ハディース・イスラーム伝承集成
神の唯一性(五分の五)


ブハーリー編纂
牧野信也訳




五二
預言者の言葉「コーランに通じている者は高貴な記録天使と一緒になるであろう」。「あなた方の声でコーランを飾りなさい」

(一)アブー・フライラは、預言者が「アッラーは、預言者が美しい声でコーランを朗唱するほど喜んで聴かれることはない」と言うのを聞いた。



(二)ウルフ・ブン・アッ・ズバイル、サイード・ブン・アル・ムサィヤブ、アルカマ・ブン・ワッカースそしてウバイド・アッラー・ブン・アブド・アッラーによると、嘘つき達がアーイシャを中傷したとき、彼女は言った。「床に伏してつらつら考えますのに、わたしは潔白であり、またアッラーもそれを明らかにして下さるであろうことがわかりました。でも、アッラーがわたしのために何かを語って下さるにはわたしはあまりにも卑しいので、わたしは、アッラーがわたしについて啓示を下し、それを誦み聞かせて下さろうとは夢にも思っておりませんでした」と。このとき次の啓示が下された。「さて、ああいう讒言をまき散らしたのはお前たちの中の一部の者だったな。おかげでお前たち自分がひどい目に遇ったというふうに考えてはいけない。あれがかえってお前たちのためになっている。彼らはみなそれぞれに自分の犯した罪の責を負う。中でもその張本人はいまにひどい天罰をこうむろう」(二四の一一)。



(三)アディー・ブン・サービトによると、アル・バラーゥは、預言者が夜の礼拝で「いちじくとオリーブにかけて」(九五の一)と唱えるのを聞き、彼よりよい声でコーランを誦むのを聞いたことがない、と言った。



(四)イブン・アッバースによると、預言者はメッカに隠れていたとき大声でコーランを唱えていたが、それを聞いた偶像崇拝者達はコーランとそれをもたらした天使を罵倒した。そこで神は預言者に「礼拝にはあまり大声てとなり立てないように。と言うて、あまり小声でもいけない……」(一七の一一〇)とよびかけられた。



(五)アブド・アッラー・ブン・アブド・アッ・ラフマーンによると、アブー・サイード・アル・フドリーは彼に言った。「わたしの見るところ、あなたは砂漠が好きなようだが、羊の群を連れて砂漠に居て礼拝へのよびかげをするときは大声で叫びなさい。というのは、ジンでも人間でも何でも、礼拝へよびかげる人の声を聞く者は、復活の日、彼のために必ず証言するであろうから」と。アブー・サイードはこれを神の使徒から直接間いた、という。



(六)アーイシャは、月経中、預言者は私の胸に頭をもたせかけてコーランを唱えておりました、と言った。




五三
いと高き神の言葉「コーランを誦みなさい、無理にならぬ程度でいいから」(七三の二〇)。

(一)アル・ミスワル・ブン・マフラマとアブド・アッ・ラフマーン・ブン・アブド・ル・カーリゥによると、ウマル・ブン・アル・ハッターブは語った。神の使徒の生前に、わたしはヒシャーム・ブン・ハキームが「フルカーソ」の章を唱えるのを聞いたが、よく耳を澄ますと、彼は、わたしが神の使徒から教わらなかったような多くの誦み方をしていた。それで、わたしは礼拝中に彼に跳びかかりそうになったが、やっとこらえ、礼拝が終るやいなや彼の衣を引き張って「今お前が唱えるのを聞いたこの章を誰から教わったのか」と尋ねると、彼は「神の使徒から」と答えたので、「嘘だ、お前が誦んだのとは違う唱え方をわたしは神の使徒から教わったのだ」とわたしは言った。そこで、わたしは彼を引張って神の使徒のもとへ行き、「この者は、あなたがわたしに教えて下さったのとは違う仕方で『フルカーン』の章を唱えていました」と言うと、預言者はわたしに「彼を離しなさい」と言ってから、ヒシャームに「誦んでごらん」と促すと、彼はすでにわたしが聞いたように唱え、そのとき神の使徒は「そのようにこの章は下された」と言った。次に神の使徒はわたしに「ウマルよ、誦みなさい」 と命じ、わたしが教えられた通り唱えたとき、彼は「そのようにこの章は下された。だが、コーランは七種類の唱え方で下されたのだから、そのうちのやり易い仕方で唱えなさい」と言った。




五四
いと高き神の言葉「こうして我らはやさしくコーランを解き明かし、みなの反省を促しておる。これではっと気のつく者はおらぬか」(五四の一七)−預言者は「すべてのものは、それが創られた目的のために易しくされている」と言った。マタル・アル・ワッラークは上述の神の言葉について、その後半を「知識を求める者はおらぬか、彼はそれを容易にされるであろう」と説明している。

(一)ムタッリフ・ブン・アブド・アッラーによると、イムラーンが「な古人は行うのでしょうか」と尋ねたとき、神の使徒は「すべてのものは、それが創られた目的のために易しくされているからだ」と答えた。



(二)アリーによると、預言者が或る葬式に列していた折、一本の棒をとって地を叩き「あなた方のうちの誰一人として、地獄または天国で占める場所が予め定められていない者はない」と言ったとき、人々が「わたし達は帰依していますが」と言うと、彼は「良いことを行いなさい。すべてのことは易しくなっているから」と応え、「まこと、汝らの志すところは人さまざま。喜捨を好み、曜神のこころ敦く」(九二の四−五)と唱えた。




五五
いと高き神の言葉「これはこれ、いとも尊きクルアーンぞ、その原典は天に保管された書板ぞ」(八五の二二〔二一〕−二三〔二二〕)。「かの山にかけて。解き拡げた羊皮紙に書き記された啓典にかけて」(五二の一−三)

(一)アブー・フライラは、神の使徒が「アッラーは創造の業をなす前に『わたしの恵みは怒りに先立っ』とお書きになり、それは神の玉座の上に書かれている」と言うのを聞いた。




五六
いと高き神の言葉「イブラーヒームは言った『あなた方自身も、あなた方のこしらえるものも、みなアッラーがお創りになったものではないか』(三七の九四〔九六〕)と」。「まことに、我らはいかなるものも全てよく量って創った」(五四の四九)−絵を描く者は、汝の作ったものに命を吹き込んでみよ、と言われる。「まこと、汝の主はアッラーであるぞ。天と地とを六日で創り、それから玉座にっき、昼を夜で覆い給えば、夜は昼を休みなくせっせと逐って行く。太陽も月も星々もその例言葉のまま。ああ、まこと、創造の業と天地の支配がアッラーのものでなくてなんとしよう。讃えあれ、万有の主、アッラーに」(七の五二〔五四〕)−イブン・ウヤイナによると、「創造の業と天地の支配がアッラーのものでなくてなんとしよう」という言葉によって、アッラーは創造と支配を区別している、という。1預言者は信仰を行為と呼んだ。−アブー・ザッルとアブー・フライラによると、どの行いが最もよいか、と尋ねられて、預言者は「アッラーへの信仰と神の道に戦うことだ」と答えた。−「それもみな自分で稼いだ報い」(五の四二〔三八〕 )−アブド・ル・カイス族の代表が預言者のもとに来て、「我々がそれを行えば天国へ入ることができるよい行いを教えて下さい」と求めたとき、彼は「アッラーを信じ、アッラーの他に神なし、と証言し、礼拝を行い、喜捨を差出しなさい」と命じ、これらのすべてを行いとした。

(一)アブー・キラーバとアル・カースィム・アッ・タミーミーによると、ジュルムの人々とアシュアリーの人々は親しかったので、ザフダムがアブー・ムーサ・アル・アシュアリーのもとを訪れたとき、鶏肉の入った料理がもたらされ、傍にはマウラーであったタイイ族の一人の男が居た。アブー・ムーサがその男に食べるようにすすめると、彼は「鶏が汚いものを食べるのを見て穢れていると思うので、わたしは誓ってそれを食べません」と応えた。そこでアブー・ムーサは「では、誓いについて一つの話をして上げよう」と言って、次のように語った。「アシュアリーの人々を連れて、わたしが預言者のもとへ行き、路駝に乗せて下さい、と求めたとき、彼は『今、路駝をもっていないから、乗せることはできない』と断った、ところが、後に路駝の群が戦利品としてもたらされたとき、預言者は『アシュアリーの人達はどこに居るか』と言って我々を探し、白い瘤の路駝の群を我々に与えるように命じた。それで我々は出発したが、道々『何ということを我々はしてしまったことか。神の使徒は、路駝を持っていないので、我々を乗せることはできない、と最初、誓って言ったにもかかわらず、後に 結局我々に与えて下さった。我々はこうして神の使徒に誓いを破らせてしまったので、もう浮ばれない』と言い、彼のところへ引返しでこのことを話した。すると預言者は『あなた方に路駝を与えたのはわたしではなく、アッラーに他ならない。神かけて、わたしは或ることを誓った後、それよりよいことがあると解った場合は、ためらわず誓いを取消してよりよい方を行うであろう』と言った」と。



(二)アブー・シャムラ・アッ・ドバイーがイブン・アッバースから伝えるところによれば、アブド・ル・カイス族の代表が神の使徒のもとに来て「あなた様とわたし連の間にはムダル族の偶像崇拝者達が居るため、神聖月になってやくにっと来ることができました。つきましては、故郷に残して来た者達にも勧めたいと思いますので、天国へ入るためになすべきことをお教え下さい」と求めた。すると、彼は応えて言った。「わたしは四つのことを命じ、先ず第一はアッラーへの信仰−アッラーへの信仰とは何であるか知っているか。それは、アッラーの他に神はない、と証言することである。−次に礼拝を行うこと、次に喜捨を行うこと、そして戦利品の五分の一を差出すことである。一方、わたしは、ひょうたんや、樽や、松脂を塗った器や、瓶の使用を禁ずる」と。



(三)アル・カースィム・ブン・ムハンマドがアーイシャから伝えるところによれば、神の使徒は「これらの絵を描いた者は復活の日に罰せられ、『お前たちが作ったものに命を吹き込んでみよ』と言われるであろう」と言った。



(四)イブン・ウマルによると、預言者は「これらの絵を描いた者は復活の日に罰せられ、『お前たちが作ったものに命を吹き込んでみよ』と言われるであろう」と言った。



(五)アブー・フライラは預言者が次のように言うのを聞いた。「神は仰せられた『わたしが創ったように創ろうとする者ほど罪深い者はない。蟻でも、大麦の粒でも、小麦の粒でも創ってみるがよい』」と。




五七
罪人や似非信者のコーラン読誦は口先だげのこと。

(一)アブー・ムーサによると、預言者は「コーランを唱える信仰者は、味もよく香りもよいオレノジのようであり、コーランを唱えない信仰者は香りはないが味のよいなつめやしのようであり、コーランを唱える罪人は、香りはよいが苦いミルドのようであり、コーランを唱えない罪人は苦く香りもないコロシントのようである」と言った。



(二)アーイシャによると、人々が預言者にカーヒンについて尋ねたとき、彼は「あれは何の力もない」と答えたが・さらに彼らが「でも、彼らが何かを語ると、その通りになります」と言ったとき、預言者は「その言葉は、ジンが天で盗み聞きしたものに沢山の嘘を混ぜ合わせて、鶏が鳴くように人の耳に入れるのだ」と応えた。



(三)アブー・サイード・アル・フドリーによると、預言者が「やがて東の方から人々が現われ、彼らは口先だけでコーランを唱え、矢が獲物からそれるように真の信仰から離れ、矢が矢筒に戻らないように、彼らは信仰に帰らないであろう」と言ったとき、人が「彼らの特徴は何ですか」と尋ねると、彼は「剃った頭だ」と答えた。




五八
いと高き神の言葉「復活の日のためには、正確な秤を設けようぞ」(二一の四八〔四七〕)人間の行いと言葉は計られるであろう。

(一)アブー・フライラによると、預言者は「舌に軽く、秤には重く、慈悲深い神の愛し給う二つの言葉は『アッラーに栄光あれ』と『アッラーに讃えあれ』である」と言った。










書名
著者
出版社
出版年
定価
ハディース・イスラーム伝承集
下巻: ISBN 4124031378
ブハーリ編纂
牧野信也訳
東京・中央公論社 1991 本体9515




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