宗教法人イスラミックセンター・ジャパン編

聖クルアーンとハディース
(コーランとハディース)

三、ハディースの教典
 イスラームのはじめから、教友たちは預言者を模範とし、その道を歩むためかれの言行を学ぷのに懸命であった。
 預言者の死後、イスラームの力が遠隔の地まで拡がったとき、新しく入信した者たちは同じように預言者についてすべての事を知り、かれを模範にしようと強く願っていた。教友たちは新しい信者たちから預言者について熱心に質問され、時がたつにつれ預言者に関する多くの資料が広く一般信者の間に知れわたった。それが人ぴとの口からロヘと広く伝えられるようになり、ある人たちは自分たちが使う目的で小さな言行録を作った。これらはまだ本とは呼べない程のものだったが、その内容は後に作られた本に加えられた。いくつかの本は預言者の生涯(シーラ)について書いてあったが、これらの本の作者たちは、ハディースの教典に必要な正確な調査と記録を用意しなかった。これらの伝記書の目的は、預言者の生涯の物語りを述べることであったが、ハディースの教典の主目的は審判者、法律家、法律学者、そして一般にはイスラーム教徒すべてに参考資料を提供することにあった。参考書が内容と基準の厳格さにおいて伝記書と異なることは自明の理であろう。この基準については次の第四節で述ぺることにするが、最も権威あるハディースの教典は次の二つである。

一、ポハリー(イスラーム暦一九四〜二五六年)のサヒーハ
二、ムスリム(同二○二〜二六一年)のサヒーハ

 さらに次の四冊も権威あるものと認められており、前期の二冊を加えて「六冊の正統ハディース」と呼ばれている。

三、アブー・ダーウード(イスラーム暦二○二〜二七五年)
四、ティルミズィー(同二七九年没)
五、ナサーイー(同二一五〜三○三年)
六、イブン・マージヤ(同二○九1二七三年)

 この「六冊の正統ハディース」を含めて、すべてのハディース集は編集者の独自の判断により作成されたものであって、学会とか何らかの組織のカで作られたものではない。これは、イスラームにはそのようなものに対して権威を与える組織など存在しないからである。
 すべてのハディースは厳しく調べられ、イスラーム社会で容認されて、始めて権威あるものとして認められたのである。他のハディースの書同様、ボハリーやムスリムにもこの方法が適用された。


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