の夜を照らす照明灯か使い道のない小石の堆積の中に輝くダイヤモンドにたとえることができる。
 

 

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