宗教法人イスラミックセンター・ジャパン編

聖クルアーンとハディース
(コーランとハディース)

二、クルアーンの編纂と出版
 現在使われているクルアーンが最初の原本と完全同一のものであることに疑問の余地はない。イスラーム教徒に限らず、すべてのまじめな学者は今日のコラーンが十世紀前の、ムハンマドが実践し人々に教示した教典そのものであることを確認している。この点はいくつかの観察によって解明できよう。

(1)預言者ムハンマド(彼に平安あれ)は、天使ガブリエルのもたらす啓示を完全に記憶するまで復誦させられ、その啓示の挿入個所を明示された、と語っている。コラーンの章節の配列は、啓示の時期とは関係なく、神の定めた順序に従っている。

(2)預言者は読み書きができなかったので、神の啓示を受けるとすぐ、読み書きのできる教友に記述させた。筆記者が読み返し、預言者の校正を受け、預言者の指示によって啓示は所定の個所におさまったのである。

(3)預言者の時代、一般のアラビア人は文盲ではあったが、同時に大変な文学愛好家でもあった。詩や物語や文学的表現を暗記し、家族や友人の集いにおいて吟唱したり、広く一般のコンテストに発表するのが常であった。同様、教友たちは神の言葉コラーンを暗記し、自分で又はグループで朗唱することに喜びを感じていたのである。(全世界で何百万冊ものコラーンが印刷されている今日でさえ、多くの人がそれを暗誦することに喜ぴを感じている)
 預言者ムハンマドの存命中にクルアーンの全章を暗記していた教友は五人いた。ムアダ・イブン・ジャバル、イバダ・イブン・アルサマット、ウバイ・イブン・カーブ、アブー・アイユーブ及びアブー・ダルダである。

(4)預言者の死後(西暦六三二年)、教友の一人オマルは初代のカリフ、アブー・バクルにクルアーンを一冊にまとめることの急務なることを説いた。そこでアブー・バクルは啓示の主任筆記者であったザイド・ビル・サビットに、クルアーンの全章を集めるように命じた。準備が整ったとき、クルアーンを一冊にまとめるための監修委員会が作られ、ムダール族(預言者の出身コライシュ族もこの支流である)の発音に従うよう指示された。それはクルアーンがムダール語で啓示されたからである。この基本テキストは、クルアーンの全章をそらんじていた五人を含めた多くの教友たちに校正され、完全であると認められた。そして、預言者の未亡人であるオマールの娘ハフサがこれを保管した。

(5)第二代カリフのオマルは、イスラーム圏全土にわたってクルアーンを教えるための多くの学校を設立した。ダマスカスのモスクで教鞭をとったアブー・ダルダは、一人で一六○○人の生徒をもっていたと云われている。カリフは各地区の司令官に対して、クルアーン全章を暗記している者を教師として採用するため、メディナヘと派遣するように命じた。これに対しイラクの司令官サアド・イプン・ワカスは、自分の軍団にはそのような者が三百人もいると回答している。

(6)第三代カリフオスマンの時代になり、クルアーンの発音が辺境の地で、持にアラブ以外の入信者により一部変形されていることが報告された。オスマンはただちに行動を起した。博学の教友たちの意見を聞き、ザイド・ビン・サピットを含む四人の委員会を設け事態の処理に当らせた。当時使われていたクルアーンはすべて回収され、ハフサの保管していたクルアーンの原本の写しと取りかえ、ムハンマド自身の読誦と同一のコライッシュ語で読誦することに決った。コラーンをたやすく読んだり吟唱するために後世になって挿入された正字法の記号は別として、現在印刷されているコラーンは、オスマンとムハンマドの教友たちが西暦六五一年に定めた章節の文字と全く同じである。これらの事実からみて、多くの学者はコラーンを預言者ムハンマドが書きとめさせ、そしてまとめた通りであると結論している。クルアーンには何物も加えられず、何物も削除されず、そしていかなる歪曲もなされていない。それは歴史的な記録であり、たしかにクルアーンの純粋性は神そのものによって誓約されているのである。

 まことにわれこそは、その訓戒を下し、必ずそれを守護する(聖コラーンー五章九節)


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