ハディース・イスラーム伝承集成
神の唯一性(五分の二)


ブハーリー編纂
牧野信也訳




二三
いと高き神の言葉「諸天使と聖霊はアッラーのみもとへと一口で昇り行く……」(七〇の四)「……およそ良い言葉はすべてアッラーのみもとに昇り行くもの……」(三五の一一〔一〇〕)イブン・アッバースによると、アブー・ザッルは預言者の召命について聞いたとき、その弟に「天からの言葉を受けた、と主張しているこの男のことを調べてくれないか」と言った。

(一)アブー・フライラによると、神の使徒は言った。「夜の天使達と昼の天使達が次々とあなた方のもとへやって来て、午後の礼拝と暁の礼拝のとき集まる。それから、あなた方の問で夜を過した天使が天に帰って行くとき、神が『わしもべたしの僕たちはどうであったか」と尋ねると、彼らは『わたし達が行ったときも、また帰るときも、絶えず礼拝していました」と答える」と。


同じくアブー・フライラによると、神の使徒は「正しい取引で得たなつめやしを施す者のために、アッラーはそれを右手で受取り、丁度あなた方が仔馬を殖やすように殖やし、やがてそれは山のようになる」と言った。



(二)イブン・アッバースによると、預言者は心配のとき、「偉大なるアッラーの他に神はなく、玉座の主の他に神はなく、天の主、玉座の主の他に神はない」と唱えるのが常であった。



(三)アブー・サイード・アル・フドリーによると、預言者に金の塊が送り届けられたとき、彼はそれを四人に分け与えた。他の伝承によると、ヤマンに居たアリーが預言者に金の塊を送ったとき、彼はムジャーシゥ族の人アル・アクワゥ・ブン・ハービス・アル・ハンザリーと、ウヤイナ・ブン・バドル・アル・ファザーリーと、キラーブ族の人、アルカマ。ブン・ウラーサ・アル・アーミリーと、ナブハーソ族の人ザイド・ル・ハイル・アッ・ターイーの四人に分け与えた。そこで、クライシュ族の人々やアンサール連がこの分配に対して怒り「彼は我々を差置いて、ナジドの主だった人達には与えた」と言ったとき、預言者は「これは彼らを惹きつけるために他ならない」と応えた。そのとき、目がくぼみ、額が突出し、頬骨の出た、髭の濃い、そして頭を剃った一人の男が進み出て「ムハンマドよ、神を怖れなさい」と言うと、彼は「もしわたしがアッラーに背くならば、誰が神に従うであろうか。神は、地上のすべての人間のために、わたしを信頼されるが、あなた方はわたしを信用しないのか」と応えた。これを聞いて、信徒達のうちの一人ハーリド・ブン・アル・ワリードであると思われるか 、その男を殺すことを求めたか、預言者はそれを斥け、彼が立ち去った後で、「この男の子孫からは、コーランをただ口先だけで唱え、矢が獲物からそれるようにイスラームからそれる人々が生まれ、彼らは偶像崇拝者達を生かしておきながら、イスラーム教徒を殺すであろう。もしわたしが彼らの時代まで生きのびるならば、彼らを、かつてのアードの民のように抹殺するであろう」と言った。



(四)アブー・ザッルが預言者に「太陽は自分の宿まで走って行く……」という言葉について尋ねたとき、彼は「ここでいわれている宿は神の玉座の下にある」と答えた。




二四
いと高き神の言葉「その日には、明るく輝く顔また顔、嬉しげに主を仰ぎ見る」(七五の二一丁二三)。

(一)ジャリールによると、信徒達が預言者の傍に居たとき、彼は満月を見て「この月を見るように、あなた方は互いに押し合わずに主を見るであろう。そして、もしさほどの苦痛なしに、日の出前の礼拝と日没前の礼拝をすることができるならば、せよ」と言った。



(二)ジャリールによると、預言者は「あなた方は主をあなた方自身の目で見るであろう」と言った。



(三)ジャリールによると、満月の夜、神の使徒は信徒達のところへ来て、「復活の日、あなた方は、この月を見るように、互いに押し合わずに主を見るであろう」と言った、という。



(四)アブー・フライラによると、信徒達が「神の使徒よ、復活の日、我々は主を見ることができるでしょうか」と言ったとき、預言者が「満月の夜、あなた方は月を見るために何か困難があるだろうか」と尋ねると、彼らは「いいえありません」と答え、次に彼が「雲一つない空の太陽を見るために、困難があるだろうか」と尋ねたときも、彼らは「いいえ、ありません」と答えた。そこで神の使徒は言った。「そのように、あなた方は主を見るであろう。復活の日神は人々を集め、『現世で何かを崇めていた者は、それに従え』と命じ、太陽を崇めていた者は太陽に従い、月を崇めていた者は月に従い、偶像を崇めていた者は偶像に従って行く。そしてここにはこの民と、執成しをする者達成いは、似非信者達だけが残るが、アッラーが彼らのもとに来て『わたしはお前たちの主だ』と言われると、彼らは『主が来られるまで、わたし達はこうしていますが、主が来られるとき、わたし達は主を認めます』と応えるであろう。次に、彼らが知っている姿でアッラーが現われ『わたしはお前たちの主だ』とおっしゃると、彼ら付『あなたこそわたし遠の主』と言って、神に従うであろう。それから地獄を跨 いで一つの橋がかけられ、わたしとわたしの民が最初にそれを渡るであろう。その日には、使徒達以外、誰も語らず、彼らは『神よ、我らを救い給え』と祈る。そして地獄にはサァダーソという木の辣のような鉤があり、その大きさはアッラー以外誰も知らないのであるが、この鉤は人々をその行いによって把え、或る者はその行いの故に滅ぼされ、或る者は縛られ、また或る者は罰せられる。それからアッラーは人々の前に現われ、彼らの裁きを終え、神の慈悲によって地獄の住人の中から御心にかなった者を引出そうとされるとき、アッラーの他に神なし、と証言することによって、アッラーと並べて他の何ものをも崇めなかった人々を地獄から引き出すように天使達にお命じになる。天使達はそのような人々を、礼拝の際の脆拝によって額についた跡で見分げることができる。地獄の火は人間の体を焼くが、アッラーが火に脆拝の跡は呑み込まないよう命じられるので、その跡だけは残る。こうして彼らは黒こげになって地獄から出されるが、生命の水がふりかけられると、流れのほとりの種が芽を吹くように、彼らは生き返る。


それからアッラーが人々の裁きを終えると、一人の男が地獄に顔を向けて立ち、彼は地獄に落された人々のうちで最後に天国へ入れられる者であるが、『主よ、わたしの顔を地獄の火からそらせて下さい。地獄の熱風がわたしを苦しめ、地獄の火がわたしを焦がしてしまいますから』と求める。そこで神が『もしそれが叶えられるならば、恐らくお前はまた他のことを求めるのではないか』と言われると、彼は『いいえ、他のことは求めません』と応え、主に固く約束するので、神は彼の顔を火からそらす。しかし、彼が天国の方へ向って進み、それを見て、しばらくは黙っているが、次に『主よ、どうかわたしを天国の門へ近づけて下さい』と求めるとき、神は『すでに叶えてやった以外のことは決して求めない、とお前は固く約束したではないか。アーダムの子よ、なんとお前は不誠実であることか』と言われる。これに対して彼が『はい、おっしゃる通りです』と言った後で、また何かを求めるとき、神が『もしそれが叶えられるならば、恐らくお前はさらに他のことを求めるのではないか』と言われると、彼は『いいえ、主の脚力にかけて、他のことは求めません』と応え、主に約束するので、神は 彼を天国の門にお近づけになる。さて、彼が天国の門に着くと、門が開いて天国のすばらしい情景が見えるようになり、彼はしばらく黙っているが、次に『主よ、どうか天国へ入らせて下さい」と求めるとき、神は『すでに叶えられたこと以外は求めない、と固く約束したではないか。アーダムの子よ、お前はなんと不誠実であることか』と言われる。そこで彼が『私ほど惨めな人間はありません』と言って、しきりに求めてやまないので、遂にアッラーはお笑いになり、『では、天国へ入りなさい』と命じられる。そして彼がいよいよ天国へ入るとき、神は『何でも欲しいものを求めよ』と言われ、彼が望みを述べると、神は『これも、あれも求めよ』と言われ、遂に彼には求めるものがなくなってしまうようになる。そこでアッラーは『これらすべてと、さらにそれほどをお前に上げよう』と言われるであろうと。



(五)アブー・サイード・アル・フドリーによると、人々が「復活の日、主を見ることができるでしょうか」と言ったとき、神の使徒は「雲一つない空の太陽や月を見るのに何か困難があるだろうか」と尋ね、彼らが「いいえ、ありません」と答えると、彼は「太陽や月を見るのに何の困難もないように、その日、あなた方は主を見ることに困難を感じないであろう」と言い、それから次のように語った。「やがて『それぞれの民は、かつて崇めていたものの方へ行くように』と喚びかけられると、十字架を崇めていた人々は十字架の方へ行き、偶像を崇めていた人々は偶像の方へ行き、また神々を崇めていた人々は神々の方へ行き、こうしてその後には、罪を犯すにせよ、犯さないにせよ、アッラーを崇めていた人々と、ごく少数の啓典の民だけが残るであろう。


さて、人々が地獄の方へ連れて行かれると、これは蜃気楼のように彼らの前に現われる。そこで先ず、ユダヤ教徒に『お前たちは何を崇めていたか』と間いかけられ、彼らが『神の子ウザイルを崇めていました』と答えると、『嘘だ。神には妻も子もないのだから』と言われる。それから彼らは『何が欲しいか』と尋ねられて、『水を飲みたいです』と答えると、『では、飲むがよい』という声がかかり、その後で彼らは次々と地獄に落ちて行く。次に、キリスト教徒に『何を崇めていたか』と間いかけられ、彼らが『神の子メシアを崇めていました』と答えると、『嘘だ。神には妻も子もないのだから』と言われる。それから彼らは『何が欲しいか』と尋ねられて、『水を飲みたいです』と答えると、『では、飲むがよい』と言われ、こうして彼らは地獄に落ちて行く。その後に、アッラーを崇めていた人々が残り、彼らは『他の人々は行ってしまったのに、なぜここに留まるのか』と問われて、『今日、私達は彼らを必要としていますが、それぞれの民は、かつて崇めていたものに従うように、という喚びかけを聞きましたので、彼らと別れ、わたし達は主のみを待っています』と答える。そのとき、全 能の神が、最初、彼らが見たのとは別の姿で現われて、『わたしはお前たちの主だ』とよびかげると、彼らは『あなたこそわたし遠の主』と応えるが、神と直接語るのは預言者達だけである。それから彼らは『主を、それと認めることができるしるしは何か』と尋ねられて、『足すなわち、力1です』と答え、主が足を現わされるとき、すべての信仰者達は脆くが、かつて見栄のために脆いていた者達だけは残り、彼らが脆こうとすると、その背中は一枚の板のように硬くなってしまうであろう。


それから彼らは、地獄を跨いでかけられた橋のところへ連れて行かれ、『この橋は何ですか』と尋ねると、神の使徒は答えるであろう。『これはつるつる滑る足場の悪いところで、しかもそこには鉤や、ナジドにあるサァダーンという木のような辣があり、信仰者はその上を、目ばたきや、稲妻や、風や、駿馬や、純血路駝のようにすばやく渡り、或る者は無事に通り過ぎるが、他の者は鉤によって引掻かれて地獄に落ち、最後の者は引きずり廻される。そして、この日の信仰老ほど神に対して強く権利を求める者はない。彼らが、自分達の兄弟の或る者が助かったのに対して、他の者が地獄の中に留まっているのを見て『主よ、あの兄弟達も我々と一緒に礼拝し、断食し、善行を行いました』と言うと、いと高き神は『では行って、一ディーナールほどの重さの信仰を心の中に持つ者は、地獄から出してやりなさい』と応え、こうして神は彼らの体を地獄の火から護り給う。そこで信仰者達は地獄に行ってみると、或る兄弟が膝まで、また他の者は股まで火の中に沈んでいるのを見るので、彼らを地獄から引き出す。それから信仰者達が戻ると、神は『行って、半ディーナールほどの重さの信仰を持つ者も 、地獄から出してやりなさい』と命じ、彼らは兄弟達を地獄から引き出す。それからまた彼らが戻ると、神は『行って、蟻一匹ほどの重さの信仰を持つ者も、地獄から出してやりなさい」と命じ、彼らはそのようにする」。


アブー・サイードはさらに言った。もしわたしの言葉を信じないならば、「まこと、アッラーは蟻一匹の重さだに誰に来当なことをなさ忌芸。よいことをすれば、必ず二倍にもして返して下さる上に、御自分の方から大きな御褒美を下さる」(四の四四(四〇))という神の言葉を唱えよ、と。さて、預言者達と天使達と信仰者達が人々のために執成しを行うと、神は「いよいよ、わたしが恵みをける番になつた」と言われて、地獄の火の一握りを取り、黒こげになった人、を地獄から引出して、天国から流れ出る命の水という川に投げ込まれる。すると、彼らは、流れのほとりに播かれた種が芽を出すように、川の両岸で生き返る。芽が出た種は岩や木の傍に青、陽の当る方は緑色であるが、蔭の方は白い。こうして彼らは真珠のように輝き、首に飾りをつけて現われ、天国に入ると、天国の住人達は「これは、神が何の善い行いも要求せずに天国へお入れになった選ばれた人々だ」と言い、神は新しく天国に入った人々に「お前たちの目の前にあるものと、さらに同じだけを与えよう」と呼びかげられる。


アナスによると、預言者は語った。「復活の目、信仰者達は或る場所に止め置かれて不安になり、「我々がこの場所から救い出されるよう、誰かが主に執成してくれないものだ言か」と言ってアーダムのところへ行き、「あなたは人間の祖で、神が手ずからあなたを創って楽園に住まわせ、天使達をあなた島かせ、すべてのものの名をあなたに教えられた。私家この場所から救い出されるよう、どうか主に執成して下さい一と求めると、彼は一わたしはそれにふさわしい者ではない一と応えて、禁断の木の実を食べたことによって犯した過ちξいて話し、むしろ、神がこの地上に遣わした最初の預言者であるヌーフのところへ行く吉に勧める。そこで彼らがヌーフのもとへ行くと、彼も一わたしはそれにふさわしい者ではない一と応えて、知らないことを主に求めた過ちについて話し、むしろ、神の友であるイブラーヒームのところへ行くように勧める。次に彼らがイブラーヒームのもとへ行くと、彼も一わたしはそれにふさわしい者ではない一と応えて、かって彼が言った三つの嘘について話し、むしろ、神がトーラーを授け、親しく語りかけたムーサのところへ行くように勧める。次に彼らがムーサのも とへ行くと、彼も「わたしはそれにふさわしい者ではない」と応えて、かって彼が人を殺した過ちについて話し、むしろ、神の僕、神の使徒、神の霊、そして神の言葉であるイーサのところへ行くように勧める。そこで彼らがイーサの主へ行くと、彼も「わたしはそれにふさわしい者ではなどと言い、むしろ、神によって過去の罪も将来の過ちも赦されたムハンマドのところへ行くように勧める。


こうして彼らがわたしのもとへ来るとき、わたしは主に拝謁を求めて許されるが、主をまのあたり見るやいなや地にひれ伏し、しばらくそのままで居ると、やがて主が『ムハンマドよ、頭をあげよ。お前が何かを言えば聞かれ、求めれば与えられ、執成せば叶えられよう」と言われる。そこでわたしは頭をあげ、教えられたように主を讃えた後、執成しをすると、主がわたしに一団の人々を指名されるので、わたしは出て行って彼らを天国へ入らせる。カターダが伝える預言者の伝承によれば、「わたしは出て行って、彼らを地獄から引出し、天国へ入らせる」。それから、またわたしは主に拝謁を求めて許されるが、主をまのあたり見るやいなや地にひれ伏し、しばらくそのままで居ると、主が『ムハンマドよ、頭をあげよ。お前が何かを言えば聞かれ、求めれば与えられ、執成せば叶えられよう』と言われる。そこで、わたしは頭をあげ、教えられたように主を讃えた後、執成しをすると、主が一団の人々を指名されるので、わたしは出て行って彼らを天国へ入らせる。カターダが伝える預言者の言葉によれば、『わたしは出て行って、彼らを地獄から引出し、天国へ入らせる』。それから三度目に、わ たしは主に拝謁を求めて許されるが、主をまのあたり見るやいなや地にひれ伏し、しばらくそのままで居ると、主が『ムハンマドよ、頭をあげよ。お前が何かを言えば聞かれ、求めれば与えられ、執成せば叶えられよう』と言われる。そこで、わたしは頭をあげ、教えられたように主を讃えた後、執成しをすると、主が一団の人々を指名されるので、わたしは行って、彼らを天国へ入らせる。カターダが伝える預言者の言葉によれば、『わたしは出て行って、彼らを地獄から引出し、天国へ入らせる』。こうして地獄に留まるのは、コーランによって引き留められた者、すなわち、そこに永久に住むように定められた者のみである」と。それから、預言者は「もしかすれば、主はお前を光栄ある地位に引き上げて下さるであろう」(一七の八一〔七九〕)という言葉を唱えた。



(六)アナス・ブン・マーリクによると、神の使徒はアンサールの人々に使者を送って彼らをクッバに集め、「天国でアッラーと使徒に出遇う日まで忍耐せよ。そのとき、わたしは天国の水場に居るであろう」と言った。



(七)イブン・アッバースによると、預言者は夜通し祈るとき、次のように言うのが常であった。「神よ、我らの主よ、讃美はあなたに、あなたは天と地を保つ者。讃美はあなたに、あなたは天と地とその中にあるものの主、讃美はあなたに、あなたは天と地とその中にあるものの光。あなたは真理、あなたの言葉は真実、あなたの約東は真実、あなたとの出遇いは真実、天国は真実、地獄は真実、最後の時は真実。神よ、あなたに私はすべてを委ね、あなたを信じ、あなたに帰依し、あなたの御名において論争し、また、あなたの御名において決断します。どうか、私の過去の過ちも将来の過ちも、秘かに行ったことも顕わに行ったことも、お赦し下さい。あなたはそれらすべてを私よりよく御存じです。あなたの他に神はありません」と。



(八)アディ・ブン・ハーティムによると、神の使徒は「天国において、主はあなた方のうちの誰とでも、通訳にも、また帳にも距てられることなく、じかに語り給うであろう」と言った。



(九)アブド・アッラー・ブン・カイスによると、預言者は「天国には、すべてのものが銀でできている二つの園と、すべてのものが金でできている二つの園があり、アドンの園において、人々は主の御顔にかかる威光の輝きをじかに見るであろう」と言った。



(一〇)アブド・アッラー・ブン・マスウードによると、神の使徒は「偽りの誓いによってムスリムの財産を奪う者は、復活の日、彼に対して怒り給うアッラーと出過うであろう」と言い、これを確証するために次の神の言葉を唱えた。「アッラーの名においてなされた契約や、自分の立てた誓言をほごにして、安値で売りとばすような者ども、そのような者どもは来世では何の分け前にも与えれないぞ。アッラーはそんな者どもには口もきいて下さらぬ、復活の日にお目をかけても下さらぬ、穢れを浄めても下さらぬ。苦しい罰が待っているだけ」(三の七一〔七七〕)



(一一)アブー・フライラによると、預言者は語った。「復活の日、アッラーが口を聞いても下さらず、目をかけても下さらないのは、次の三人である。すなわち、或る商品について、実際に支払ったより多く払ったと偽って誓う者。午後の礼拝の後、ムスリムの財産を奪うために偽りの誓いを立てる者。そして、持っている余分の水を人に与えることを拒む者である。復活の日、アッラーはこの者に『お前が自分の手で作ったものでもない水の余りを拒んだように、今日、わたしはお前に対してわたしの恵みを拒む』と言われるであろう」と。



(一二)アブー・バクラは語った。預言者は「アッラーが天と地を創造した日のように時は巡り、一年は十二カ月で、そのうち四ヵ月は神聖月、すなわち、ズ・ル・ヵアダ、ズ・ル・ヒッジャ、アル。ムハッラム、そしてジュマーダーとシャァバーソの間にはさまれたラジャブ・ムダルである」と言った。それから彼が「今は何月か」と尋ねたとき、我々が「アッラーと使徒が最もよく御存じです」と答えると、彼はしばらく黙っていたので、何か違う名で呼ぶのかと思ったが彼は「ズ・ル・ヒヅジャではないか」と言い、我々は「はい、そうです」と応えた。次に彼が「ここはどの町か」と尋ねたとき、我々が「アッラーと使徒が最もよく御存じです」と答えると、彼はしばらく黙っていたので、何か違う名で呼ぶのではないかと思ったが、「その町ではないか」と言い、我々は「はい、そうです」と応えた。次に彼が「今日は何の日か」と尋ねたとき、我々が「アッラーと使徒が最もよく御存じです」と答えると、彼はしばらく黙っていたので、何か違う名で呼ぶのではないかと思ったが、「犠牲祭の日ではないか」と言い、我々は「はい、そうです」と応えた。そこで彼は「あなた方の生命と財産と名 誉は、この町とこの月におけるこの目が不可侵であるように、侵すべからざるものである。そして復活の目、あなた方は主と出遇い、この世で行ったことについて尋問されるであろう。だから、わたしの死後、迷いの道にたち戻り、互いに殺し合ったりしてはならない。今ここに居る者は、居ない者にこの言葉を伝えよ。恐らく、知らせを伝える者は聞く者よりそれをよく憶えているであろう。わたしはこれを確かに伝えたぞ」と言った、と。




二五
「…まこと、アッラーの御慈悲は善行をなす人々の身近にある」(七の五四〔五六〕一という神の言葉について言われたこと。

(一)ウサーマ・ブン・ザイドは語った。預言者の或る娘の子が危篤に陥り、彼女が預言者に来訪を求めて使者を送ったとき、彼は「取るも与えるも、みなアッラーの御業。すべてのものには一定の期限がある。だから、耐え忍び、来世の報いを望んで善をなぜ」と応えた。しかし彼女が再び使いを送って懇願すると、遂に預言者は腰を上げ、わたしとムアーズ・ブン・ジャバルとウバッイ・ブン・カァブとウバーダ・ブン・アッ・サーミトも従った。我々が家に入り、子供が連れて来られたとき、その息は乾いた革袋の音のように荒れていた。そこで神の使徒は泣き、これを見てサアド。ブン・ウバーダが「なぜお泣きになるのですか」と尋ねると、「アッラーはその僕らのうち、恵み深い者にのみ恵みを施されるのだから」と彼は答えた。



(二)アブー・フライラによると、預言者は言った。「天国と地獄が主の前で文句を言い、天国が『主よ、なぜ天国には弱い者や落ちぶれた者しか入らないのですか』と言うと、地獄は『わたしのところへ来るのは香り高ぶった者ばかりです』と言った。そこでアッラーは天国に向って『お前はわたしの恵みだ」と言い、一方、地獄には『お前は、わたしが望む者に加える罰であるが、やがていずれも一杯になるだろう』と言われた。天国について、アッラーは誰にも不当なことをされず、また地獄へはそうしようと思う者を入れられる。かくて、人々が地獄に放りこまれると、地獄は『まだ入る者は居りますか」と尋ねるが、やがて神が足を踏み入れると地獄は一杯になり、『もう沢山です』と言うであろう」と。



(三)アナスによると、預言者は「或る人々は、自分が犯した罪の罰として地獄の焔にあぶられるが、その後でアッラーの溢れんばかりのお恵みによって天国へ入れられ、彼らは『地獄から来た人々』とよばれる」と言った。




二六
いと高き神の言葉「見よ、アッラーは天と地をがっしりつかまえて、ぐらつかないようにしていて下さる……」(三五の三九〔四一〕)。

(一)アブド・アッラー・ブン・マスウードによると、或る日、一人のユダヤ教のラビが来て「ムハンマドよ、神は天も地も山も川も木も、またその他すべてのものを指の上に載せ、それから手で御自分を指して『われこそは王』と言われる」と言ったとき、神の使徒は笑い、「彼らにはアッラーの本当の大きさがわからない」と応えた。




二七
天と地およびその他すべてのものの創造について言われたこと。創造は主の行為、そして命令の結果であり、主はその属性、行為、そして命令によって創造し給う。主は創造するものであり、創造されたものではないのに対し、主の行為と命令によって生じたものはすべて創造されたものである。

(一)イブン・アッバースは言った。預言者がマィムーナの家にいたとき、彼が夜の礼拝をどのように行うかを見るため、わたしは彼女の家に泊った。神の使徒はマィムーナとしばらく話した後、横になり、明け万近くなって座り、天を仰いで「まことに天と地の創造のうちに、夜と昼の交替のうちに……頭の働く人ならば神の徴を読みとることができるはず」(二の一五九〔一六四〕)と唱え、終ると立って身を浄め、歯を磨き、それから十一回ラクアを行った。このときビラールが行う礼拝へのよびかげを聞き、彼はさらに二回ラクアを行った後、外へ出て信徒達の先に立って朝の礼拝を行った、と。




二八
「我らの言葉はもうとっくの昔に、我らの遣わした僕らに与えてある」(三七の一七一)

(一)アブー・フライラによると、神の使徒は「アッラーは創造の業を終えたとき、玉座の上に『わたしの恵みは怒りに先立つ』とお書きになった」と言った。



(二)アブド・アッラー・ブン・マスウードによると、真実を語り、信頼に価する神の使徒は人間の誕生について語った。「先ず母の胎内に精液が四十日四十在留まり、次にそれは血の塊となり、次に肉の塊となり、それから天使が遣わされて、生まれる赤子の賜物と寿命と行いと、幸福か或いは不幸かを書きつけ、その後で生命を吹き込む。あなた方のうちの或る者は、天国へ行く人々の行いをして、遂に天国まであと一尺のところに達するが、すでに定められているように、その後、地獄行きの人々の行いをして地獄に落ちる。一方、あなた方のうちの他の者は、地獄へ行く人々の行いをして、遂に地獄まで一尺のところに達するが、すでに定められているように、その後、天国行きの人々の行いをして天国へ入るであろう」と。



(三)イブン・アッバースによると、預言者が「天使ジブリールよ、なぜもっと屡々我々のところへ来ないのか」と言ったとき、「我らは汝の主の御命令がなければ降りて来ない。我らの前にあるものも、うしろにあるものも、またその間にあるものも、すべては主の統べ給うところ……」(一九の六五〔六四〕)という啓示が下り、これはムハンマドに対する答であった。



(四)アブド・アッラー・ブン・マスウードは語った。杖をついている神の使徒と共にメディナの野を歩いていたときのこと、彼が一団のユダヤ教徒の傍を通りかかると、彼らのうちの或る者は互いに「霊(生命の息吹き)について彼に尋ねよ」と言い、他の者はそれを望まなかったが、結局、彼らは質問した。そこで預言者は立ち上り、後に居たわたしには、彼が啓示を受けたように思われたが、「みなが霊について質問してくるであろう。こう言ってやるがよい、霊は主の御言から生ずるもの。お前たちが元来援かっておる知識はまことに些少なもの」(一七の八七〔八五〕)と唱えた。これを聞いて或るユダヤ教徒は「だから、彼に尋ねるな、と言ったではないか」と言った。



(五)アブー・フライラによると、神の使徒は「ひたすら神の道に戦い、その例言葉の確証のために奮闘する人のために、アッラーは彼が天国に入るか、または得た報酬や戦利品を持って故郷に帰ることを保証なさるであろう」と言った。



(六)アブー。ムーサによると、或る男が預言者のもとに来て「人が自分を護るため、また勇敢に、そして虚栄のために戦うならば、これら三つのうち、どの場合、神の道に戦うことになるでしょうか」と尋ねたとき、彼は「アッラーの例言葉が最高のものとなることを望んで戦う者は、神の道に戦うのである」と答えた。




二九
いと高き神の言葉「我ら何事かを欲するときは、ただ一言、これに『在れ』と言いさえすれば、忽ちその通りになる」(一六の四二〔四〇〕)。

(一)アル・ムギーラ・ブン・シュウバは、預言者が「神の御命(最後の時)が来る日まで、わたしの民のうちの一団が人々を支配し続けるであろう」と言うのを聞いた。



(二)ウマイル・ブン・ハーニゥによると、ムアーウィヤは、預言者が「神の御命が来る日まで、わたしの民のうちの一団は神の命を行い続け、彼らを嘘つきよばわりする者によっても、また敵対する者によっても害を受けないであろう」と言うのを聞いた。



(三)イブン・アッバースによると、預言者は教友達を連れてムサイリマに立ち向い、「お前がこの木の棒を求めても、わたしは与えないであろう。そしてお前は神の命に逆らうことはできない。もしお前が背を向けるならば、アッラーは必ずお前を滅ぼされるであろう」と言った。



(四)イブノ・マスウードによると、杖をついている預言者と共にメディナの野を歩いていたとき、一団のユダヤ教徒の傍を通りかかると、彼らのうちの或る者は互いに「霊について彼に尋ねよ」と言い、他の者は「いや、為前たちに嫌なことを彼は答えるだろうから、尋ねるな」と言ったが、結局、一人の男が立って「アブ・ル・カースィムよ、霊とは何か」と質問した。そこで預言者はしばらく黙っていたので、啓示が下るに違いないと思っていると、彼は「みなが霊について質問して来るであろう。こう言ってやるがよい、『霊は主の御言から生ずるもの。お前たちが元来援かっている知識はまことに些少なもの』と」(一七の八七〔八五〕)と唱えた。




三〇
いと高き神の言葉「言え、『かりに大海が主の例言葉を書き写すための墨汁であっても、主の例言葉が尽きるより先に海の方が涸れてしまうであろう、たとい我らそっくり同じものをも一つ作って補充したとしても』と」(一八の一〇九)。「かりに地上の樹木が全部筆であったとして、海は翼にあるものにさらに七つの海を加えたとて、アッラーの例言葉を書き尽くすにはまだ足りまい」(三一の二六〔二七〕)。「まこと、汝の主はアッラーであるぞ。天と地とを六日で創り、それから高御座につき、昼を夜で覆い給えば、夜は昼を休みなく逐って行く。太陽も月も星々も主の例言葉のまま。ああ、まこと、創造の業と天地の支配がアッラーのものでなくてなんとしよう。讃えあれ、万有の主、アッラーに」(七の五二〔五四〕)

(一)アブー・フライラによると、神の使徒は「ひたすら神の道に戦い、その例言葉の確証のために奮闘する人のために、アッラーは、彼が天国へ入るか、または得た報酬や戦利品を持って故郷に帰ることを保証なさるであろう」と言った。










書名
著者
出版社
出版年
定価
ハディース・イスラーム伝承集
下巻: ISBN 4124031378
ブハーリ編纂
牧野信也訳
東京・中央公論社 1991 本体9515



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