ハディース・イスラーム伝承集成
神の唯一性(五分の三)


ブハーリー編纂
牧野信也訳




三一
神の意志について。いと高き神の言葉「こう唱えよ、『おお神よ、王国の王なるものよ。汝は御心のままに誰にでも上国を授け、また御心のままに誰からでも王国を取り上げ給う……」(三の二五(二六〕)「何事によらず『わたしは羽口これこれのことをする』とだけ言ってはならない。必ず『もしアッラーの御心ならば』とつけ加えるように」へ(一八の二三〔二四〕)「汝は自分の心のままに誰でも導くというわけには行か幻。だがアッラーは、御心のままに誰でも導き給う……」(二八の五六)。アル・ムサィヤブによると、この言葉はアブー・ターリブについて下された、という。「アッラーは汝らに楽なことを要求なさる、無理な求めはなさらない」(二の一八一〔一八五〕)。

(一)アナスによると、神の使徒は言った。「アッラーに何かを求めるときは、『もしお望みならばお与え下さい』などと言わず、はっきりと言い表わしなさい。神はそれに気を悪くしたりなさらないから」と。


(二)フサイン・ブン・アリーによると、或る夜、神の使徒がアリーとファーティマの家の戸を叩いて「あなた方は礼拝しないのか」と声をかげたとぎ、アリーは「神の使徒よ、わたし遠の魂はアッラーの御手のうちにあります。神がそうしようとお望みになれば、わたし遠を起して礼拝させるでしょう」と言った。これに対して神の使徒は何も応えなかったが、立ち去るとき彼は自分の腿を打ちながら「本当に、人間というものは文句の多いものだ」と言った。



(三)アブー・フライラによると、神の使徒は「信仰者は麦の若い茎のようで、どの方向から風が吹いて来ても、曲り撓むが、風が止むと真直ぐになる。災難に見舞われたとき、信仰者はこのようになる。一方、不信仰者は頑丈で真直ぐな杉の木のようであるが、神がお望みになれば、根こそぎにされる」と言った。



(四)アブド・アッラー・ブン・ウマルは、神の使徒が説教台で次のように語るのを聞いた。「あなた方ムスリムは、昔の民に比べると、午後の礼拝の時と日没の問に居るようなものである。すなわち、先ずユダヤ教徒はトーラーを与えられ、昼まで働いたが、それ以上できなくなり、報酬として一キーラートを与えられた。次にキリスト教徒は新約聖書を与えられ、午後の礼拝の時刻まで働き、それ以上できなくなり、やはり一キーラート与えられた。その後で、あなた方はコーランを与えられて日没まで働き、二キーラート与えられた。これを見て、ユダヤ教徒が『この人達は少ししか働かないのに、より多く与えられました』と言ったとき、神が『お前たちの報酬について、わたしは何か不当なことをしただろうか』と尋ねると、彼らは『いいえ』と答えた。そこで神は『これはわたしが望む者に与える恵みなのだ』と言われた」と。



(五)アブー・イドリースによると、ウバーダ・ブン・サーミトが一団の人々と共に神の使徒に忠誠を誓ったとき、彼は次のように言った。「あなた方がアッラーの他に何者をも崇めず、盗みをせず、姦通せず、貧しさのために子供を殺さず、勝手に作り上げた嘘で人を中傷せず、良いことについてわたしに逆らわない、という条件でわたしはあなた方と約束を結ぶ。これらすべてを果たす者はアッラーから報いを与えられるが、これらのうちの何かを破る者はこの世で罰を受け、それは償いと浄めになる。また、過ちを見逃された者は、神の御意志によっては、罰せられるか、或いは赦される」と。



(六)アブー・フライラによると、スライマーン(ソロモン)は六十人の妻を持っており、「今夜、わたしが妻達のもとを巡ると、各々はみごもって子を生み、それは騎士となって神の道に戦うであろう」と言って妻達を訪れたが、ただ一人だけが子を生み、しかもそれは半分の体であった。これについて神の預言者は「もしスライマーンが『神の意志ならば』という言葉をつけ加えたならば、どの妻もみごもって子を生み、それは騎士となって神の道で戦ったであろうに」と言った。



(七)イブン・アッバースによると、神の使徒が病気のベドウィンを見舞い「これは何でもない。アッラーの意志ならば、それは浄めである」と言ったとき、彼が「浄めですって、とんでもない。これは老人を苦しめ、遂には墓へと追いやる熱病です」と応えると、預言者は「確かに、そうだ」と言った。



(八)アブー・カターダによると、信徒達が礼拝をせずに眠っていたとき、預言者は「アッラーは、ぞうお望みになるとき、あなた方の魂を引上げて眠らせ、またそうお望みになるとき、戻して目覚めさせる」と言った。そこで彼らは用を足して身を浄め、やがて陽が昇り輝いた頃、彼は立って行って礼拝を行った。



(九)アブー・フライラによると、或る日、一人のムスリムと一人のユダヤ教徒が口論し、ムスリムが「ムハンマドを世界のうちから選んだ神にかけて」と誓うと、ユダヤ教徒は「モーセを世界のうちから選んだ神にかけて」と言い、ムスリムは手をあげてユダヤ教徒に平手打ちをくらわせた。そこでユダヤ教徒が神の使徒のところへ行って、二人の間に起ったことを告げたとき、彼はムスリム達に向って「わたしのことをムーサより優れた者だと言ってはならない。というのは、復活の日、人々はすべて気を失い、わたしは最初に気をとり戻すが、そのとき見ると、ムーサは神の玉座の隅をしっかりと掴んでいるであろう。彼も一旦気を失い、わたしより前に気をとり戻すか、或いはアッラーのおはからいで、気絶を免れるかどうか、わたしにはわからないから」と言った。



(一〇)アナス・ブン・マーリクによると、神の使徒は「やがて偽キリストはメディナにやって来て、そこを護る天使を見出すであろう。しかしアッラーの御心ならば、為キリストもペストもこの町に近づかないであろう」と言った。



(一一)アブー・フライラによると、神の使徒は「それぞれの預言者には使命があり、わたしの使命は、御心ならば、復活の日、わたしの民のために執成しするためにとっておきたいものだ」と言った。



(一二)アブー・フライラによると、神の使徒は言った。「夢でわたしは自分が或る井戸のところに居るのを見、先ず幾らかの水を汲んだ。次にイブン・アビー・クハーファー、すなわち、アブー・バクルーが桶を取って一杯か二杯汲んだが疲れ、アッラーはそれを赦された。その後でウマルが桶を取ると、それは大きな器に変った。これほど力強く仕事を成しとげる人をわたしはかって見たことがなく、やがて彼のまわりには人々が休み場を求めて集った」と。



(一三)アブー・ムーサによると、人が何かを求めて来たとき、預言者は信徒達に「彼のために執成しなさい、そうすれば、あなた方は報いを与えられよう。アッラーはその御意志を使徒を通して果たされる」と言った。



(一四)アブー・フライラによると、預言者は「あなた方のうちの誰でも、『神様、もしお望みならわたしをお赦し下さい。もしお望みならわたしをお恵み下さい。もしお望みならわたしに糧をお与え下さい』と言わず、その求めをはっきりと言い表わしなさい。アッラーは誰にも強いられずに、自ら望むことを行われるから」と言った。



(一五)ウバイド・アッラー・ブン・アブド・アッラー・ブン・ウトバ・ブン・マスウードによると、イブン・アッバースとアル・フヅル・ブン・カイス・ブン・ヒスソ・アル・ファザーリーが、ムーサ(モーセ)の出遇った人について、それはハディルであるか、と言い争っていたとき、ウバヅィ・ブン・カァブ・アル・アンサーリーが通りかかったので、イブン・アッバースが、ムーサの出遇った人について神の使徒が何か語るのを聞いたことがあるか、と尋ねたところ、ウバッイは、神の使徒が次のように語るのを聞いた、と応えた。「ムーサがイスラーイールの民と共に居たとき、一人の男がやって来て『あなたより智恵のある人を知っていますか』と尋ねると、彼は『いや、知らない」と答えた。そこでアッラーがムーサにハディルという神の僕の居ることをお示しになったので、ムーサが、彼に会うための道を尋ねたところ、神は彼に魚をしるしとして与え、魚を失ったならば引き返せ、そうすればハディルに出過うであろう、と仰せられた。ムーサはその魚の後を追って行ったが、やがて彼の召使が『我々が岩のところで休んだとき、わたしは魚のことを忘れ……いや、シャイターンがわたし に忘れさせ、思い出さぬようにしました』と告げたとき、彼は『これこそ我らの求めていたことではないか』と言って、もと来た道を後戻りし、そこで二人はハディルに出過った。



(一六)アブー・フライラによると、神の使徒は「明日、我々は、かつて不信仰者が我々に対して誓い合ったキナーナ族の地に降り立つであろう」と言った。



(一七)アブド・アッラー・ブン・ウマルによると、預言者がアッ・ターイフの町を包囲したが落すことができなかったので、「アッラーの御心ならば、引き返そう」とよびかげたとき、信徒達は「町を征服せずに帰るのですか」と異議を称えた。そこで彼が「では、明日、再び戦いをしかけよ」と命じると、彼らは戦い、多くの者が負傷した。それで預言者が「神の御心ならば、引き返そう」と言ったとき、信徒達は喜び、これを見て神の使徒はほほ笑んだ。




三二
いと高き神の言葉「もともとアッラーに執成しのきくのは、正式に許可を戴いている者だけ。やがて彼らの心の動揺がおさまった頃、天使たちが『これ、どうであったか、神様のお言葉は』と訊けば、さすがの彼らも『やはり本当でございました。まことに、至高、至大の御神におわします』と言うであろう」(三四の二二〔二三〕)。神の言われたことは「汝らの主は何を創られたか」ではなく、「主の許しなしに誰が執成しすることができようか」であったマスルークがイブン・アッバースから伝えるところによれば、神が啓示を語るとき、天の人々はそれを聞き、やがて彼らの心の動揺がおさまった頃、それが主から来た真理であることを認め、天使達が「主のお言葉はどうであったか」と尋ねると、彼らは「本当でした」と答える。ジャービルによると、アブド・アッラー・ブン・ウナイスは、預言者が「アッラーは人間達を生き返らせ、遠くからも近くからも聞こえる声で『わたしは王であり、報復する者である』とよびかげられる」と言うのを聞いた、という。

(一)アブー・フライラによると、預言者は言った。「アッラーが天上で事を決せられると、天使達は神の例言葉に対する恭順のしるしとして羽をはばたかせ、その音は岩を打つ鎖のようである。啓示の言葉が人々に咳き渡り、やがて彼らの心の動揺がおさまったとき、天使達が『主のお言葉はどうであったか』と尋ねると、彼らは『本当でした。主は至高、至大におわします』と答えるであろう」と。



(二)アブー・フライラによると、神の使徒は「預言者がコーランを歌うように唱えるとき、アッラーは何にも耳を傾けられないしと言った。或る伝承者によると、「歌うように唱える」とは、大声を張上げることだという。



(三)アブー・サイード・アル・フドリーによると、預言者は「アッラーが『アーダムよ』とお呼びになると、彼は『はい、ここに居ります』と応え、そこで一つの声がして『アッラーはお前が子孫の一団を地獄へ送るようにお命じになっている』とよびかけられる」と言った。



(四)アーイシャは「わたしにとってハディージャほど羨ましい女はありませんでした。主は預言者に、彼女が天国の住まいを与えられるという喜びの知らせを告げるように命じられましたから」と言った。




三三
主の、ジブリールとの会話。天使達への主のよびかけ。

(一)アブー・フライラによると、神の使徒は「アッラーが或る人を愛されるとき、ジブリールに『わたしは彼を愛する。だから彼を愛せよ』とおっしゃると、ジブリールは彼を愛するようになる。次にジブリールが天において『アッラーは誰それを愛された。だから彼を愛せよ』とよびかけると、天の人々は彼を愛するようになり、こうして愛は地の人々にまで達する」と言った。



(二)アブー・フライラによると、神の使徒は言った。「夜も昼も、天使達があなた方のもとに次々とやってきて、午後の礼拝と暁の礼拝のときに集まり、あなた方のもとで夜を過した天使達は天へ帰って行く。そこで、すべてを知り尽くしておられる神が敢えて『わたしの僕らはどうであったか』とお尋ねになると、天使達は『私達が行ったときも、帰るときも、彼らは礼拝しておりました』と答えるであろう」と。



(三)アブー・ザヅルによると、預言者は「或る日、天使ジブリールがわたしのところへ来て『アッラーの他に何者をも崇めずに死んだ人は天国に入る』という嬉しい知らせを伝えたとき、『盗みを働き、姦通を犯してもですか』と尋ねると、彼は『盗みや姦通を犯してもだ』と答えた」と言った。




三四
と高き神の言葉コ兀来、何もかも御承知の上で啓示し給うたこと。それに天使達も証言に立つであろう」(四の一六四〔一六六〕)。

(一)アル・バラーウ・ブン・アーズィブによると、神の使徒は言った。「あなた方は床につくとき、『神様、わたしは魂をあなたに引渡し、顔をあなたに向け、わたしの事をすべてあなたに委ね、望みと怖れから、あなたに拠り頼みます。あなたの他に逃げ場も避け所もありません。わたしはあなたの下された聖典とあなたの遣わされた預言者を信じます』と唱えなさい。そうすればもし今夜死んでも、正しい信仰を持って死ぬことになるであろうし、もし健やかに朝を迎えるならば、よい報いを得るであろう」と。



(二)アブド・アッラー・ブン・アビー・アウファーによると、「部族同盟の戦」の目、神の使徒は「聖典を下し、速かに罰を下す御神よ、同盟軍をうち破り、彼らを震えさせ給え」と叫んだ。



(三)イブン・アッバースによると、「礼拝のとき、あまり大声てとなり立てないように。と言うて、あまり小声でもいけない」(一七の一一〇)という神の言葉は、神の使徒がメッカで隠れていたとき下された。すなわち、彼が声を張り上げたとき、不信仰者達がそれを聞いてコーランと神と預言者を罵倒したので、神は「礼拝のとき、あまり大声てとなり立てないように。と言うて、あまり小声でもいけない。その中間を取るようにつとめよ」と言われた。大声てとなり立でないのは、不信仰者に聞かれないためであり、またあまり小声でもなく中間を取るのは、信徒達が預言者からコーランの言葉を受けることができるために他ならない。




三五
いと高き神の言葉「……彼らはアッラーの御言葉を勝手に変えようとする……」(四八の一五)。

(一)アブー・フライラによると、預言者は言った。「いと高き神は仰せられた『人間は運命を呪い、わたしを非難するが、わたしは運命であり、すべてのものを司り、昼と夜を交替させる』と」と。



(二)アブー・フライラによると、預言者は言った。「神は『欲と飲食を抑えてわたしのために行う断食に対して、わたしは報いを与える』と仰せられた。断食は身を護るものであり、断食する人には二重の喜びが与えられる。断食を解くときの喜びと、主と出遇うときの喜びである。そして断食する者の口の嗅いは、神にとっては、ミスクの香りよりかぐわしいのである」と。



(三)アブー・フライラによると、預言者は言った。「アィユーブ(ヨブ)が裸で体を洗っていたとき、金の蛙の群が舞い降りて来たので、彼はそれを衣の中に集めようとした。そこで主が『アィユーブよ、そのようなものなど要らないほど、わたしはお前に充分与えだてはないか」とおっしゃると、彼は『はい、その通りでございます。しかしわたしはあなたの祝福なしにはおられません』と応えた」と。



(四)アブー・フライラによると、神の使徒は「いと高き主は、毎晩、夜の三分の二が過ぎた頃、最下の天に下り、『わたしは、呼びかける者に応え、求める者に与え、赦しを求める者を赦す』と仰せられる」と言った。



(五)アブー・フライラは、神の使徒が「復活の日、我ら、後の者は先の者となるであろう」と言うのを聞いた、という。



(六)アブー・フライラによると、天使ジブリールは預言者に「ハディージャが汝に食べもの或いは、飲みものの入った器をもたらすとき、『平安あれ』という主の御言葉を伝え、天国では苦しみも疲れもなく、真珠の住まいを与えられるという喜びのおとずれを彼女に告げ知らせよ」と言った。



(七)アブー・フライラによると、預言者は言った。「アッラーの仰せられるには、『わたしは敬虔な僕らのために、目がかつて見ず、耳が聞かず、人間の心に浮んだことのないものを備えた』と」と。



(八)イブン・アッバースによると、預言者は祈りに夜を明かすとき、「神よ、讃えあれ。あなたは天と地の光り。讃えあれ。あなたは天と地を保つ方。讃えあれ。あなたは天と地とその中にあるものの主。あなたは真理。あなたの約束は真実、あなたの言葉も真実、あなたとの出過いも真実、天国も真実、地獄も真実、預言者も真実、最後の時も真実。神よ、わたしはあなたにすべてを委ね、あなたを信じ、あなたに帰依し、あなたにたち返り、あなたのことで言い争い、また裁きます。どうかわたしの過去の罪も、将来の罪も、秘かな罪も、露わな罪もお赦し下さい。わたしの神よ、あなたの他に神はありません」と言うのが常であった。



(九)ウルフ・ブン・アッ・ズバイルとサイード・ブン・アル・ムサィヤブとアルカマ。ブン。ワッカースとウバイド・アッラー・ブン・アブド・アッラーによると、或る人々があらぬことでアーイシャを中傷したとき、アッラーは彼女の潔白を示された。そこでアーイシャは「アッラーがわたしのために或る決定をお下しになるには、わたしはあまりにも卑しい者ですので、神がわたしの潔白を明らかにする啓示をお下しになろうとは想像もしませんでした。むしろ、わたしは、アッラーがわたしの潔白をお示しになることを神の使徒が夢で見るように望んでおりました」と言った。このとき、「さて、ああいう謹言をまきちらしたのはお前たちの中の一部の者だったな……」(二四の二)という啓示が下された。



(一〇)アブー・フライラによると、神の使徒は「アッラーの仰せられるには『わたしの僕が悪を行おうとするとき、それを行うまでは書きつけるな。行ったならば、それと同じことを書きつけよ。もし彼がわたしのゆえに悪を行うことをやめるならば、彼のために善行を記録せよ。また、彼が善を行おうとするとき、まだ行っていなくても彼のために善を書きしるせ。そして本当に行ったときは、彼のために十借から七百億の善行を記録せよ』」と言った。



(一一)ザイド・ブン・ハーリドによると、雨に恵まれたとき、預言者は「アッラーの仰せられるには『明日、わたしの僕のうちの或る者はわたしを信じ、他の者は信じないであろう』と」と言った。



(一二)アブー・フライラによると、神の使徒は言った「アッラーは『わたしの僕がわたしに出遇うことを望むならば、わたしは彼に出遇うことを望むが、彼がわたしに出遇うことを厭うならば、わたしも彼に出遇うことを厭うであろう』と仰せられた」と。



(一三)アブー・フライラによると、神の使徒は「アッラーの仰せられるには『わたしは人間にとって、彼らがそうあるべきと考える者である」」と言った。



(一四)アブー・フライラによると、神の使徒は語った。「善を全く行わなかった人がその家族に『わたしが死んだならば、体を焼いてその骨の半分を地に、そして半分を海に播き散らしてくれ』と頼み、彼らはその通りにした。アッラーは、こうとお決めになれば、世界中の誰も受けたことのない烈しい罰で彼を罰せられるそこで神は地と海に、播かれた骨を集めるようにお命じになってから、その人に『なぜそのようにしたのか』とお尋ねになると、彼は『あなたを恐れたからに他なりません』と答え、これを聞いてアッラーは彼を赦された」と。



(一五)アブー・フライラによると、預言者は語った。「或る人が過ちを犯し、『主よ、わたしは過ちを犯してしまいました。どうかお赦し下さい』と言ったとき、主は『わたしの僕は、主が過ちを赦しまた罰することを知っているから、わたしは彼を赦そう』とお応えになった。しばらくして、この人は他の過ちを犯し、『主よ、わたしはまた過ちを犯してしまいました。どうかお赦し下さい』と言ったとき、主は『わたしの僕は、主が過ちを赦しまた罰することを知っているから、わたしは彼を赦そう』と応えられた。それから、しばらくして、彼はさらに他の過ちを犯し、『主よ、わたしはまた過ちを犯してしまいました。どうかお赦し下さい』と求めたとき、主は『わたしの僕は、主が過ちを赦しまた罰することを知っているから、わたしは三度目に彼を赦そう。彼はしたいことをするがよい』と応えられた」と。



(一六)アブー・サイードによると、預言者は語った。「昔、或る男がアッラーから多くの財産と息子を授かっていたが、死に臨んで息子達に『わたしはどのような父親であったか』と尋ねたとき、彼らは『最良の父でした』と答えた。ところで、彼は神に対して全く善を行わなかったので、アッラーは、こうとお決めになれば、彼を罰せられたであろうーそこで、彼は『わたしが死んだならば、体を焼いて粉々に砕き、風の強い日に播き散らしてくれ』と頼み、息子達はその通りにした。しかし、このときアッラーが『在れ』と一声おかげになるやいなや、その男は再びもとの形をとって現われ、『なぜこのようなことをしたのか』とアッラーに尋ねられ、『あなたを恐れていたからに他なりません』と答えた。そこでアッラーは彼の言葉を受入れ、恵みを施した」と。




三六
復活の日、主が預言者達と語ること。

(一)アナスは、預言者が「復活の目、わたしは人々のために執成し、『主よ、芥子種ほどの信仰を持つ者を天国へお入れ下さい』と願うと、彼らは天国へ入り、次にわたしは『最も小さい信仰を持つ者も天国へお入れ下さい』と求めるであろう」と言うのを聞いたが、このとき預言者が指で仕種をしたのを彼は今なおまのあたりに見る思いがする、という。



(二)マァバド・ブン・ヒラール・アル・アナズィーは語った。我々バスラの者達は、執成しに関する伝承についてアナス・ブン・マーリクに尋ねるために、サービトと共に出かけた。その頃、アナスは彼の館で午前の礼拝中であったが、我々が面会を求めると、それに応え、彼はマットの上に座っていた。そこで我々がサービトに「執成しに関する伝承について尋ねる前に何も彼に尋ねるな」と言ったので、彼は「この人達はバスラから来たあなたの同朋で、執成しに関する伝承についてあなたに尋ねるために参りました」と言った。これを聞いてアナスは次のようなムハンマドの言葉を伝えた。「復活の日になると、人々は互いに動揺し、先ずアーダムのところへ行って、『わたし達のために主に執成して下さい」と求めるとき、彼は『わたしはそれにふさわしくない。むしろ、神の友であるイブラーヒームのところへ行きなさい』と応える。そこで彼らがイブラーヒームのところへ行くと、彼は『わたしはそれにふさわしくない。むしろ、神と直接話したムーサのところへ行きなさい』と言う。次に彼らがムーサのところへ行くと、彼は『わたしはそれにふさわしくない。むしろ、神の霊であり言葉で あるイーサのもとへ行きなさい』と言う。次に彼らがイーサのところへ行くと、彼は『わたし。はそれにふさわしくない。むしろムハンマドのところへ行きなさい」と言う。こうして彼らがわたしのところへやって来るとき、わたしは『執成しはわたしにふさわしい』と言って、主の御前に出る許しを求め、許されると、主から示された称讃の言葉でアッラーを讃えた後、その御前に平伏すであろう。すると、『ムハンマドよ、頭をあげよ。お前が何かを言えば聞かれ、求めれば与えられ、執成せば叶えられよう』という声がかかり、わたしが『主よ、わたしの民が、わたしの民が……』と叫ぶとき、『さあ、行って、大麦一粒ほどの重さの信仰を持つ者を地獄から引き出せ』と主はよびかけられる。そこで、わたしは行って命じられたことを行い、再び戻って先の称讃の言葉で主を讃えてから御前に平伏すと、『ムハンマドよ、頭をあげよ。お前が何かを言えば聞かれ、求めれば与えられ、執成せば叶えられよう』と声がかかり、わたしが『主よ、わたしの民が、わたしの民が……』と叫ぶとき、『行って、芥子種ほどの重さの信仰を持つ者を地獄から引き出せ』と主はよびかけられる。そこで、わたしは行って 、命じられたままに行い、三度目に戻って先の称讃の言葉で主を讃えてから御前に平伏すと、『ムハンマドよ、頭をあげよ。お前が何かを言えば聞かれ、求めれば与えられ、執成せば叶えられよう』と声がかかり、わたしが『主よ、わたしの民が、わたしの民が……』と叫ぶとき、『行って、芥子種の重さ以下の信仰を持つ者を地獄から引き出せ』とよびかけられ、わたしは行って、命じられたままに行うであろう」と。


マァバド・ブン・ヒラールはさらに語った。アナスのもとを去った後、わたしは一行の者達に「我々はアブー・ハリーファの家に隠れているアル・ハサンのところへ寄り、アナスから聞いたことを話そう」と言って彼のもとへ行き、面会を許されたとき、「アブー・サイードよ、我々はあなたの友アナスのもとから来ましたが、執成しについて彼が語ったようなことは、これまでに聞いたことがありません」と言った。するとアル・ハサンが「話してごらん」と促したので、我々がそれを彼に語り、終りにまで達したとき、彼は「さらに続けよ」と言ったが、「アナスはこれ以上わたし達に話しませんでした」と我々は応えた。そこで彼が「すでに二十年も前に、アナスはわたしにすべてを語ってくれた。彼が一部を忘れたのかどうか知らないが」と言ったので、我々が「アブー・サイードよ、それを話して下さい」と求めると、彼は「もともと人間はせっかちに出来ている。わたしがこれを話すのは、アナスがわたしに語った通りにあなた方に話したいからなのだ」と言って、次のような預言者の言葉を伝えた。「それから、わたしは四度目に戻り、神を讃えてから御前に平伏すと、『ムハンマドよ、頭を あげよ。何かを言えば聞かれ、求めれば与えられ、執成せば叶えられよう』と声がかかり、わたしが『主よ、アッラーの他に神なし、と言ったすべての者のために執成すことをお許し下さい』と求めるとき、神は『わたしの栄光と威厳にかけて、アッラーの他に神なし、と言った者達を必ず地獄から引出すであろう』と応えられる」と。



(三)アブド・アッラー・ブン・マスウードによると、神の使徒は言った。「地獄から最後に這い出て、最後に天国へ入る人に、主が『入りなさい』と呼びかけると、彼は『主よ、天国はもう一杯です』と応える。そして主が同じように三度呼びかげるときも、彼が『天国は一杯です』と応えると、神は『天国にはお前のためにこの世の十倍もの広さがある』と言われるであろう」と。



(四)アディー・ブン・ハーティムによると、神の使徒は「復活の日、あなた方のうちの誰でも、何の中立ちもなしに直に主に語りかげられ、主の右を見ると、そこには彼が現世で行ったことがあり、左にも同様に彼の行いが見られ、真正面には地獄が見えるであろう。あなた方は、なっめやしの実の半分ほどの小さいものによってでも、地獄の火から身を護れ」と言った。



(五)アブド・アッラー・ブン・マスウードによると、或る日、ユダヤ教のラビがやって来て、「復活の日になると、神は七つの天を指の上に、七つの地を指の上に、海と陸を指の上に、そしてすべての生きものを指の上に載せてそれらを揺らし、『わたしは王である。わたしは王である』と仰せられるであろう」と言った。すると預一言者は感心し、からからと笑ってその言葉を認め、「多神教徒にはアッラーの本当の大きさがわからない。復活の日には、この広い大地も御手のただ一握り。七つの天もくるくると巻き上ってその右手の中に収まってしまう。ああ勿体ない、恐れ多い。彼らが一緒にならべている邪神どもとは比較にならぬ高みにいますものを」(三九の六七)と唱えた。



(六)サフワーン・ブン・ムフリズによると、或る男がイブノ・ウマルに「神との秘かな語らいにっいて神の使徒はどのように言いましたか」と尋ねたとき、彼は次のような預言者9言葉を伝えた。「あなた方のうちの誰でも、主に近づき、その御翼の蔭に入るほどになるとき、『お前はこれこれのことをしたか』と尋ねられて『はい』と答え、また『これこれのことをしたか』と尋ねられ、『はい』と答えて過ちを認める。すると主は『現世ではお前の過ちを見逃したが、今はそれを赦す」と言われるであろう」と。










書名
著者
出版社
出版年
定価
ハディース・イスラーム伝承集
下巻: ISBN 4124031378
ブハーリ編纂
牧野信也訳
東京・中央公論社 1991 本体9515


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