ハディースとは何なのか
牧野信也(Makino Shin'ya)著




上巻のはしがきで述べたように、「ハディース」−「イスラーム伝承集成」は、コーランに次ぐイスラームの根本文献である。すなわち、コーランが、イスラームの始祖である預言者ムハンマドが受けた啓示、つまり神の言葉の集合体であるのに対して、ハディースは、預言者ムハンマドが人間として語った言葉および、した行いの記録の集大成である。



イスラームにおいて、人間は神の意志に従って行動しなければならず、そこで、いかにして神の意志を知るかが重大な問題となるのであるが、神の意志はコーランおよびハディースによってのみ知ることができると信じられている。こうして、イスラームにおいて聖典は、第一次聖典としてのコーランと第二次聖典としてのハディースの二つだけであり、後の時代のイスラームのあらゆる形態は、すべてコーランおよびハディースから出て来ている。



この点いついてやや立入って言えば、イスラームという宗教を共時的に見た場合、イスラームが現在、地球上で行われている地域の拡がりに則して把えたときでも、一方また、通時的に、イスラーム発生以来今日に至るまでの十数世紀に互る歴史の流れに沿って見た場合でも、この宗教はそれぞれの地域ごとに、そして時代ごとに極めて複雑で多様な文化の構造体としてその姿を現わしている。ところが、イスラームのこのような複雑で多様なありとあらゆる発現形態というものは、すべて上述の神の意志の具体的な現われとしての聖典コーランの言葉を解釈することから発しており、コーランをさまざまな仕方で解釈することがイスラームの多様性をもたらした。つまり、各時代、各地域のイスラームのさまざまな発現形態は、コーランの言葉の解釈学的展開の軌跡に他ならないのである。この意味でコーランは文字通りイスラームの原点をなす、と確かに言える。



しかしさらに詳しく見ていくと次のような状況がある。後述するように、預言者ムハンマドは受けた啓示としてのコーランだけを残して世を去ったが、彼の死後、イスラームはカリフというその後継者の統治の下、かつて歴史にその例を見ないほど猛烈な速さで四方の拡大な地域に広まり、アラブ以外のいろいろな民族の中に浸透していった。その結果、イスラームが発生直後、アラビア半島のみに限られていた時代には全く想像すらできなかったような宗教的、社会的問題が矢継ぎ早に生じ、これを解釈していくために人々はコーランに次ぐ宗教上の権威を強く希求するようになった。こうして、神の言葉としての第一次聖典コーランと、それに次ぐ、預言者ムハンマドの言葉と行いの記録としての第二次聖典ハディースが成立することになる。



ここで、コーランとハディースとの関係は、あくまでもコーランを中心にして、それをハディースが四方からとり囲む二つの同心円というふうに表わすことができる。そして先に、イスラームの複雑且つ多様なあらゆる発現形態はすべてコーランの言葉の解釈学的展開の軌跡である、と言ったが、それはここでより正確には次ぎのように表現されうるであろう。すなわち、イスラームのあらゆる形態は、コーランの言葉をハディースというプリズムを通して四方八方に分光し、さまざまな仕方で解釈した結果に他ならないのである、と。この意味でコーランとハディースは文字通りイスラームの原点をなすのである。




ハディース・イスラーム伝承集成・下巻、ブハーリー著、牧野信也訳
(引用: 413-415ページ)
東京:中央公論社、1995年、ISBN: 4-12-403137-8、定価12,000円

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