第3章予言
2、予言の歴史
 ここ予言に関する歴史を調べることにしよう。どのようにしてこの長い連鎖が始まり、どのようにして神のメッセージが、次第に打明かされ、遂には最後且つ最高の予言者ムハマッド(あなたに平安がありますように!)に至ったかを調べよう。
 人類は最初一人の人間から始まった−−アダムである。人間の家族が成長し人類が分れたのはアダムからである。この世に生れたあらゆる人間は結局あの最初の夫婦アダムとイプー−に端を発しているのである。

(註)−これは非常に重要て革命的な概念である。その論理的な帰結は人類の一体化と人間の平等である。人間を階級、皮膚の色、人種、領土の相違に墓ずいて分類するのは愚劣である。ナショナリズムと偏狭な人種主義と残虐な反「セム」運動が世界をずたずたに引製いてきた時代に於いてこの人類の一体化の信条は将来への強力な光明である。−編者

 また人間の起源を科学的に研究してみると、世界の各地でいろんな人間が、同時にまたは異なった時期に、生れたのではないことは明らかである。大多数の科学者もまた最初に一人の人間が誕生しそして全人類はこの同じ一人の人間から出ているという説を支持している。地上の最初の人間であるアダムはまた神の最初の予言者として任ぜられたのであった。神は神の宗教−イスラーム−をアダムに啓示し給い、イスラームを子孫に伝導するように命じ給うた。即ち人間にアラーは唯一であり、世界の創造者、支配者であること。アラーは宇宙の主人で人間はアラーに出現した。彼等は一人のこらず同し宗教を持っていた−即ちイスラームという宗教を。(註1)勿論、それぞれの予言者達の教えの形式と宗教の戒律は彼等が生れた民族の必要と文化の程度によって少しは異なっていた。それぞれの予言者の教えの詳細はその予言者が直面し取除くことに苦心している害悪の種類によって決められた。改革の方式はさまざまの慨念や考え方と戦う事態の相違によって異なった。社会、文明、知性の発連が低い段階にあった時は、予言者の掟と指図は簡単であったが、それは社会が進化し発展するにつれて修飾され進歩していった。しかしこの相違は表面的一面的にすぎない。あらゆる宗教の根本的な教えは同じであった。−神の一つであることを信じ、謙虚に善行と平和の生活に終始し、報いと罰を正しく審判する死後の生命を信ずることである。

(注)―特に西洋の学者の間には、イスラームの起源は予言者ムハマッド(平安がありますように)であるという誤解が多い。ムハマッドを「イスラームの創始者」と呼んでいる学者さえある。これは真理の冒涜である。イスラームは神のあらゆる予言者達の宗教であって、すべての予言者は神から同一の宣託を受けたのでてある。予言者者達はイスラームの創始者ではなく、教えを伝達する人即ちメッセンジャーであった。イスラームは真実の予言者たちから人類に伝えられた神の啓示を内容とする教えである。

 人々の神の予言者に対する態度はさまざまであった。先ず人々は予言者を虐待し教えを聴き容れることを拒絶した。ある予言者はその土地から追放され、ある予言者は殺害された。またある予言者は人々が白眼視する最中にも、全生涯説教をしつづけ、わずかに数人の共鳴者を獲得するにすぎなかった。はげしい反対と嘲笑と侮辱を常に蒙っても、これら神の使徒達は説教することをやめなかった。彼等の忍耐強い決心は遂に勝った。彼等の教えは結局功を奏さないことはなかったのである。大多数の民族と国民は遂に彼等の宣教を受けいれ彼等の教義に改宗した。幾世紀も続いた逸脱と無知と破廉恥行為から生じた人々の悪い傾向は今や変わった形をとった。予言者の存命中は人々はその教えを受け入れ実行していたが、予言者の死後、人々は次第に歪曲した考え方を宗教に取り入れ、予言者の教えを変えてしまった。人々は神を礼拝するのに全く新奇な方法をとった。ある者は予言者を神の権化とし、ある者は予言者を神の子とした。またある者は予言者を神聖さに於て神と何一であるとした。つまり、このことに対する人間のさまざまな態度は理性の乱用であり。人間自身を愚弄するものであった。その使命が偶像をこなごなに破壊することであった予言者をこともあろうに人間は却て偶像にしてしまった。宗教を無知の習慣と儀式と根も葉もないでたらめの伝説と人間が作った掟をごちゃまぜにして、人間は予言者が説いた教義を変え歪曲したので、時が経遇するにつれて真実と虚偽が混然一体となり、無価値なものと本質的なものを区別することが出来なくなった。予言者の教えをこのように堕落さぜただけでは満足せずに、人々は更に予言者の生涯に根も葉もない逸話や採るにたらぬ伝説をつけくわえ、予言者の生涯の信頼できる真の記録が認められないほどに虚偽のものにでっちあげた。追従者によるこのような虚構にもかかわらず、予言者の偉業は全く失なわれはしなかった。あらゆる勝手な作り変えとでっちあげにもかかわらず。あらゆる国民の間に「真理」が少しは残存していた。神と死後の生命の考え方は明らかに似かよった形に同化した。、善行と真実と道徳の或種の原理は全世界を通じて共通に認められる。このように予言者達は普遍的世界的宗教−人間の本質と全く一致し、他のあらゆる教養や或は社会で良いとされているものを含み、全人類に自然に共通して受入れられる宗教−が安心して歓迎することができるように、それぞれの民族の知的態度に応じた説ぎ方を準備した。
 上に述べたように、はじめは予言者達はそれぞれ異なった国民や民族集団の間に出現し、それぞれの予言者の教えは特にまた明白に自分の民族又は集団に対してなされた。その理由は歴史のその段階に於ては諸国家は別々に位置していたから、国家間の接触は互に断絶され、国民は住んでいる土地の地理的限界にとざされ、国家間の交渉手段は存在しなかった。このような事情であったから、この世の生活に適した法律制度を伴た共通の普遍的信仰を布教することは困難であった。その上古代の民族の一般的状態は互に非常に異なっていた。無知は大きく、そして無知はそれぞれの民族の間で彼等の道徳的頽廃と信仰の歪曲にさまざまな形式をつけ加えた。それゆえ予言者達が生れ、彼等に真理を説教し、神の道に向わせ、次第に害毒と類廃を根絶し、無知盲昧の生き方を排除し、卒直な敬虔な正しい生き方の最高の原理を実践することを教えて、彼等を人生の生業に訓練させ熱達させることが必要であった。神御一人、このように人間を青成し、人間を知性的に道徳的に精神的発展させるのに何千年かかったか総て御存知なのである。ともあれ、人間は進歩を続け、遂に人類が幼児時代から発展し、成熱の時代に入る時が来た。
 交易、産業、芸術の発達と普及に伴って、交流が諸国民の間で確立された。中国と日本から、また遠くヨーロッバやアフリカの大陸から、本格的な交通路が陸も海も開通した。多数の人々がものを書く方法を学んだ。そして知識と学問は広まった。思想は国から国へ伝達され、学問と技術は交流し始めた。巨大な征服者が現われ、征服を遠く広くおし進め、大帝国を建設し、多くの異なった民族を一つの政治組識の下に結ぴつけた。かくて諸民族は次第に互に接近し、彼等の相違は次第に少なくなってきたのである。このような状態の下、包括的な全人的な人生態度を意図し人類の道徳的、精神的、社会的、文化的、政治的、経済的その他あらゆる切望を満たし、宗教的にも世俗的にも必要かくべからざるものを具現化した唯一の信仰が神から全人類に授けられることが可能となった。二千年以上昔に人類は普通的宗教を渇望するようになったほど、一般的な進歩をとげたのである。仏教は道徳的原理をわずかしか含まず、人生の完全なる組織ではなかったが、インドから発生し、東は日本や蒙古まで西はアフガニスタンやポハラにも広まった。仏教の伝教者達は世界の隅々まで布教の旅をした。数世紀後にキリスト教えが現われた。イエス・キリスト(平安が彼の上にありますように)によって伝えられたこの宗放は所詮はイスラームに他ならなかったが、後の信奉者達はこの宗教をキリスト教と呼ぶ。そしてこの宗教はペルシャと小アジアの各地に深く浸透し、更には遠くヨーロッパやアフリカの国々まで伝播していった。これらの出来事から次のことが明白に推察でぎる。即ちこの時代の人間は全人類に共通普遍の宗教を切望した。彼等は完全な真の宗教がないとわかるや、どのように欠点があり、不完全で満足できないものであれ、優勢な宗教を他の諸民族に伝道しはじめたのである。人類の文明がこのように決定的な段階に達しており人間の心そのものが世界的宗教を褐望していた時に、全世界と全民族の為に一人の予言者がアラビアに生れた。その予言者が伝導するために与えられた宗教は再ぴイスラームであった−だが今度は個人と集団、人間の道徳的と物質的生活のあらゆる面にわたる完全な円満な組織の形に於てであった。その予言者は全人類の予言者とされ、これを全世界に広める重大な使命をもっていたその予言者こそ、イスラームの予言者ムハマッド(彼の上に平安あれ)であった。

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