イスラム教徒になる

スワード・アル・ムダファーラ著




私の森田美保子という日本名を、今の「スワード・モハメッド・アブダラァ・アル・ムダファーラ」に変えたのは、イスラム教徒になった時です。スワードという名は主人がつけてくれました。結婚するということでつきあいはじめた時には、彼は、私をもうその名で呼んでいました。



これは、イスラム教徒の名前なんです。イスラム教では、イスラム教の名前を持つ者でないかぎり、まずイスラム教徒とは認められません。私は結婚よりも前に、イスラム教徒になったんですよ。



日本ではなじみの薄いイスラム教ですが、簡単にいうと、こういうことなんです。神様というのは、日本でも、「見えないもの」でしょう。「ほら、神様が見てるよ」って、子どもの頃にいわれましたよね。



アラビア語で「アッラー」というのは、「神様」という意味なんです。「神様とは目に見えない無限の力」ということ。その無限の力はあなたのまわりで動いている。そして、木や海や土や、私たちをすべて作り上げたのは、この神様なんだと。でも、神様を見ることはできない。だから、見えない神様に向かっていつもお祈りをし、話しあい、問いかけ、お願いをする。それが神様なんだと。



そうして、もっといろいろと知っていくうちに、「イスラムの世界って、私が求めていたものだ!」と確信したんです。それで、イスラム教徒になりました。



言葉のわからないオマーンに渡ったばかりの頃から、イスラム教について一生懸命聞いてきました。必ず理解できるものだと思っていたからです。事実、アラビア語で説明されることをそうやって聞いていく方が、日本語で訳されたイスラム教に関する本を読むよりも、ずっと素直にわかっていくんです。



その後も、日本で書かれたイスラム教についての本をずいぶん読みました。でも、現地の感覚で書かれたものってほとんどないですね。



オマーンは、百パーセントの人がイスラム教徒の、イスラム国です。



オマーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール、クウェート、バハレーン―この湾岸六カ国の国民は、ほぼ百パーセントイスラム教徒です。



こういった国の人たちは、日本の人たちがいう、「宗教に入る」というような感覚じゃないんです、イスラム教というのは、私たちが生きる次元そのものなんです。だから、入るも入らないもないの。ただ、神様の無限の力を信じるだけでいいんです。それでもう、私はモスリム、つまりイスラム教徒になるんです。



私はそれまで、日本で、いわゆる仏教の中で育ってきている人です。少し変わった子どもだったのかもしれませんが、小さい頃から座禅を組んだり、滝にうたれたり、お経をよんだりするのが好きだったんです。もちろん、仏教が何かなんて勉強してないですよ。



人に悪いことをしてはいけませんとか、目上の人は尊敬しなさいとか、人に会ったらあいさつをしなさいとか。私たちが誰でも小さい頃からあたりまえにいわれてきたこと。イスラム教というのは、まさしくそれだったんですよ。



そして、オマーンでは、みんながそういったことを非常に心地よく守っていたんです。困ってる人には、手をさしのべて助けてあげる、とかね。だから、私はイスラム教にすんなりと入れたんです。



イスラム教徒になるには、外国人の場合には手続きが必要ですが、すごく簡単。



イスラム教徒のリーダーであるモフティのところに行って、「私は神様を信じます」という言葉を述べるだけ。それで、証明書をくれるんです。



イスラム教の場合は、お父さんとお母さんがイスラム教徒なら、子どもは自動的にイスラム教徒になるんです。お母さんがたとえばクリスチャンとか、他の宗教であったとしても、お父さんがイスラム教徒なら、子どもはイスラム教徒です。




戸籍の名前を変えた、初めての日本人



主人のサウドという名は、アラビア語で「幸せ」という意味なんです。同じ意味の女性の名前が「スワード」なのね。



私の名前の、スワードの次の「モハメッド」というのは、その人のお父さんの名前にあたるものです。私はそういう人がいないから、私がイスラム教徒になった時に、グランド・モフティが、預言者のモハメッドからひいてつけてくれたんです。



グランド・モフティというのは、それぞれのイスラム国のトップである国王の下で業務をつかさどる、モフティたちの中のリーダー。



そんな立派な方から、せっかくいい名前をつけてもらったのに、私にとっては、それは単なる呼び名にすぎなかったんです。



というのは、私は日本の国籍のままでしたし、日本の戸籍名もパスポートの名前も日本名のままでしたから。



それで、私は、自分の戸籍の名前から、すべてこのイスラムの名前に変えたいと思ったんです。



「そんな面倒なことをせずに、オマーンの国籍を取ればいいじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。ところが、オマーンで外国人が国籍を取るのは、日本で名前を変えること以上に大変なんです。



私は、オマーンで、日本の名前のまま暮らしたくありませんでした。私はもうオマーン人として生きていくんだから、それにはまず、すっかり名前を変えてしまおうと思ったんです。オマーン人として生まれ直そうと思ったんです。



それで、日本の戸籍の名前を変えるにはどうしたらいいかといろいろ調べまして、日本の法務省に手続きをしました。変えるまで、もう、大変でしたよ。



そういうことをしたのは、法務省でも私が初めてなんですって。でも、日本の法律というのは、誰かが最初にやれば、必ずあとが簡単になるの。じゃあ、これは私がやろうと。



それで、裁判所に書類を提出して、日本人で初めての判例として、私は戸籍の上からすっかり名前を変えたんです。



当時、日本もそれ以前よりはずいぶんよくなっていて、姓だけは変えられるようになっていました。昔は、外国人と結婚しても、一切名前を変えることはできなかったんです。そういうふうに改善されていったのも、それまでに多くの先輩女性たちが抗議したからだと思いますよ。それでもまだ、姓名の名の部分は残さなければならなかった。それを、私は姓名ともすべてを変えることを認めてもらったんです。



そういうわけで、私は、結婚してからもしばらくは日本のパスポートで、日本の名前のままでした。



日本の名前のまま結婚していると、どういうことがあったと思いますか?



私のパスポートが日本の名前のままで主人と外国に出かけた場合に、イヤな思いをさせられたことがこれまで何度もありました。自分が、いわゆる「フジヤマ・ゲイシャ」の日本人ということなんです。正式に結婚している女性ではなく、そういう感じの女として見られたんです。



これは、非常に屈辱的です。もちろん、本来の「芸者」の意味を知らずに、ただそういう目で日本女性である私を見るということなんです。日本女性に対するそういう偏見って、まだまだ外国に行くとあったんですよ。今もあるんじゃないですか。



これまで、そういった人たちの中に飛びこんで、国際結婚をして海外へ行かれた女性たちは、大変な苦労をしてこられたと思います。



だから、日本の法律も、もっと女性を解放しなきゃいけないと思うんです。世界へと女性が出ていく時代なんだから、自分の好きな名前を選べるようになってほしいです。けれど、日本の法律ぐらい、名前に関してあやふやな法律はないです。



イスラム教の名前は、生まれた時から死ぬまでその名前です。結婚しても、名前は変わりません。



日本の場合、結婚すると、ほとんどの女性は蛙が変わってしまうでしょう。簡単に変わってしまうってことは、アイデンティティーじゃないんですよ。要するに、単なる呼び名にすぎない。でも、イスラム教での名前というものは、その人のアイデンティティーなんです。名前はその人自身なの。



それから、オマーンの国籍を取るのにも、日本の名前では取れません。申請することもできないんです。ですから、まず、名前をイスラム教の名前に変えて、そして、国王から国籍をもらうんです。



それと、オマーンで結婚して十年たたないと申請することもできないんです。やっと申請ができて、私はずっと許可が下りるのを待っていました。



つい何年か前ですよ。内務省から連絡が入って、「国王の許可が入った。スワード・モハメッド・アブダラァという名前で、あなたに国籍を与える」といってきたんです。



「どうして、私のファミリー・ネームのアル・ムダファーラがつかないんですか?」「あなたは、両親がオマーン人でないので、ファミリーネームはどうしてもつけられないんだ」って。だから、「世界中さがしたって、ファミリー・ネームのない人なんていないですよ。そんな、セカンド・クラスの国籍なんて私はいりません!」っていいましたよ。そして、「私は校長として、あちこちの国に行く人間なんですよ。私はオマーン人でありながら、オマーン人でないような、そんな名前ならいりません」と談判したんです。



それで、あれこれ話しあいがあって、最終的には許可が下りました。これも、オマーンで初めてのケースです。



そこから、私はオマーン人になったんです。



娘の場合は、不思議なんですよ。娘は「美奈」(みな)という名前で、私がつけたんです。美奈の美は、私の美保子の美から取ったんです。それと、これをいうと、娘はイヤがるんですが、彼女がお腹にいた時、ミーナという名前の、子どもの運動靴があったのね。インターナショナルなひびきもあるし、かわいいし、これがいいや、と思って、美奈にしたんです。



ところが、実際にオマーンに行くと、そこに「ミナ」という名前があったんです。アラビア語で、「針の文字盤」とか、「中心地」という意味なんです。



オマーンに行ってみたら、自分の子の名前がアラビア語にあったなんて、「やっぱり、私、ここにいる人なのかしら」って、そんなこともふと思いましたよ。運命っていうのかしら。



ですから、美奈の名前は、お父さんの名前をもらって、「ミナ・サウド・アル・ムダファーラ」です。



彼女はこれまで、オマーンの国籍がなくても子どもだからよかったんですが、もう大人ですから、許可を得ないと、そろそろ問題が出てきますでしょうね。





書名
著者
出版社
出版年
定価
校長先生、大好き!アラビアのオマーン王国に学校をつくった日本女性の物語
ISBN: 4763097113
スワード・アル・ムダファーラ 東京・求龍堂 1997 本体1600

イスラミックセンターパンフレットのページへ戻る
聖クルアーンのページへ戻る
ホームページへ戻る