宗教法人イスラミックセンター・ジャパン編

聖クルアーンとハディース
(コーランとハディース)

七、コラーンからの抜粋
 言え、かれはアッラー、唯一者であられる。アルラーは、自存者であられ、かれは産みたまわず、また産れたまわぬ、かれに比べ得る、何ものもない。(聖クルアーン 一一二章一〜四節)

 アッラー、かれのほかに神なく、永生者・自存者であられる。仮睡も熟睡も、かれをとらえることはできない。天にあり地にあるよろずのものは、かれの有(もの)である。かれの許しなくして、たれが、かれのみもとで執り成すことができよう。かれは人びとの、前のことも後のことをも知りたもう。かれの御意にかなったことのほか、かれらはかれのみ知識について、何も会得するところはないのである。かれの玉座は、あまねく天と地をおおうて広がり、これを守って、疲れも覚えたまわぬ。かれは至高者・至大者であられる。(聖クルアーン ニ章二五五節)

 かれが、土からなんじをつくりたまえるは、かれのしるしの一つである。見よ、その後、なんじら人間は地上に散らばる。またかれが、なんじら自身からなんじらのために配偶をつくりたまえるは、かれのしるしの一つである。なんじらはかれらによって慰安を得、なんじらの間に愛と惜けの念をうえつけたもう。まことにその中には、反省する者への種々のしるしがある。またかれが、諸天と大地を創造したまいなんじらの言語と、はだ色が異なっているのほ、かれのしるしの一つである。まことにその中には、知識ある者への種々のしるしがある。(聖クルアーン 三○章二○〜二二節)

 天にあり、また地にあるよろずのものは、アルラーの栄光をたたえまつる、かれは至高の王者・神聖者・偉力者・英明者であられる。かれこそは文盲の者の間に、かれらのうちからみ使いを上げ、しるしを復唱してかれらを清め、経典と英知を教えたもうた方であられる。まことにかれらは、以前は明らかに過誤のうちにいた。またかれらのうち他のものにも恩恵を賜う、これらは、まだかれらに仲間入りしておらぬ。かれは、偉力者。英明者であられる。これがアッラーの恩恵である、かれのみ心にかなう者にこれを賜う。まことにアッラーは、最高の恩賜の主であられる。(聖クルアーン 六二章一〜四節)

(2)「人間」

 人間が存在せぬ長い期間はなかったか。まことにわれは混合された一精滴から人間をつくった、かれを試みるためである。それでわれは聴覚をかれに授けた。われは、かれに道を示した、かれが感謝するか忘恩であるか(はかれの意思いかんによる)。(聖クルアーン 七六章一〜三節)

 意にかなった好きなものは、人間の目には美しく見える、婦女・むすこ・蓄積された財宝・金や銀・血統の正しい焼印をおした馬・家畜やよく耕された田畑。これらほ、現世の生活の享楽である。だがアッラーのおそばこそは、こよなき安息所である。(聖クルアーン 三章十四節)

 人間は、努力したことのほかには、何ものも得ることはできぬ、(聖クルアーン 五三章二一九節)

 かれこそはなんじらを、地上におけるかれの代理者となされ、またある者を他よりも、位階を高めたもう方であられる、それは与えたもうものによって、なんじらを試みるためである。なんじの主は懲罰に神速である。まことにかれは寛容者・慈悲者であられる。(聖クルアーン 六章一六五節)

(3)「正義」

 順境においてもまた逆境にあっても、主の賜物を(慈善のために)心よく使う者、怒りをおさえて、人ぴとを寛容する者、まことにアッラーは、善い行いをなす者をめでたもう。(聖クルアーン 三章一三四節)

 なんじら信仰する者よ、証言には、アッラーのため公正を堅持する者であれ、たとえなんじら自身のため、または両親や近親のためでも。かれが富者でも、また貧者であっても公正であれ、アッラーはなんじらよりも双方にとって最高の守護者であられる。(聖クルアーン 四章一三五節)

 (礼拝のときに)なんじらの顔を、東または西に向けるのが正しいことではない。およそアッラーに正しく仕えるとは、アッラーと最後の審判の日、諸天使と諸聖典と預言者を信じ、かれを愛するためにその財産を、近親・孤児・困窮者・旅路にある者・物請いや奴隷や解放のために費やし、礼拝(サラート)の務めを守り、定めの喜捨(ザカート)をなし、約束したときはその約束を果す。また困難と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぷ者、これらの者こそ信仰する者、真に主を畏れる者である。(聖クルアーン ニ章一七七節)

(4)「神への祈願」

 アッラーをたたえ奉る、よろず世の養育の主、仁慈・慈悲の主、審判の日の執権の主。あなたにのみわたしたちは仕え、あなたにのみわたしたちはお助けをこいねがう。わたしたちを直き道に導きたまえ、あなたが怒りたもうた者、また踏み迷った者で与く、あなたが、恵みを垂れたまいし者の道に導きたまえ。(聖クルアーン 一章二〜七節)

 「主よ、わたしたちがもし志れたり、あやまちをおかすことがあっても、とがめないで下さい。主よ、わたしたち以前の者に負わされたような重荷を、わたしたちに負わさないで下さい。主よわたしたちの力で、かなわぬものを、になわせないで下さい。わたしたちの罪障を消滅なされ、わたしたちを許し、わたしたちに慈悲をたれたまえ。あなたこそわたしたちの愛護者であられます。不信心の衆に対し、わたしたちを助けたまえ」。(聖クルアーン ニ章二八四〜二八六節)


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